そうだったのか語源㊳   —日本の地名 その3 東北地方-2—

 次は、秋田県と山形県について。

 秋田の名は、米の「あきたこまち(平仮名)」の名前からも、由来は容易に想像できる。

 と思いきや、調べてみるとそう単純な由来ではないらしい。

 一説では、低湿地で農業に不向きな「悪田(あくでん)」を意味する「飽田(あきた)」から始まり、奈良時代に「秋田」という漢字が当てられたといわれている。

 また、出羽国に古代から秋田郡からという説。

 平安時代に編纂された「和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)」では秋田の読みは「あいた」とある。

 さらに古くは「あぎた」と読んでいた。

 「秋田」の字は当て字なので、地名の由来とは無関係。

 秋田の地名由来は、「あぎ」は「上げ」から転じたもので、高くなっている土地を意味する。

「た」は場所を意味する「と」が転訛したもの。

 つまり「秋田」の名前の由来は「(周辺よりも)高くなっている場所」という説。

 さらに、飛鳥時代の斉明天皇4年(658年)に阿倍比羅夫の日本海遠征の際、この地を訪れ地名を「齶田(あぎた)」と報告したことに由来するというもの。「齶田(あぎた)」はアゴに似た地形からつけられたともいわれており、雄物川河口部の古い地形のことを示しているとの説もある。

 さて、私が小学校の頃、日本で一番広い湖は琵琶湖、2番目は八郎潟、3番目が霞ヶ浦と習った記憶がある。男鹿半島のつけ根に、大きなうろのような八郎潟があった。ちなみに八郎潟は今でも秋田県にある。が、干拓で面積は当初の20%になり今やその存在感は薄れてしまった。

 この頃、つまり60年前は日本の人口の増加傾向が続き、その食料需要に対応するため、しきりに干拓が行われた。今の減反政策とは真逆の農政である。特に、秋田県の八郎潟と岡山県の児島湾が有名だった(覚えがある)。潟というくらいだから遠浅で、干拓には好都合だったのだろう。今は大潟村として、かつての広く浅い湖の名残りがかすかに村名に残されている。

 八郎潟の名前の由来は、人から龍へ姿を変えられた八郎太郎が棲家としたという伝説によるとされている。

 次に、秋田には能代、米代川と、「代」がつく地名がある。

 歴史は古く、「日本書紀」に、「斉明天皇4年(658年)4月、越国守阿倍比羅夫が軍船180隻を引いて蝦夷を伐つ、齶田(飽田)・渟代二郡の蝦夷望み恐じて降わんと乞う」と、渟代の名が出てくる。当時の読みである「ヌシロ」の地名の由来を、アイヌ語で「台地の上の草原地」を意味する「ヌプシル」(nup-sir) からの転訛とする説もあるが、秋田の地名の由来とも合致する。

 その後「続日本記」では、「渟代」から「野代」へと表記が変わっている。

 野代から現在の能代への漢字の変遷は、元禄7年(1694年)および宝永元年(1704年)に大震災が起こり、「野代」という地名が「野に代わる」と読めることから、「よく代わる」と読める「能代」と改めたとある。

 もう一つ、「代」がつく名前に米代川がある。雄物川と並ぶ秋田県の大河だが、米代川の語源は「米のとぎ汁のような白い川」からとの説がある。

 上流に住んでいた人たちが川で米をといで川が白くなったという説や、源流にいただんぶり長者(だんぶり=トンボ 地域の伝説の長者)の米のとぎ汁だとする伝説もある。また、915年、十和田湖火山が大噴火を起こした際の火砕流や火山灰で白く濁った川の色が語源との説も。

 私は学生時代仙台で過ごしたので、秋田県の「仙」のつく地名に興味がある。

 大仙市は、秋田県南東部に位置し、2005年に大曲仙北地域の8市町村が合併し誕生した市である。「大仙」の名前は、「大曲市」と「仙北郡」の頭文字からとった地名である。ちなみに大曲とは、雄物川の蛇行に由来しているという説と、地域に生息していた麻を刈ったことから「大麻刈」、それが大曲となったという説がある。

 では仙北市とは。

 仙北市は秋田県の東部中央に位置している。2005年、仙北郡角館町・田沢湖町・西木村が合併し仙北市となった(命名にかなり紛糾したようである)。

 名前の由来は、「仙北」は古い資料では「山北」「仙福」「仙乏」と表記しているが、「仙」は仙台とは関係なく、「山」あるいは仙人の「仙」が由来とも考えられる。

 一方で、奥州街道水沢宿(岩手県奥州市水沢)からと秋田県の仙北地方(横手方面)を結ぶ仙北街道がある。秋田側では「手倉越え」「仙北道」、また伊達領に通じる道であるから、「せんだい道」「みずさわ道」などと呼んだことから、「仙台の北」という意味で「仙北」となったのではないかとも考えられる。

 秋田市に河口をもつ雄物川の由来について。

 諸説あるが、一説に、江戸時代中期の地誌に、貢物つまり年貢を当時「御物」と言い、それを運び出す川という意味で「御物川」とされたと言われている。

 その他、上流に御膳(おもの)澤という地名があり、そこから御食(おもの)、そして雄物となったとの説もある。

 

 次に山形について。

 山に残る雪形が由来かと勝手に想像するもさにあらず。

 山形とは、古代の出羽国最上郡、現在の山形市の南に位置する地域を、山のほうにある土地の意で「山方郷」と呼んだことに由来するとされている。ちなみに、野方や里方に対し、蔵王周辺を「山方」と呼んだとされている。

