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自身が高齢化したせいか、最近の院内だよりでは高齢化や老化について書くことが多くなりました。
若い方には申し訳ありませんが、一方で「子供叱るな来た道だもの 年寄り笑うな行く道だもの」という諺もあります。
以前、アンチエージングという言葉が流行りました。
その後、アンチエージングからスローエイジングという言葉が使われるようになりました。
アンチとは「反」「逆」「対」という意味になりますが、生物には成長、成熟、老化、死というライフサイクルがありますから、少なくともそれに逆らうことは非現実的です。
「スロー」は特に人生後半、老化の進行を緩やかにするという意味で、これなら環境や自らの生活習慣、思考パターンを改善することで実現できそうです。
老化の進行抑制を、身体面と神経性からアプローチしていきましょう。
まず、最近ではフィジカルという言葉が一般化しつつある身体面から。
さて私が生まれた1950年代、電気洗濯機、電気冷蔵庫、電気掃除機が「三種の神器」と呼ばれ、庶民の豊かさの象徴であり、文字通りこれらの普及により、それまでと人々の生活が大きく変化しました(その後「三種の神器」は、掃除機に白黒テレビが取って代わりました)。
生活のほとんどを家事に携わっていた女性が、その労働からかなり解放されました。
おそらくそれまでは、家事自体が相当の肉体労働であり、健康のためのウォーキングやダイエットなどという概念はなかったはずです。
その後、リモコンやタイマーの開発普及により、自ら動かなくても手元で目的の操作ができるようになりました。さらに現在はネットでの操作等、便利さの追求はとどまるところを知りません。
一方でその便利さと引き換えに、私たちは自らの筋肉を動かす多くの機会を失いました。
今後、日本の人口減少が進む中、AIがさらに人間の肉体労働を肩代わりする時代になるでしょう。
それは、18世紀後半から19世紀初頭に起こったイギリスの第一次産業革命(蒸気機関と軽工業化)と同様の流れであり、第三次産業革命と言われています。
生物は、自身の生命を維持するために、食行動をします。
人間も生物である以上、エネルギーを得るための行動、言い換えれば運動が必然のはずですが、幸か不幸かそれが不要、あるいはその比重がかなり少ない環境になってしまいました。
つまり、意識しないと運動不足になる状況の中で私たちは暮らしているわけです。
さて、万歩計という言葉から、1日1万歩歩かなければという先入観がありますが、それは誤解です(高齢者はそこまで歩く必要はないというのが最近の考えです)。
時速4~5kmの速さで歩くと一万歩は約80~120分の運動、距離にして7~8kmとなります。
これを毎日続けられる方は、ある意味アスリートか哲学者です。
私は意志の弱い人間ですから、もっと気軽に「ーーーしながら」あるいは「ーーーついでに」体を動かすように努めています。つまり、それを実行するために新たに時間を作ることはしない、という横着な考え方です。
例えば、ドライヤーで髪を乾かしながら、あるいはテレビのCMの時間に腿上げやスクワットをしています。また、エレベーターはできるだけ使わず、階段を使うようにしています。
物を取りに行くとき「面倒だな」と思わず、「これで体を動かせる」と思うようにしています。
我が家には植物がたくさんありますが、水やりをするとき、近くの水道の蛇口にホースをつけるのではなく、ちょっと離れた所にある雨水を溜めたタンクからジョウロに水を移し、それを運んで水やりをしています。ジョウロには7、8リットルの水が入りますから、数回の往復で結構な労働、つまり運動になります。
そんな「なんちゃって運動」ですが、ちなみに私の平日1日の歩数は万歩計で6000~7000歩になります。これなら無理せず、根性も要らず続けられます。
次に、精神面の老化抑制について。
「若い頃は良かった」という言葉をよく耳にしますが、冷静に考えてみて、若い頃は薔薇色だったでしょうか。今より、不安や悩みは多かったのではないでしょうか。
少なくとも私は、あの苦しかった学生時代には戻りたいとは思いません。
不安は今のほうがずっと少ないし、困難を乗り越えてきたという自負があります。
多くの経験を積んできた分、予想外の出来事も少なくなったし、遭遇する出来事もおおよそ想定内に収まるようになってきた・・・これが高齢化の強みです。
また、若い頃なら自分を良く見せようという意識がありました。
さすがに70歳を過ぎるとそういった気取りは全くない、といったら嘘になりますが、基本的には、自身の風貌や雰囲気で他人に不快な思いをさせないようにしようと意識しています。
その意味では、人に会うことは貴重なモチベーションになります。
ずっと家にいて人に会わなかったら、自身の外見を気にすることはないでしょう。必要がないからです。
自然体だといえばそれまでですが、人間は社会性をもった生物です。
社会性とは、他人との関係の中で生きているということで、誤解を恐れずに言うならば「他人に対する自分を意識する」ということです。
その中には、自らが他人から見られることを意識するということも含まれます。
年齢を重ねると、容姿は衰え当然若い頃と比べるべくもありません。それは嘆いてもしかたありません。しかし一方で、歳を重ねたらそれなりの立ち位置と存在感が出てきます。
ファッションデザイナーのココ・シャネルの言葉に、
「20歳の顔は自然の贈り物、50歳の顔はあなたの功績」
というのがあります。また随筆家で白洲次郎夫人の白洲正子は、
「顔立ちは生まれつき、顔つきは作るもの」
と言っています。米国大統領のリンカーンもまた、
「40歳を過ぎたら自分の顔に責任を持て」
と、同じような意味の言葉を残しています。これらはどれも、生き方が顔に表れるという意味でしょう。
自身を客観的に俯瞰した名言であるとともに、それなりの年齢になってはじめて説得力を持つ言葉ではないでしょうか。
事実、高齢化すると若い頃では醸し出せない風格というか、味わいが出てきます。
それは、多くに経験を積んだ落ち着きであり、いわゆる年の功というものでしょう。
若い時に高級品を身につけたり高級車に乗っていても不釣り合いで自己顕示欲にしか見えませんが、同じものでもそれなりの年齢の方が身につけていると素敵に映るものです。
歳を重ねた時こそ、品格のあるおしゃれをしたいものです。
また一方で、心を若く保つことも大切です。
心が若いということは、感性を失わないことではないでしょうか。
具体的には、ものに対する興味や好奇心、感動する心を失わない、そして好きなことを続けることです。
朝起きて、空気の新しさを感じる心、今日何が起こるかとワクワクする心、これまでに経験したことと似たようなことが起こっても、その中にどこか新しさを発見する心、そんな柔らかい感性をもって生きていけるなら、高齢化もまんざらではないと思います。
起こることは同じでも受け取る心であり様が変わる、どうせなら自身も含め肯定的にとらえ、生活を人生を楽しみながら謳歌したいものです。
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