そうだったのか語源㊱   —日本の地名 その1 北海道から—

そうだったのか語源㊱   —日本の地名 その1 北海道から—

 以前、語源⑬で国名の由来について触れたことがあった。

 灯台下暗しで、日本の地名についてもっと早くきちんと扱うべきだったと、今更ながら思う。日本人として、自国の地名の由来くらい知っていて損はなかろう。

 まずは北の北海道から。

 都道府県で、北海道だけ都でも府でも県でもなくなぜ「道」なのか。

 「道」とは、律令国家の地方行政の基本区分だったそうである。中国のそれに倣い、日本では7世紀後半に成立した。

 当時の都、つまり京都に近い山城、大和、河内、和泉、摂津を畿内(きない)五カ国とし、それ以外を東海道、東山道、北陸道、山陰道、山陽道、南海道、西海道の七道に分けた。これを五畿七道と言った。この「道」は、道=みち以外に、それを含む周辺の広域な地域をも意味していた。ただしこの当時、この「道」の中に北海道は含まれていない。

 明治2年(西暦1869年)太政官布告前、北海道は蝦夷が島(えぞがしま)、あるいは蝦夷地(えぞち)と呼ばれていた。「蝦夷」とは華夷(かい)思想に基づく異民族をさす。華夷思想とは中華思想と同意で、中国(=華)が世界の中心で、それ以外を文化の低い夷狄(いてき)とする思想である。

 それまで北の国境の意識は薄かったが、当時ロシアの進出を意識し、明治政府より新名称をつけるべきとの意見が上がった。新名称候補として、日高見(ひたかみ)・北加伊(ほっかい)・海北・海島・東北・千島が上がった。

 そのうち、北加伊の「加伊」を「海」と変更し、七道で馴染みのあった「道」をつけ、北海道としたそうである。ちなみに「加伊(カイ)」は、アイヌの古い言葉で「この地に生まれた人」という意味があるという。

 さて、北海道には常用の音訓読みでは読みにくい地名が多いが、これは北海道の市町村名の約8割がアイヌ語由来のためである。漢字で表記されているものが多いが、これは全くの当て字で、読みは元のアイヌ語に似せているものの漢字自体の意味はない。

 よく知られている地名を挙げてみる。

 札幌は、アイヌ語の「サッ・ポロ・ペッ=乾いた大きな川」から。小樽は、「オタ・オル・ナイ=砂浜の中を流れる川」、苫小牧は、「ト・マク・オマ・ナイ=沼の奥にある川」、室蘭は、「モ・ルエラニ=小さな下り坂のあるところ」、稚内は「ヤム・ワッカ・ナイ=冷水のある沢」、そして知床は「シレトク、またはシレトコ=地の果て」といった具合だ。

 大雑把に言って、「別」「幌」「内」がつくとアイヌ語で川や沢を、「平」は崖を指すようである。

 函館について。

 室町時代に、津軽の豪族が函館山の北斜面の宇須岸「ウスケシ=『入江の端』『湾内の端』を意味する『ウスケシ』・『ウショロケシ』」に館を築き、その形が箱に似ていることから「函館」と呼ばれるようになったとの説がある。他に、アイヌ語の「ハクチャシ=浅い、砦」に由来するとの説もある。

 帯広は、アイヌ語の「オペレペレケプ=川尻がいくつにも裂けているところ」がなまって「オベリベリ」、それが帯広になったと考えられている。

 ちょっといわくのある地名に旭川がある。道内札幌に次ぐ人口第二の大都市である。市内を流れる川をアイヌが「チュプペッ」と呼んでいた。これには「忠別」の漢字を当てた(現在も忠別川と呼ばれている)が、意味は「太陽の川」で、意訳すると「日が昇る川」、そしてこの意味を尊重して「旭川」と命名した(1890年)。アイヌ語に由来する北海道の地名としては、漢字が表意である稀なる例である。一方この「ペッ」が川を意味しているので、忠別川は川を意味する字が重複していることになる。

 もっとも、利根川を「Tonegawa River」と英訳するのであるから、間違いとは言えまい。

 釧路もアイヌ語由来ではあるが、諸説紛々あるため、ここでは割愛させていただく。

 さらに、北海道の北にある樺太(からふと=サハリン)は、アイヌ語で「カムイ・カラ・プト・ヤ・モシリ=神が河口に造った島」に由来し、そこから「カラプト」そして「からふと」になったとされている。

 樺太の東に広がるオホーツク海。この「オホーツク」はロシア語で「狩猟」を意味し、ロシアのハバロフスク地方にある人口約3000人の小さな町の名に由来する。

 返還問題が長年続く北方四島だが、これらの呼び名もアイヌ語に由来している。

 歯舞は「ハ・アプ・オマ・イ=流氷が退くと小島がそこにある所」、色丹は「

シ・コタン=大きな村」、択捉は「エトゥ・ヲロ・プ=岬のある所」、そして国後は「クンネ・シリ=黒い島→黒い島、あるいはキナ・シリ=草の島」とされている。

 最後の国後の当て字は、まさに言い得て妙である。