 その後南北朝時代に、斯波兼頼(しばかねより)がこの地を治めた際に「山形」という字になったとされている。

 日本海に面する鶴岡市の地名は鶴ヶ岡城から来ている。  

 当地が、関ヶ原の戦いで功績のあった最上義光(よしあき)の領地となったとき、それまでの大宝寺城を、鶴が舞い降りたという吉事に因んで鶴ヶ岡城に改称したことが鶴岡の地名の由来とされている。

 ちなみに、鶴岡市は市の面積では東北地方最大で、全国でも第10位の広さを誇っている。

 酒田市の「酒田」は、古くは「砂潟」や「坂田」と呼ばれていた。

 これには、「砂地の干潟」「狭い潟」「傾斜地にできた田」といった意味があるそう。その他、アイヌ語のサケ(鮭)トウ(海)、つまり「鮭の集まる海」からという説もある。

 将棋の駒で有名な天童市の地名は、千数百年前、天から二人の童子が美しい笛や太鼓の音色とともに舞い降りてきて、その山が天童山と名付けられ、その四方の里が天童と呼ばれるようになったのが由来とされている。

 羽黒山、湯殿山、月山を出羽三山と呼ぶ。

 羽黒山の名は、7世紀、蜂子皇子が蘇我馬子から逃れている道中で道に迷った時、羽が黒い3本足の烏が飛んできて、羽黒山まで導いたことが由来になっているとのこと。

 湯殿山は、1400年以上も前から湧き出る湯殿が参拝されてきたことによる。ちなみに出羽三山の奥宮として、「語るなかれ」「聞くなかれ」と戒められた神秘の霊場である。

 月山は、この中で最も標高が高いが、その名は半月状の山の形から名付けられたそうだが、一方で牛が寝ているような形から「犂牛山」(くろうしやま)とも呼ばれている。

 羽黒修験道では、羽黒山は現在の幸せを祈る山(現在)、月山は死後の安楽と往生を祈る山(過去)、そして湯殿山は生まれかわりを祈る山(未来)と見立てられている。

 次に、その美しい山容から鳥海富士、あるいは出羽富士の名がある鳥海山。

 その山名の由来は、山頂にある鳥ノ海湖からとする説と、鳥海弥三郎の誕生地とその領地に関係するとの説がある。 

 後者の鳥海弥三郎は平安時代中期から後期の武将で、全盛時代に安倍宗任(むねとう)と名乗っており、所領がこの地にあった。この安倍氏の出生地は宮城県亘理郡の鳥海の浦という所であったため、鳥海弥三郎宗任とも称していたため、この名に由来するとの説である。

そうだったのか語源㊲   —日本の地名 その2 東北地方-1—

 まず東北地方の「東北」とは、当然本州の東北部に位置することによる。

 ちなみに、中国の東北部も同国の東北部に位置しているため。

 まずは青森から。

 かつての陸奥国(むつのくに、りくおうのくに)の北部にあたり、この旧地名はその名の通り本州の最北端にある。

 県名は、県木であるヒバ(別名あすなろ)が青く見えたから、と勝手に思っていたら、実は、「青い森」と呼ばれかつて海上からの目印になった、現在の青森市本町にあった森から名付けられたそうである。ちなみに、それがヒバの森だったかどうかは不明。

 青森県は、下北半島と津軽半島が北に張り出し、両者に囲まれるようにして陸奥湾がある特徴的な形で、そのまま図案化され県章となっている。

 まずは津軽から。

 津軽とは、かつては「津借」と書き,蝦夷が松前から渡って津(港)を借りて住んだとの説が有力。

 弘前は、以前は高岡(あるいは鷹岡=タカが営巣していたことから)と呼ばれていた。改称の理由は定かではないが、北海道への海上交通の要所で土地が広大だったことから「広崎」、それが弘前となったという説や、アイヌ語由来という説もある。  

 さて、地名ではないが、七夕祭りで有名なねぶた(青森では「ねぶた」、弘前では「ねぷた」)祭り。

 名前の由来は諸説あるが、最も有力なものとしては、忙しい夏の農作業の妨げとなる眠気や怠け心を払い除ける「眠り流し」という行事から「ねむた流し」、そして「ねぶた」と転訛したのではないかと言われている。

 次に、八戸について。「戸」のつく地名は一戸から九戸まである。これにも諸説あるが有力なものを(ちなみに二戸は岩手県)。

 平安時代後期に糠部(ぬかのぶ)と呼ばれた北奥羽地方(青森県東部から岩手県北部)は軍馬の生産地で、糠部の馬は上級馬で,年貢として納められていた。牧場の木戸のあった場所を「戸(へ)」と呼び、それに番号をつけたものが地名として残ったという説。その他、糠部を九つの地区に分け、「戸」は単に「〜地区」の意味という説や,蝦夷(えみし)平定の際に、北上する朝廷側の前進基地(柵戸)があったためという説も。

 話は変わり、青森県西部に十二湖と十三湖がある。

 十二湖の名は、湖沼の中心にある崩山山頂から見おろすと 12の湖が見えることに由来(実際には30湖以上ある)。

 一方の十三湖は、青森県で3番目に大きな湖で、13の河川が流れ込むことからこう名付けられた。12と13で隣り合った数でありながら、名称の根拠が全く異なるところが興味深い。

