海の日

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今日は海の日。

といっても、関東では梅雨明けまでもう少しかかりそうです。

ただここ数日、午後から夕方にかけて車軸を流すような豪雨に見舞われていますから、梅雨明けも間近といったところでしょうか。

私事ですが、先週、群馬県保険医協会の会長に選任され、それに伴う行事等でやや緊張気味に過ごしていましたので、この週末連休は、久々にホッとした時間を満喫できました。

写真は海の日にちなんでスカイブルーです(ちょっとこじつけですが)。

道を挟んだ隣の家のアガパンサスです。この名前もやっと調べた挙句に見つかりました。日本名はムラサキクンシランというそうです。じつは、意外にもヒガンバナの仲間だそうです。

なぜ調べたか?

診療室から見えるこの花の名前を患者さんから聞かれるからです(自分で植えたものではないんですが)。

毎年この時期、一ヶ月以上清々しい色の花を咲かせます。

鬱陶しい時節柄、ツユクサやアジサイの花色と同じく、目に涼しさを運んでくれます。

 

 

「そうだったのか!語源」①

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私が多少、語源について興味がありそうだということで、語源にまつわるエピソードを連載で語って欲しいとの依頼を受けた。

もともと知ったかぶりをする「たち」なので、二つ返事とまではいかなくとも、一つ返事くらいでお引き受けすることにした。

さてここですでに、「エピソード」と「たち」という気になる言葉が出てきた。

それはまた後で触れることにして、私が語源に興味を持ったのは、物事の「イデア」(また気になる言葉が出てしまった)を理解すると、それに関連する事柄の共通点を知ったり、あるいは知らない言葉に遭遇した際に、自分が知っている言葉に分解してある程度その意味を類推するという楽しみを知ったからである。また、時代の流れとともにもともとの意味とは違った意味になってしまった言葉もあり、それはそれで言葉の歴史を知る楽しみでもある。

さて、この「イデア」とは、ギリシャ文明のプラトン哲学の中心概念とされるものである。英語のidea(考え、着想)の語源で、もともとは概念といった意味合いのようである。つまり、物事をそれたらしめている根拠となるものということになる。人が犬を見たとき、それを猫ではなく犬と判断するのは、犬には犬のイデアがあり、それは猫のイデアとは明らかに違うからである。

ま、そういった言葉、あるいは概念の連鎖といったものが世界の広がりを感じさせ、すこぶる楽しいのである。

初回は、まず我々の仕事場である医療に関する字として、「医」の旧字である「醫」の成り立ちについて触れてみたい。漢字の字形を分析することを解字というが、「醫」の解字から始めてみる。

「医」は矢をしまい込む箱=うつぼを表し、右上の「殳」部分は、手に木の杖を持つという意味で、この二つで「エイ」と読み、矢を隠す動作(医療のまじないと考えられる)を表し、この下に酒壺に薬草を封じ込め、薬酒とする意味の「酉」がつき、これがもともとの「醫」という字を構成している。が、これでは解字としてあまり面白くないので私の勝手な解釈をご紹介したい。(権威ある研究者ではないので、間違いはご容赦願いたい)

ちなみに、「医」は「醫」の左上1/3の部分を切り取ったものであるが、日本の漢字にはこういった略字は幾つかある。

「1ヶ月」というときの「ケ」は「箇所」の「箇」の冠のひとつ(かなり省略している)を使ったもの、「巾」は「幅」の偏(へん)の部分といった具合である。一部を切り取った略字というものは、もはやそれ自体に意味を持たないものも多い。

さてここで、「医」は主に医療技術を指すとしよう。右上の「殳」は「役」の旁(つくり)から「役に立つ」の意味で奉仕の心を指す。下の「酉」は「酒」の旁から癒しの心を指す。

そうすると、医療は医療技術と奉仕、それに癒しの心があって成り立つものと考えられないだろうか。

とりわけ昨今の歯科では、最新医療、先端医療といったこの中の技術の部分に重きが置かれ、奉仕と癒しといった重要な要素が後回しにされてきた感がある。最近医科から注目されつつある周術期歯科医療、在宅歯科医療では、奉仕と癒しの歯科医療が重要性を増している。

いまは、もう一度医療の原点に立ち戻り、歯科医療の市民権を獲得すべきときではないだろうか。

(群馬県保険医協会歯科版掲載のための原稿)

ゴールデン ウィーク

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今年のゴールデンウイークは、天候に恵まれました。

だからといってどこかに出かけたわけでもなく、ほぼ日常の環境の中で、庭いじりや、書類の整理、そして親しい人たちと時間を共有しました。木漏れ日の下、テーブルを外に出し、風の音や鳥のさえずりを聞くだけでも、かけがえのないひとときを満喫できます。

