モーツァルト その5 -心地よい流麗さーディヴェルティメントニ長調-

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 今回は、セレナードとディヴェルティメントに触れてみたいと思います。
 これらはともに、モーツァルトの時代に愛好された祝典的な「機会音楽」(儀式などのイヴェントのための音楽)のジャンルに属するものです。
 セレナードは、日本語では「小夜曲」と訳されています。語源については諸説紛々あるようですが、一説によると、イタリア語の「夜」の意味「sera」から派生したといわれています。
 夜の音楽、つまり若者が、恋人の住む家の窓辺の下でギターやマンドリンを弾きながら愛の歌を捧げる、いわば小鳥のさえずりのような歌をそのように呼んだそうです(ですから大声ではいけない、小夜曲なのです)。 説得力がありますね。
 しかし18世紀のオーストリアでは、セレナードという音楽は語源とは大きく様変わりし、より大規模で華やかなものをさすようになりました。モーツァルトの時代には、結婚式などの私的な行事や公的な行事の際に、オーケストラによって野外で演奏される音楽を「セレナード」と呼ぶようになったそうです。しかし、基本的には夜の音楽だったようで、そういえば、あの有名な「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」などは、まさに「小夜曲」がその直訳であるような名称ですね。
 一方ディヴェルティメントは、元来「気晴らし」を意味していますが、日本語では「嬉遊曲」と訳されています。医学用語でも「diverticulum 」は「憩室」を意味していますから、本道からちょっと脇に入った「ほっと気が抜けるようなもの(所)」をさしているのでしょう。
 先にも述べたように、セレナードと類似のジャンルに属していますが、より編成の小規模なものをさすことが多いようです。
 とはいっても、ほとんどセレナードに近い編成のものから、室内楽のようにこじんまりとしたものまで色々です。
 今回はそのこじんまりとしたものの中から、モーツァルト自身が「ディヴェルティメント」と銘打った3曲、そしてとりわけ私が気に入っている1曲をとり上げてみたいと思います。
 これらは、ディヴェルティメントニ長調K.136、変ロ長調K.137、そしてヘ長調K.138の3曲で、1772年の作曲です。
 ディヴェルティメントは小規模だとはいっても普通は5〜6楽章からなる編成です。しかしこの3曲はどれもメヌエットなしの3楽章からなり、特にコンパクトな構成です。
 そして、どこまでも明るく澱みのない音楽であることも、一聴してモーツァルトの曲とわかる、これら3曲の魅力です。
 余談ながら、当時の社交的機会音楽に必須のメヌエットを欠いていたということは、厳密にいうと、これら3曲は本来ディヴェルティメントというジャンルから逸脱した存在といえるかもしれません。
 このうち、最も流麗なニ長調K.136は、学生時代に初めて聴いた時は、正直ほとんどインパクトはありませんでした。
 悩み多き青春時代、明るすぎ、美しすぎる曲には、一種の軽薄な印象を抱きこそすれ、決して同調はし得なかったような覚えがあります。しかし30歳を過ぎた頃からでしょうか、いつしかその「軽薄さ」が「軽快さ」に変わり、一日の疲れを癒してくれる滋養効果を醸してくれるようになりました。
 第1楽章はとにかく明るく軽快な旋律で、音符が五線譜の上を蝶のように飛び回っているという表現がまさにぴったりで、アンサンブル(楽器と楽器の絡み合い)が見事です。また、展開部のわずかな短調が塩味になっています。
 第2楽章は、アンダンテの3拍子、雨あがりの青空のようなすがすがしさが魅力的です。
 第3楽章の冒頭は、4小節のリズムの導入、それに続く旋律は第1楽章のそれによく似ていますが、小気味よく力強い旋律です。展開部のフーガが旋律の軽さを引き締めています。
 演奏者では、どこまでも精緻な演奏を聴かせるフィルハーモニアカルテット・ベルリン(ベルリンフィルの各パートの第一人者たちによる構成)、正確な中にも柔らかさをもったルツェルン弦楽合奏団による演奏が印象に残っています。
 コンパクトな曲ですから全体像がつかみやすく、ややもすると長大というイメージのクラシックのジャンルにおいては、とっつきやすい曲の筆頭にあげられると思います。
(写真はモーツァルト生誕の地-ザルツブルグ)
     (1995年群馬保険医協会新聞4月号に掲載されたものに加筆)

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