 さて1993年、日本で初めてユネスコ世界遺産に登録された白神山地について。

 白神山地が初めて記述として現れるのは、1783年から1829年にかけて書かれた菅江真澄遊覧記にある「白上」「白髪が岳」との表記による。

 しかし、白神山地ビジターセンターによると、1980年代の林道建設への反対運動により、白神山地の名が世に広まったといわれている。

 さて、その近くの十和田は実はアイヌ語で、「トー・ワタラ=岩の多い湖」が「とわだ」に転訛したと言われている。

 次に岩手県。

 岩手の名の由来には諸説ある。

 まず、「いわて」の「て」は場所を意味する「と」が変化したもので、「岩が多い所」という意味からという説。

 次に、「て」はもともと「で=出」で、「岩出で」、つまり「山から出てきた岩によってできた場所」という意味だという説。

 また、岩手の地名は名峰岩手山に由来するもので、山の東側に「焼走(やけはし)り溶岩流」と呼ばれるものが残っており、つまり溶岩が流れ出たところから「岩出」となり、その後「岩手」に転化したという説もある。

 さらに面白いところでは、昔、村人に悪さをして捕まった「羅刹」(らせつ)という鬼が、もう二度と悪さをしないと誓って岩に手形を残したという言い伝えからというもの。そういえば、岩手県には民話や言い伝えが多く、ことに鬼に関するものが多い。

 次に県庁所在地盛岡について。

 一説には、1691年に、当時の藩主南部重信と、盛岡城鬼門鎮護の寺院として置かれた真言宗豊山派永福寺第42世、清珊法印との間で交わされた連歌、

「幾春も華の恵みの露やこれ 宝の珠の盛る岡山」

に由来するとされている。

 一方、盛岡市を指し示す雅称(風雅な呼び名)に不来方(こずかた)がある。

 アイヌ語で、「小谷の上にあるところ」の意「コッ・カ・タ」から転訛したとの説も。一方、先の岩手の語源に出た当地方を荒らしていた鬼「羅刹」が三ツ石の神に捕らえられ、岩に手形を押し、二度と来ないことを誓約したことから「不来方」と命名されたという説もある。後者の説のほうが、「岩手」と「不来方」の語源の関連性が感じられ、興味深い。 

 さて、日本地名研究所の元所長谷川彰英氏は、この「鬼」は蝦夷(えぞ)を指すのではないかと指摘している。

 平安時代の征夷大将軍坂上田村麻呂に由来する、蝦夷討伐のための砦、南から多賀城(たがのき)、志波城(しわのき)、胆沢城(いざわのき)の築城の歴史と地政からみても、この説にはそれなりの説得力がある。 

 次に、「南部」の地名について。

 決して日本、あるいは本州の南部の意味ではない。

 南部地方は、青森県東部と岩手県北部から中部、そして秋田県の北部一部にまたがる広大な地域を指すが、この名は、江戸時代にこの土地を領有していた大名の南部氏に由来する。ただそれだけ。期待させてしまい申し訳ない。

 変わった地名として相去(あいさり)町がある。相去は北上市にある町名である。北上市は、1991年(平成3年)に和賀郡和賀町と江釣子村が町村合併してできた。ちなみにこの和賀町は、私が学生時代にフィールドワークでお世話になった、のどかで懐かしい町である。

 相去町の「相去」とは、寛永年間に、南部藩と伊達藩の領地の境界をはっきりさせようと両藩藩主が申し合わせるが、書状の解釈を巡り揉めて決着せず、結局両者が「相去(あいさ)って」、この地名が生まれたとされている。なかなか曰くのある名前ではないだろうか。

 次に吉里吉里(きりきり)は、井上ひさしの小説「吉里吉里人」の舞台とされた場所で、東北本線沿いの宮城県と岩手県との県境付近に設定されている。

 が、実はこれは架空の地名であり、岩手県上閉伊郡大槌町にある吉里吉里とは別の場所である。ちなみに、三陸鉄道リアス線には吉里吉里駅がある。

 この駅のある大槌町吉里吉里(きりきり)は、キリキリと軋む鳴き砂がその語源とされている。その一方で、アイヌ語で「白い砂浜」を意味するとの説もある。    

「大槌」という地名の由来も諸説あるが、最も有力なのが、アイヌ語で「川尻にいつも鮭止め掛ける川」を意味する「オオ・シツ・ウツ・ベツ」が訛って大槌になったという説。

 他にも、「遠野上郷大槌町物語」によると、「鬼打ち伝説」と呼ばれる民話があり、それによると、昔、この地に住んでいた鍛冶屋のもとに鬼が現れ、仕事を邪魔するようになった、怒った鍛冶屋は大きな槌と小さな槌で鬼を追い払った、とのこと。そのため、この地には大槌川と小槌川がある。ここでも鬼が出てくる。

 ちなみに、大槌町内にある蓬莱島は、NHKで放送された人形劇「ひょっこりひょうたん島」(井上ひさし原作)のモデルといわれている。

 岩手県の歌人である石川啄木の故郷「渋民村」。現在は盛岡市北西部に位置する一地区。

 この語源はなかなか難解で、解説している文献が見当たらない。

 ネットで、やっとそれらしい、説得力のある2説を見つけた。

 一つは、アイヌ語の「スプ・タ・アン・ムィ」の転訛で、意味は「渦流・そこに・ある・淵」。

 もう一つは、同じくアイヌ語の「スプン・タ・アン・ムィ」の転訛で、意味は「ウグイ・そこに・いる・淵」。 で、どちらもアイヌ語由来。しかも、自然豊かな環境であることも共通。

 最後に、謂れのありそうな美しい地名を二つ。

 まず「花巻」。

 最も美しいのが、このあたりの北上川の水深が深く、渦を巻き、春には水面に花びらが浮かんで美しい風景を見せたことからという説。その他「花の牧」と呼ばれた、名馬を産み出す牧場があったことによるという説、また、川下の開けた土地を意味するアイヌ語からというものや、端の牧場の意味で「端(ナハ)牧」が語源というものなどがある。

