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実は、私はいまだにスマートフォン(以下、スマホ)を持っていません。厳密にいうと、持ったことがありません。
電話嫌いな性分も理由の一つです。
たいていの方は驚いて、中には「それで生活に不自由ありませんか?」と心配してくれる方もおります。お陰様で結構なんとかなります。
例えば出張で上京することも多いのですが、帰りの際、家内に駅までの迎えの電話をします。
東京駅の中央改札口の周辺には公衆電話が10台近く並んでいますが、最近では使っている方はほとんどいません。私にとっては使い放題です(もちろん使うのは1台ですが)。テレホンカードを使って、○時○分到着予定、遅れる場合にはまた連絡する旨、電話します。また東京で知人と待ち合わせの場合には、「何処何処で○時に落ち合いましょう、変更の場合にはこちらから電話します」と、先方はほとんどスマホを持っていますからそれが可能です。他人のスマホを当てにした「不携帯」のエゴでしょうか(笑)。
ところで、便利な機器を持っていないと、人間はその環境の中でなんとかやりくりしようと算段します。逆に便利なものを持っていると、状況変化への対応を便利な機械に依存してしまいます。それゆえ「便利」なのでしょうが。
スマホもICT(information communication technology)のひとつで、「情報通信技術」と和訳されています。これまで馴染みにあるIT(情報技術)とほぼ同義です(国際的には ICT のほうが定着しているそうです)。
さて、歴史からもわかるように、技術革新は人間社会に多くの恩恵をもたらします。
1760年代の第一次産業革命は主にイギリスで起こり、それまで家畜に依存していた労力を、石炭を燃料とする蒸気機関などの機械に移行し、綿工業など主に軽工業を中心に発展しました。
これに対し第二次産業革命は、19世紀後半から20世紀初頭にかけて、主にドイツやアメリカを中心に起こった産業の変革で、石油や電気をエネルギー源とし、重化学工業(鉄鋼、化学、電気など)が発展しました。
さらに第三次産業革命は、20世紀後半に起こった、主にコンピューターの登場によるいわゆるデジタル化を指し、その結果、ICT、コンピューター、産業用ロボット等による生産の自動化・効率化が劇的に進みました。
ちなみに、現在は第四次産業革命の最中とも言われ、AI(artificial intelligence:人工知能)やIoT(internet of things:物のインターネット)、ビッグデータ等を活用した技術革新が進行しています。
技術革命や進歩は、私たちの暮らしを便利にしますが、一方で先に触れたように、それまで頼っていた人間の身体能力や知覚、感性を鈍化させる恐れもあります。
労働力を機械に依存すれば当然身体を使う機会は減ります。特にここ群馬県は公共交通網が衰退し、クルマへの依存度が高くなっています。その一方で食料は採取しなくても購入することで手に入りますから、足腰の筋力は衰え、贅肉は増えるといった生活習慣病のリスクは高まります。
例えば、ナビが精密になればなるほど、人間の地理感覚、方向感覚は当然鈍るでしょう。使う機会がないからです。
また情報源も、かつての紙芝居や語り聞かせ、そして読書から、U-Tubeや4Kのテレビ放送といった、よりリアルな映像、動画に移行しています。そして情報自体も玉石混交で溢れかえっています。
情報源がリアルになればなるほど、情報量が増える一方で、人間の重要な能力のひとつである想像力を働かせる余地が少なくなります。
例えば私たち日本人は、日本画の余白の風景を無意識のうちに勝手に想像で描写していないでしょうか。フランスの印象派の絵のかすんだ輪郭に、奥ゆかしさを禁じ得ないのではないでしょうか。
ちなみに、「奥ゆかしい」とは、もともと「奥」と「ゆかし」からできた言葉ですが、「ゆかし」とは「知りたい」「見てみたい」といった意味で、「その奥を知りたい」と、人の好奇心をくすぐる様を表現した言葉です。そこに人は雰囲気や温もり、あるいは好奇心を感じるのでしょう。
人間の能力でも、必要ないもの、あるいは使わないものは廃用萎縮といって、退化していきます。
情報を入手しながら、足りない部分を頭の中で想像して補完する、これは人間ならではの、あるいは人間らしい知的作業と言えないでしょうか。
また想像は、「明るい声」というように聴覚を視覚的に表現し、あるいは嗅覚を視覚的にと、一つの感覚から得た情報を五感に拡げるものでもあり、これは人間に与えられた希有な楽しみでもあります。
21世紀になって、素手の四半世紀が過ぎようとしています。
残念なことに、世界のあちこちで戦争や紛争、内乱が絶えません。
人類が地球上に現れてから懲りずに行なっている低俗な喧嘩であり、戦さです。
道具が原始的なものであれば死傷の規模もそれなりだったでしょうが、テクノロジーが発達した現在では、その規模はとてつもなく大きくなっています。原爆然りです。
ひとり、あるいはその取り巻きが自らの都合で戦争を引き起こすと、それによる犠牲者の数は計り知れません。
人間の叡智を結集させ、もっと賢いやり方で思想、宗教、政治の違い、利害の対立を解決できたらと、ニュースを見るたびに思います。
私は、テクノロジーの発達を否定しません。
人間の記憶力やその量は、残念ながらコンピューターには全く歯が立ちません。
しかし、知識は豊かな未来を創造するため、そして人生を豊かに楽しむために必要なものです。
過去の過ちに懲りない人間は、過去の教訓、つまり知識を活かせていないという意味では、機械にも劣ると言えないでしょうか。
人類の発展という意味でも、「テクノロジーとの共存」ということを常に意識し、人類の未来のためにその利用の仕方を考えていく必要があると思うのです。
自ら作り出したテクノロジーで自らの破滅を招く---こんな未来だけは御免被りたいものです。
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