モーツァルト その2 -ピアノ協奏曲-初めて買ったモーツァルトのレコード-

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 今回から、特に私の好きなモーツァルトの作品をご紹介したいと思います。
 おそらく、クラシックを聴く方なら皆さんご存じの曲ばかりかと思います。
 そしてもし初めての方にはぜひ聴いていただきたい曲でもあります。
 さて、モーツァルトの魅力が最も出ているジャンルはといえば、おそらくピアノ協奏曲とオペラではないでしょうか。(独断と偏見です)
 今回はそのうち、ピアノ協奏曲の中から1曲を取り上げてみたいと思います。
 やはり!と思われる方も多いことでしょう、20番ニ短調(K.466)です。
 1785年、モーツァルト29歳の絶頂期に書かれた作品です。
 私事で恐縮ですが、私にとってこの曲は特別な1曲なのです。
 学生時代にどうしてもステレオが欲しくて、バイトまでしてやっとのことで手に入れました。
 手に入れたものの、有り金全部はたいたため残金がほとんどなく、当面1枚のレコードを買うのが精一杯という有り様。
 折しも、学生生協で当時珍しいレコードのバーゲンをしていて、そこで一番手前にあったのがこの20番。ウラジミール・アシュケナージのピアノ、ハンス・シュミット・イッセルシュテット指揮ロンドン交響楽団による演奏でした。
 ステレオはもちろん、レコードも新品、針をおろす瞬間の緊張は今でも覚えています。
 初めて耳にした曲だったのですが、第一印象は、これがあの(それまではとにかく流麗で明るく、時には軽薄というイメージがありました)モーツァルトの曲なのかというショックにも似たものでした。
 第一楽章、いきなりシンコペーションで始まる陰鬱な冒頭部分、変ロ長調の第二楽章で天国的な美しいメロディーから突然フォルテで短調に転調する中間部、第三楽章の激しい上昇主題等、「優雅なモーツァルト」のイメージを一掃するに十分でした。
 偶然ですが、モーツァルトにとってもこの曲は特別な意味を持った曲なのです。
 というのは、ピアノ協奏曲において、ピアノとオーケストラの完全な一体化はこの曲から始まったからです。
 それ以前のピアノ協奏曲は、独奏者を際立たせ、優雅な社交的ムードに包まれたものが一般的でしたから、この20番の協奏曲は当時は画期的挑戦的な作品だったのです。
 息もつかせない緊張で終始する第一、第三楽章、これと好対照の第二楽章の夢のような旋律と暗雲のような中間部、まさに血気盛んな「青春のモーツァルト」を象徴する傑作です。
 「モーツァルトは退屈だ」と悪口を言う方もおりますが、もしまだでしたら、この曲を聴いていただきたいと思います。
 この曲に関する限り、その表現は不適当であることがおわかりいただけると信じています。
 あのベートーベンもこの曲を愛し、第一、第三楽章に自らカデンツァ(即興的に独奏楽器のみで演奏する部分)を作曲しており、現在もよくこのカデンツァが演奏されています。
 ちなみにこの年には、モーツァルトは計7曲のピアノ協奏曲を手がけています。
(モーツァルトは、一定の時期に一つのジャンルの作品を集中して手掛ける習慣があります)
 またこのジャンルでは、24番にもう一つ短調のものがあります。20番と比べると音楽としてはより完成度を高めているとの評価がありますので、比較して聴いてみるのもおもしろいでしょう。
 さて、私の知る範囲で名盤(CD)をご紹介します。
 古いものでは、クララ・ハスキル(P)とラムルーオーケストラのもの、フリードリヒ・グルダ(P)とウィーンフィルのもの、ウラジミール・アシュケナージ(P)とフィルハーモニアオーケストラ、そして内田光子(P)とイギリス室内オーケストラのものがすばらしかったように思います。
 いろんな演奏者のものを聴き比べるというのもなかなか興味深いものです。
(写真左:モーツァルト愛用のピアノ)
                  (1995年2月群馬県保険医新聞掲載のものに加筆)

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