 次に、「永遠の慈しみ」を意味するような神々しい「久慈」。

 ところが、残念ながらこの意味を由来とする謂れは全くない。

 アイヌ語で、湾曲した砂丘を意味する「クシュ」あるいは「クジ」を語源とする説。

 また、海食でクズ(崩)れた地形が語源とする説も。

 その他、言語学者の日置孝次郎氏は、久慈の語源はクジラからと主張している。

 ちなみに、茨城県の久慈は古墳時代からの地名だそうである。

そうだったのか語源㊱   —日本の地名 その1 北海道から—

そうだったのか語源㊱   —日本の地名 その1 北海道から—

 以前、語源⑬で国名の由来について触れたことがあった。

 灯台下暗しで、日本の地名についてもっと早くきちんと扱うべきだったと、今更ながら思う。日本人として、自国の地名の由来くらい知っていて損はなかろう。

 まずは北の北海道から。

 都道府県で、北海道だけ都でも府でも県でもなくなぜ「道」なのか。

 「道」とは、律令国家の地方行政の基本区分だったそうである。中国のそれに倣い、日本では7世紀後半に成立した。

 当時の都、つまり京都に近い山城、大和、河内、和泉、摂津を畿内(きない)五カ国とし、それ以外を東海道、東山道、北陸道、山陰道、山陽道、南海道、西海道の七道に分けた。これを五畿七道と言った。この「道」は、道=みち以外に、それを含む周辺の広域な地域をも意味していた。ただしこの当時、この「道」の中に北海道は含まれていない。

 明治2年(西暦1869年)太政官布告前、北海道は蝦夷が島(えぞがしま)、あるいは蝦夷地(えぞち)と呼ばれていた。「蝦夷」とは華夷(かい)思想に基づく異民族をさす。華夷思想とは中華思想と同意で、中国(=華)が世界の中心で、それ以外を文化の低い夷狄(いてき)とする思想である。

 それまで北の国境の意識は薄かったが、当時ロシアの進出を意識し、明治政府より新名称をつけるべきとの意見が上がった。新名称候補として、日高見(ひたかみ)・北加伊(ほっかい)・海北・海島・東北・千島が上がった。

 そのうち、北加伊の「加伊」を「海」と変更し、七道で馴染みのあった「道」をつけ、北海道としたそうである。ちなみに「加伊(カイ)」は、アイヌの古い言葉で「この地に生まれた人」という意味があるという。

 さて、北海道には常用の音訓読みでは読みにくい地名が多いが、これは北海道の市町村名の約8割がアイヌ語由来のためである。漢字で表記されているものが多いが、これは全くの当て字で、読みは元のアイヌ語に似せているものの漢字自体の意味はない。

 よく知られている地名を挙げてみる。

 札幌は、アイヌ語の「サッ・ポロ・ペッ=乾いた大きな川」から。小樽は、「オタ・オル・ナイ=砂浜の中を流れる川」、苫小牧は、「ト・マク・オマ・ナイ=沼の奥にある川」、室蘭は、「モ・ルエラニ=小さな下り坂のあるところ」、稚内は「ヤム・ワッカ・ナイ=冷水のある沢」、そして知床は「シレトク、またはシレトコ=地の果て」といった具合だ。

 大雑把に言って、「別」「幌」「内」がつくとアイヌ語で川や沢を、「平」は崖を指すようである。

 函館について。

 室町時代に、津軽の豪族が函館山の北斜面の宇須岸「ウスケシ=『入江の端』『湾内の端』を意味する『ウスケシ』・『ウショロケシ』」に館を築き、その形が箱に似ていることから「函館」と呼ばれるようになったとの説がある。他に、アイヌ語の「ハクチャシ=浅い、砦」に由来するとの説もある。

 帯広は、アイヌ語の「オペレペレケプ=川尻がいくつにも裂けているところ」がなまって「オベリベリ」、それが帯広になったと考えられている。

 ちょっといわくのある地名に旭川がある。道内札幌に次ぐ人口第二の大都市である。市内を流れる川をアイヌが「チュプペッ」と呼んでいた。これには「忠別」の漢字を当てた(現在も忠別川と呼ばれている)が、意味は「太陽の川」で、意訳すると「日が昇る川」、そしてこの意味を尊重して「旭川」と命名した(1890年)。アイヌ語に由来する北海道の地名としては、漢字が表意である稀なる例である。一方この「ペッ」が川を意味しているので、忠別川は川を意味する字が重複していることになる。

 もっとも、利根川を「Tonegawa River」と英訳するのであるから、間違いとは言えまい。

 テレビドラマ「北の家族」で脚光をあびるようになった、美しい風景で有名な富良野。

 名前の由来は、アイヌ語の「フラヌイ=臭・もつ・所」が転訛したとする説が有力。市を流れる富良野川が硫黄の臭気を含むことによると言われている。

 日本では珍しいカタカナで表記されるニセコ。

 町を流れる尻別川の支流であるニセコアンベツ川のアイヌ語名「ニセイコアンペッ=絶壁・に向って(峡谷)・いる・川」の前の部分をとったものとされている。

 では、なぜ他の地名のように漢字の当て字で表記せず、カタカナで表記されているのか。

 明治以降、アイヌ語の漢字化が行われたが、ニセコについてはサロマ湖等と同様、漢字を当てても定着せず、カタカナのままの表記が定着したとされている。

 釧路もアイヌ語由来ではあるが、諸説紛々あるため、ここでは割愛させていただく。

 さらに、北海道の北にある樺太(からふと=サハリン)は、アイヌ語で「カムイ・カラ・プト・ヤ・モシリ=神が河口に造った島」に由来し、そこから「カラプト」そして「からふと」になったとされている。