暑くもなく、寒くもなく—でもそんな心地よい気候は長くは続かないものですが。

さて、1枚目の写真は、診療所の玄関前で、モッコウバラが満開です。手前の斜めに伸びたオリーブの木は年々スロープに覆いかぶさり、そろそろなんとかしなければ、と毎年考えています。

2枚目は、庭のフジの花。ミツバチの羽音が聞こえてきそうです。

最後の1枚は、ブルーベリーの花後の状態。これからもとの部分が膨らんで夏にはあの甘酸っぱい実をたわわにつけます。

 

遅ればせながら、桜満開

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昨日の日曜(4月9日)は大気の状態が不安定で、午前中は雨混じりの強風が吹き荒れていました。

午後になると雨は止みましたが、風は相変わらずで、例年よりやや遅く満開を迎えた桜の花が、必死に枝にしがみついているようでした。

それでも雨のおかげで澄み切った空気により、前橋のシンボル赤城山をすっきり望むことができました(写真は、自宅近くの桃ノ木川に架かる橋から撮ったもの)。

これから、ハナミズキ、バラと、開花が続き、一年で最も華やいだ季節を迎えます。

私が生理学の非常勤講師をしている中央歯科医療専門学校でも、今週から新入生の講義が始まります。どんな学生と会えるか、今から楽しみです。

いつの間にか—春

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いつの間にか—すっかり春めいてきました。

昨年は今頃、桜は満開を過ぎていましたが、今年はここに来て冷え込む日々が続き、開花が遅れ、逆に花を楽しむ期間が若干長くなりそうな、そんな気配があります。

さて今回は、ここのところ数回紹介しているジョウビタキ、また登場です。

私に心を開いてくれたのか、庭に出るたびに近づいて来てくれます。うれしくなります。

しかし今回の主人公はバックのユキヤナギです。

ユキヤナギはバラ科で、5枚の花弁で、桜や梅、梨などと同類です。

もう一つの写真は、裏庭に咲くツツジ科の「春一番」です。

春一番といえば、春本番前の最初の強い南風の呼称ですが、それはそれとしてやはりこの鮮やかなピンクは春の到来を実感させます。

地球温暖化が取り沙汰される昨今ですが、それでも日本はまだ四季を感じる風情があります。

この風情と感性を大事にしていきたいものです。

 

 

冬から春へ

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2月も残りわずか。

寒い日もありますが、さすがに前橋では最低気温が氷点下になることはほとんどありません。

その分、今年は春二番、三番と、強風が立て続けに吹き荒れました。冬季節風の強い当地でもびっくりするような風でした。

この時期穏やかな日中にそっと窓を開けて深呼吸すると、時々春の香りがします。おそらく気温と湿度が上昇したため、地面に含まれていた水分が地上に出てきた匂いではないでしょうか。この「春の気配」がとても好きです。

さて写真は、つい先日庭にやってきたモズと、今朝咲いていたクロッカスです。

俳句では、モズは秋、クロッカスは春の季語ですが、モズは冬からたちの棘にささった早贄(はやにえ)のイメージがあるので、この2枚の写真で季節の変わり目を感じていただけたらと思います。

もうすぐひな祭りです。

 

 

ジョウビタキ

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今日は1月15日。かつては成人の日でした。

朝起きてみたらなんと、雪が降っていました。センター試験の2日目、受験生は大丈夫でしょうか。

実は本日、49回目の父親の命日なので、仏壇にお線香をあげました。父親は享年39歳でしたから、私は随分長生きしています。まずそれを感謝しなくてはなりません。

さて、写真は3日前玄関に出たところ、いつものジョウビタキが現れました。ちょうど近くにカメラがあったので構えたところ、足元の飛び石のところまで近づいてきました。その距離1m。夢中でシャッターを切りました。こんな近くで小鳥を見られるなんて滅多にないことです。なにかいいことがありそうです。

まずは雪が積もりませんように。

大晦日の訪問者

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月並ですが、今年も はや大晦日を迎えました。
ほんと、時の流れは年ごとに速くなり、地球の自転と公転が早まったのではと思う今日この頃です。
CDコンサートが終わると、クリスマス、大晦日と駆け抜けるように時が流れ、立ち止まる間もなく新年を迎えます。
まずは、62歳というこの歳まで無事に生きて来られたことを感謝しなくてはなりません。
今年は珍しく、年の瀬の原稿書きが早めに済んだため、家や庭の手入れをする時間がとれました。
ベランダの手すりの塗装、バラをはじめ庭木の剪定等、汗が出るほど本気でやりました。
その間、チッチッと、ジョウビタキが2mほどの距離まで近づいてきて、疲れを癒してくれました。シジュウカラやモズも庭には来るのですが、これほど近くまでは寄ってくれません。