 樺太の東に広がるオホーツク海。この「オホーツク」はロシア語で「狩猟」を意味し、ロシアのハバロフスク地方にある人口約3000人の小さな町の名に由来する。

 返還問題が長年続く北方四島だが、これらの呼び名もアイヌ語に由来している。

 歯舞は「ハ・アプ・オマ・イ=流氷が退くと小島がそこにある所」、色丹は「シ・コタン=大きな村」、択捉は「エトゥ・ヲロ・プ=岬のある所」、そして国後は「クンネ・シリ=黒い島→黒い島、あるいはキナ・シリ=草の島」とされている。

 最後の国後の当て字は、まさに言い得て妙である。

そうだったのか語源㉟  -文法用語-

 私たちは、中学生の頃から国語や英語の文法を勉強し始める。いやこれは過去形で、今はもっと前倒しになっているのかもしれない。しかしだからといって、現代の子供たちが日本語や英語により造詣が深くなったという感覚は残念ながらあまりない。

 さて文法、つまり文章の規則を授業で聞かされ、それは当然そういうものだという既成概念として学習してきた。文法に使われる用語の意味、なぜそう呼ぶのかなどと考えていたら授業としては進まない。ノルマとは残酷なものだと思う。

 そして、授業というものから解放された年齢になり、改めて用語の意味を再考してみるのは、無責任でもあるがなかなか興味深い。これが当事者意識のない自由というものだろうか(笑)。

 ではそもそも文法とは。

 ある辞書には、

 「言語を文・語などの単位に分けて考えたとき,そこに見られる規則的な事実。文法的事実。そしてその事実を体系化した理論。」

とある。

 要するに、文や語に関する法則と考えてよかろう。

 その法則を体系化するために、用語を命名、分類したものを品詞と捉えることができる。

 まず初等レベルで、主語と述語。

 主語は、「何が」「誰が」を示すもので、主体に当たることからわかりやすい。

 述語とは、主語の行動や状態を表現する言葉である。「述」は訓読みで「のべる」で、主語の動作や状態を述べるという理解で問題なさそうである。

 日本語では、述語には動詞、形容詞、そして形容動詞等が使われる。

 一方、英語ではこの述語に当たるものは必ず動詞で、動詞はさらに一般動詞とbe動詞に分けられる。前者は動作を、後者は状態を表す。日本語の感覚からすると、状態を表すものも動詞というのが面白い。

 「It is beautiful.」というように、状態をbe動詞で形容している。

 次に、日本語の大きな特徴に助詞という品詞がある。

  ある辞書には助詞について、

「付属語のうち、活用のないもの。 常に、自立語または自立語に付属語の付いたものに付属し(文法的に重複のように思えるが)、その語句と他の語句との関係を示したり、陳述に一定の意味を加えたりする。」とある。

 この助詞は文法的には実に秀逸で、これがあるおかげで、主語や述語の位置を変えても意味が通じるのだ。

 「私は学校に行きます」を「行きます、私学校に」と言っても日本人ならばおそらく通じるが、「I go to school.」を「go I school to.」では英語圏ではまず???であろう。言葉の理解を助ける、まさに助詞なのである。日本人は全く意識なく使っているが、まさに文章の助っ人である。

 さて、最近では小学生のうちから英語を学ぶようである。日本語もろくに使いこなせないうちから外国語を学ぶことには賛否両論あろう。

 それはさておき、英語を理解するための日本語の文法用語に、意味不明な用語がある。

 まずは「分詞」について。

 現在分詞や過去分詞などがあり、動詞が形容詞や副詞としての用法を併せ持つとされ、つまり動詞でありながら状態を表すということである。

 ところで分詞という言葉だが、何が「分かれた言葉」なのだろうか。

 実は、分詞は英語ではparticipleというが、これはラテン語で「共有」や「参加」を意味する「particeps」が語源となっている。英語のparticipate(=参加する、共有する)と同源であろう。あること(物)に参加することで共有が生まれることから、これ自体は理解しやすい。

 であるなら、分けるという意味を連想しやすい「分詞」より、「合詞」や「共詞」「併詞」「多用詞」等と命名したほうが、日本語として本来のparticipleの意味に近いような気がするがいかがだろうか。

 次に、よくわからない品詞に「不定詞」というのがある。

 ある辞書には、

「不定詞とは1人称単数、3人称複数など主語の人称や単数、複数などに限定されることなく、動詞に他の品詞(名詞・形容詞・副詞)の働きをさせる準動詞のことを指す」とある。中学生のレベルでは、理解しにくい説明ではないだろうか。

 不定詞とは一般的に「to+動詞の原形」のことを指し、学校では「to不定詞」と習った記憶がある。そしてこの不定詞には、名詞的用法、形容詞的用法、副詞的用法の3つの用法があり、「主語、目的語、修飾語など、さまざまな役割を果たす」とある。

 英語のinfinitiveが語源であり、形容詞のinfinite=無限の、無数の、限りないの意から派生していると考えられる。つまり、用法が色々あり、一つには定まらないから「不定」という形容詞を当てたのであろうが、主な用法は大別してほぼ3つに分類されていることからすれば、「不定」というほど曖昧な品詞ではないように思われる。

 次に、「仮定法過去」という、これまた不可解な用語がある。

 仮定法については、

「事実ではない主観的な想像や仮定の話をする際に用いる表現」と説明されているが、これは理解できる。

 仮定法過去とは、現在の事実に反する仮想で過去形で表し、仮定法過去完了とは、過去の事実に反する仮想で過去完了形で表す、となっている。

 問題は、なぜ現在の仮想を過去形で、そして過去の仮想を過去完了形で表現するのか、ということと、その呼称である。

 仮定法過去についていえば、「現在の事実の反する仮想」を表現するために、現在から距離を置いた世界、つまり過去という時制(時間軸の前後関係)にずらす手法をとる、と説明されている。わかったようなわからないような—。

 もっとシンプルに、「現在の事実に反する仮想」だから、タイムマシーンで過去に戻れたら現在の事実とは異なっていたかもしれないと、理屈をつければわからなくもない。

 ただ呼称、つまり命名の仕方については、私自身今でも納得していない。

 フランス語やイタリア語と違い、日本語は英語やドイツ語と同様で、名詞の前に形容詞が位置するのが普通である。

 例えば、アルプスのモンブランはMont Blanc(仏)、Monte Bianco(伊)で形容詞は後ろにつくが、英語ではwhite mountain 、日本語では「白い山」と前に着く。

 だから、「仮定法過去」といった場合、「過去」という名詞を「仮定法」が形容する形になってしまう。つまり、本質は「過去」ということになるが、現実には「過去」ではなく「現在の仮想」である。

 ならば、呼称としては例えば「過去的仮定法」あるいは「過去型仮定法」とすべきではないだろうか。

 皆さんから意見も是非伺いたい。

そうだったのか語源㉞  -音楽用語 その他-

さて、これまでにピックアップし忘れたものを思い当たる限りオムニバス的に。

 ちなみにomnibusのomni-には、全- 総- 汎-といった漢字が当てられている。そこから「乗り合いバス(自動車)」と和訳されている。ここでは、落ち穂拾いよろしく、取りこぼしたものの「寄せ集め」といった意味で使うこととする。

 まず、コンサート等で使われるステージ。

 ステージ(stage)とは、(俗)ラテン語の「staticum」という単語が語源で、「立つ空間」の意味になる。これは英語のstand、あるいはstance=スタンス(立場、姿勢、立ち位置)の語源でもある。

 現在、英単語として「stage」と言った場合は、「足を付ける場所」「舞台」「位置」「段階」「時期」「演劇」などの意味を持つ。

 次に、唐突だが「フラメンコ」について。

 flamenco=フラメンコはご存知の通り、スペイン南部アンダルシア地方を中心とした伝統的な舞踊である。

 この語源には諸説あるが、最も信憑性の高い説をご紹介しよう。

 このflamencoというスペイン語は、英語で「炎症」を意味するinflammationと関係があるとされる。すなわち、この-flame-と英語で「炎」を意味するflame が同源ということである。炎症は燃えるようにジンジンと熱を持ち、一方フラメンコは心が燃えさかるような情熱的な舞踊だからこの名がついたとされる。

 ちなみに、鳥のflamingo=フラミンゴもラテン語で「炎」を意味するflammaから名づけられたとされている。おそらく鳥の羽の色から連想されたものであろう。現在、和名では「ベニヅル」とされているが、明治時代にはより原語に近く、「火鶴」や「火烈鳥」等の漢字が当てられていた。それまでの日本のツルの清楚なイメージからすると、かなり強烈だったのであろう。

 さて、音の速さのことをtempo=テンポという。これはイタリア語だが、英語のtimeに相当し、広義で時間のことを指す。

 一方、解剖学の分野では側頭骨(頬から耳の前にかけての部分)のことをラテン語ではos temporaleという。このtemporaleには側頭あるいは側(横)-といった意味は全くない。

 ラテン語のtemporaは「こめかみ」を指すが、これは同じくラテン語で「時」を意味するtempusに由来する。先ほどのtempoもここに語源がある。

 ではなぜ、「こめかみ」と「時」が関係するのか。

 諸説のうち説得力があるのは、こめかみの毛、つまり鬢(びん)が歳を重ねるにつれ最も早く白髪になり、人生の「時の流れ」を感じさせるから、というものである。メガネフレームの側頭部に触れるつるの部分も同義でtemple=テンプルという。    

 ちなみに、tempusには「切る」を意味するtem-に由来しているという説がある。つまり、「時の区切り」を意味し、獣肉を食べない「四句節」のtempora=時節に食した魚料理が天ぷらの語源となったというものである(これも諸説あり)。

 その意味では、tempusを「時節」と和訳すれば、さもありなんと腑に落ちるのではなかろうか。    

 話題はまた変わるが、オペラは一般的には「歌劇」と和訳される。

 ところがワグナーの作品の場合、オペラに分類されるものを楽劇と呼ぶ。

 Musikdrama(独)の和訳だが、アリアに重きを置いたそれまでのオペラに対し、ワグナーは音楽と劇の進行をより一体化、融合させたものを創作し、自らこの名をつけたとされている。

 とはいえ、ワグナーの初期の作品は、内容的には従来のオペラ=歌劇のスタイルを踏襲している。厳密には、後期に作られた「トリスタンとイゾルデ」「ニュルンベルクのマイスタージンガー」「ニーベルングの指環」「パルジファル」の4作が楽劇のジャンルに属するとされている。詳しくは定かでないものの、誤解を恐れずにいえば、現在のミュージカルに近いものといえないだろうか。    

 音楽の演奏会で使われる「公演」とは、「公開の席で、芝居、舞踊、音楽などを演ずること」とされている。  

 フランス語では、昼公演(日中の公演)をMatinée=マチネと言い、原語の意味は、「朝」「午前中」「正午前」。これに対し夜の部をSoirée=ソワレと言い、日没から就寝までの「夜の時間帯」を指す。

 オペラ観賞に使われるオペラグラスという双眼鏡がある。

 オペラハウスで観劇用に使われたのが、その名の由来。

 では、いわゆる双眼鏡との違いはというと、まずは小さくて軽いということ。     

 これは、その目的が観劇用なので、使っていても周囲の観客に迷惑がかからないことと、長時間保持しても疲れないことが重要である。そのため構造はシンプルで、2枚の凸レンズのみで構成されている。一方の双眼鏡は筒の中にプリズムが使われ、さらに凸レンズと凹レンズの組み合わせにより倍率を上げ、より遠くの物を鮮明に見ることが出来る。ただしその分、大きくて重い。