ともあれ来年もよい年でありますように。

師走のCDコンサート 2016

IMG_4350_edited-1IMG_4348_edited-1 さて、早いもので(ほんと、この歳になると年の瀬が来るのが毎年早まっているような気がします)今年も師走のCDコンサートを迎えました。

25回目を迎えたこのコンサート、今回は7名の参加で、参加してくださる方はもう常連の方が多く、たまに一方くらい新規の方がみえます。 それがまた楽しみです。中には、この集まりが師走の風物詩のように思ってくださる方もいて、なんだかその方の生活の一部になっているようで、開催側の冥利に尽きます。

今年のプログラムは、下記の通りです。

ちょっと土地の匂いのする曲を中心に視聴していただきました。

実はこのプログラムの前に、江差追分とドップラーのハンガリー田園幻想曲をネット動画で流して、その趣旨を感じていただきました。

シルクロードで繋がっているような、単なる偶然のような。

Izzyのこぶしの利いた歌い回し、M.マチューの「r」の極端な巻き舌も、その土地独特のものとしてご紹介いたしました。

———————Program—————

  1. A.ヴィヴァルディ作曲 協奏曲集「四季」

    D.ゼペック(Vn&Dir.)

    ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ベルリン   

  1. J.S.バッハ作曲 イギリス組曲No.3 ト短調 BWV 808

    ルドルフ ブッフビンダー(P)              

  1. G.F.ヘンデルLascia Ch’io Pianga  

       The Last Rose Of Summer

          Izzy (vocal)           

  1. スメタナ作曲 交響詩「モルダウ」 

     ベルリン・フィル ワルトビューネコンサートから

         ベルリンフィルハーモニー管弦楽団  (BD)    

  1. J.ハイドン作曲 弦楽四重奏曲No.77 ハ長調 op.76-3「皇帝」

     イタリア弦楽四重奏団           

  1. E.ラロ作曲 スペイン交響曲 op.21

         オーギュスタン・デュメイ(Vn)

     ミシェル・プラッソン指揮

     トゥールーズ・カピトール管弦楽団      

  7.ミレイユ ・マチュー     (「エディット・ピアフ」から)

    バラ色の人生  群衆                                               

  1. ア・カペラ(フィンランドの賛美歌集より) 

    あなたに感謝します、わたしの神よ

    我が主よ、あなたに向かって

      タウノ・サトマー指揮 カンドミノ合唱団

 

 

 

最強のアシスタント

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私は35歳の時、いわゆる老眼(専門の方は「老視」というそうです)と診断されました。

30歳代で病名に「老」の字がついたという事実は、当時かなりショックでしたが、仕事熱心ゆえの職業病だと慰めて、無理矢理納得していました。

実は私のコンタクトレンズ歴は長く、20歳から50歳までで、しかもその間、一度も紛失したことがないというのが自慢でした(もちろん度を変えたことはありますよ)。

その後はメガネにしましたが、現在まで3種類、家の中用、運転用、そして診療用をTPOで使い分けています。

そして普段の診療中はメガネにさらに2倍の拡大スコープを取りつけて使っています。

その他必要に応じて、単体で2.5倍、3倍、そして5.5倍の拡大スコープを使っています。

しかし、作業によってそれらをいちいちかけ替えるのは実に面倒です。

さらに、LEDで軽いとはいえライトを装着すると、鼻にかかる重さは相当なものになります。

今年4月、たまたまあるデンタルショー(歯科用品の展示会)で倍率が3段階に切り替えられる拡大スコープ(写真)を見つけ、一目惚れしてしまいました。これはスルーザレンズといって、拡大レンズ自体が防塵レンズを貫通しているため、重心が顔面に近づき、すなわち鼻にかかる重さが軽減するのです。しかし当然瞳孔間距離を測定してのオーダーメイドのため、時間がかかり価格が跳ね上がります(ちなみに防塵レンズにも度が入っているため、40万円以上になります)。でも、見たいものが見られる—背に腹は代えられません。

一度目は瞳孔間距離が合わず、再製に出して先日やっと手元に届きました。今度はピッタリです。嬉しくてたまりません。現在、慣らしで使っていますが、診療がまた楽しくなりそうです。