 次に、「こけら落し」とは、新築、あるいは改築された新たな劇場で初めて行われる催しを指す。

 元々の意味は、建築工事の最後に、屋根に残った木屑等を払い落とすことだった。

 「こけら」には、「杮」「𣏕」「木屑」「鱗」等の字が当てられている。

 前者3つが、材木をおのや鉋(かんな)等で削った時にできる削り屑や木片を指す。ちなみに、「杮」は果物の「柿」に似ているが、後者の旁(つくり)は市町村の「市」だが、前者のそれは縦棒が一本でつながっている。残りの「鱗」はこれらとは別で、魚などのうろこを指す。が、鱗も木屑に似ていないとはいえないので、ひょっとすると同源なのかもしれない。

 ちなみに、歯科で歯石を除去することをscaling=スケーリングというが、元々は魚のscale=鱗を取り除くことを指していた。表面に付着した物を取り除く行為が似ているからであろう。

 閑話休題。

 工事で出た木屑等を片付けてきれいにする事と、きれいになった劇場での初公演を同一視してできた言葉ではないだろうか。 あるいは、「こけら落し後の初公演」を略して「こけら落し」としたのかもしれない。

 次に、楽屋とはいかに。

 一般的には、舞台の出演者が支度をしたり休息をとる控室を指す。しかし本来は、それだけでなく舞台裏、つまり衣装係や大道具、小道具係等のいる場所全体を指していた。

  では楽屋の「楽」とは。

 実は、舞(まい)を伴う雅楽である「舞楽」が由来とされている。雅楽は、奈良時代に朝鮮や中国から伝わった音楽や舞、あるいはそれを日本でアレンジしたものを指す。ちなみに、舞を伴わないものを管楽と言う。

 舞楽の演奏者を楽人と言うが、この楽人が演奏をする舞台後ろの幕の内側を「楽之屋(がくのや)」と呼んでいた。これが楽屋の語源とされている。

 その後、能が登場したが、能ではこの楽人に当たる演奏者を囃子方(はやしかた)と呼ぶ。囃子方はそれまでの楽屋ではなく、舞台上で演奏するようになり、次第に楽屋は演奏する場所ではなく、現在のように出演者の準備や休息をする場所を指すようになった。

 さて、弁当でも使われる「幕の内」とは。

 文字通り、芝居等での幕の内側、あるいは幕が閉まっている間=幕間(まくあい)をさす。ちなみに相撲界でいう幕の内力士とは前頭以上の力士、つまり、横綱、そして三役(大関、関脇、小結)、前頭までを指す。これは、幔幕(まんまく=土俵を囲むように、天井から張り巡らされる幕)の中に座を与えられたところからそう呼ばれているが、今回取り上げる「幕の内」とは直接の関係はないようである。

 では幕の内弁当について。

 まず舞台関係から生じた説としては、芝居で、役者や裏方に出していた(つまり幕の内)弁当を観客も食べるようになったから(場所に由来)、というもの。あるいは、役者が舞台裏=幕の内で食べる弁当だったから(人に由来)、という説もある。

 別説としては、戦国時代、戦陣の幕の内で食べた弁当だから、というものがあるが、真偽のほどはいかに。  

 クラシックで、suiteは組曲と和訳される。

 発音記号では[swiːt](スイート)あるいは[suːt](スーツ)となっている。

 ちなみに、甘いものを指すsweet[swiːt](スイート)とは発音は同じでも全くの別物である。

 ホテルなどの一続きの部屋を意味するスイートルームなどと同源で、今の日本語では、「セット」という言葉が本来の意味に近いかもしれない。

「全部で1セット」なので、家具や食器では馴染み深い。

 服のスーツ=suitも同源で、同一の布でつくられる、二つ以上のピースからなる上下一揃(ひとそろ)いの服を言う。

 それでは文字通り、最後に「フィナーレ」に触れておこう。

 「フィナーレを飾る」などという。

 これはイタリア語で「最後」を意味するfinale=フィナーレから。

 音楽では、「終楽章」「終曲」と和訳される。

 フランス映画では、おしまいにfinの文字が出る。英語のthe endの意味で「終わり」を意味するが、finaleと同源である。

 イタリア語のfinaleには「決勝」の意味もあり、英語のfinal=ファイナル「最後の」と同源であることが理解できる。

 触れず仕舞いのものも少なからずあるような心残りもあるが、とりあえずここまでとしたい。

 そうだったのか語源㉝  -音楽用語 その3-

まずは楽器にまつわるエピソード。

 piano=ピアノは、ご存知のように正式にはイタリア語のgravicembalo col piano e forte(強弱のあるチェンバロ)が語源とされている。これが短縮され、ピアノとなっている。強いを意味するforteではなく、弱いというpianoだけの短縮形となっているのは興味深い。あるいは単にpiano e forteと、pianoが先だからだろうか。

 ちなみに、バロック音楽で使われるcembalo=チェンバロはイタリア語で、英語ではharpsichord=ハープシコード、フランス語ではclavecin=クラヴサンと呼ばれている。呼び方によって音色まで違って聞こえるように感じるのは、単なる先入観か思い過ごしだろうか。

 話はピアノに戻るが、歴史的にはpianoforte=ピアノフォルテやfortepiano=フォルテピアノと呼ばれ、現代でも略称としては “pf” という表記が用いられている。

 現代では、イタリア語・英語・フランス語ではpiano=ピアノと呼ばれ、ドイツ語ではHammerklavier=ハンマークラヴィーア、より一般的には Klavier=クラヴィーア(鍵盤の意味)と呼ばれるほか、Flügel=フリューゲル(もともと鳥の翼の意で、グランド・ピアノを指す。弦を覆う蓋の形からか)も用いられる。

 慣例的には、19世紀前半以前の様式のピアノを、モダンピアノと区別して特定する場合に「フォルテピアノ」と呼ぶことが多いようである。

 

 次にヴァイオリン(略語はVnあるいはVl)。

 これは英語で、イタリア語ではviolino=ヴィオリーノ、フランス語ではviolon=ヴィオロン。

 ヴィオラ、チェロ、コントラバス等ヴァイオリン属の胴の中央付近に左右に対象に開けられた穴を、その形からf字孔(f-hole)という。厳密にf字なのは左側で、右はその線対称形。この形により音色がかなり変わるそうである。

 この形が定着したのは、16世紀以降のイタリアで作られた楽器からで、それ以前は「c」や「s」の形に近かったそうである。

 「f」字になった理由には、(Cに比べ)強度に優れているから、英語で女性を意味するfemaleから(なぜ女性が関係するのかは不明)、あるいはより装飾的に美しいから等、諸説ある。

 それらも加味しながらより説得力のある説として、製作者が胴に駒(バイオリンを横から見て、弦が最も突き出ている部分を支えている衝立)を立てる位置を示すために、S字形にくりぬいた孔の中央部にたまたま刻み目をつけたのが始まりというもので、言われてみれば確かにその通りである。

 バイオリンは4弦で、日本では開放弦の音高のドイツ音名を用いて、E線・A線・D線・G線(えーせん、あーせん、でーせん、げーせん)と呼ぶことが多い。バッハが作曲した「管弦楽組曲第3番」の第2曲をウィルヘルミが編曲したArie auf G=「G線上のアリア」は、この最低音の弦であるG線のみを使って演奏することからつけられた通称である。一般的には「ゲー線上のアリア」ではなく、英語読みで「ジー線上のアリア」と呼ばれることが多い。

 次にこの弦の素材だが、以前はガット(羊の腸)が使われていたが、現在では意外にも金属弦やナイロン弦が主流となっている。胴には相変わらずスプルースやメープルが使われるのに、である。そういえば、ピアノの弦も金属である。

 金属弦やナイロン弦は、ガット弦に近い音色を持ちながら、ガット弦のように温度や湿度の影響を受けにくいというメリットがあるという。

 同じくヴァイオリン属のcello=チェロ。

 イタリア語のvioloncello=ヴィオロンチェロに由来するが、英語ではcelloと書いてセロと発音する(略語はVc)。日本人の私の耳には、セロよりチェロのほうが艶っぽく聞こえるが如何だろうか。

 さて、本体の大きさに比べると、指板(弦を指で押さえる部分)は意外にもヴァイオリンなどより若干細めである。ヴァイオリン属では低音楽器になるほど胴体と弦の角度が大きいため、ヴァイオリンに比べると駒が高く丈夫に作られている。弓もヴァイオリンなどより太いが、実は長さは逆に短い。

 弦は現在ではやはり金属弦が主で、低音弦には質量を保ったまま細く仕上げるために、タングステンや銀を使用した弦が使われることがあるそうな。

 バロック奏者においては、柔らかい音にするためか、ナイロン弦やガット弦が使用されることもあるが、音量やメンテナンス、耐久性に難があると言われている。

 管楽器のflute=フルートについて(略語はFl)。

 現在フルートというと、キーのついた金属製の横笛(正式にはコンサート・フルートという)を指すが、元々は広く笛一般の総称だった。ルネッサンスからバロック音楽の時代では、一般的にフルートというと現在のリコーダーと呼ばれる縦笛を指すようになった。一方、現在のフルートの前身楽器である横笛はflauto traverso=フラウト・トラヴェルソと呼ばれた(traversoとはイタリア語で「横向きの」という意味)。かつては主に木製だったが、現在では金属製が主流となっている。それにもかかわらず、フルートは木管楽器に分類される。

 実は、木管と金管の分類では、材質が金属か木かというのは重要ではなく、音の出し方で分類されている。フルートが木管楽器に分類されるのは、唇の振動によって音を出す楽器ではないからである。

 ちなみに、金管楽器はトランペット・トロンボーン・ホルン・チューバなど、マウスピースを口に押しつけ、唇の振動によって音を出す管楽器をいう。 一方木管楽器は、唇を振動させずに音を出す管楽器。フルート、リコーダー、尺八のように穴に息を吹き込むことで音を出すものと、クラリネット、サクソフォン、オーボエ、ファゴットのようにリード(薄片)を口にくわえて音を出すものがある。もちろん、元々は金管楽器の素材には金属が、木管楽器のそれには木が使われたものが多かったのだろうが。

 ちなみに、この分類からいえばほら貝は金管楽器ということになる(真偽は不明)。

 オーボエやファゴットは、2枚がくっついた形のリードでダブルリード楽器と呼ばれている。

 ここで問題となるのは、フルートにはリードがないということ。

 厳密に言うと、リードが無いのではなく、「エアリード」というものを使って音を出す。「エア」とはあの「エア(空気)」、つまり自分の口そのものがリードということである。

 「エアリード」とは、物体のエッジの部分に息を当て、その時生じる空気の渦上の流れにより音を出す仕組みを言う。

 物理的なリードが存在しないためノンリード 、あるいは無簧(むこう:簧がリードの意)とも呼ばれる。

そうだったのか語源㉜  -音楽用語 その2-

音楽用語は基本的にイタリア語、あるいはラテン語に由来するものが多い。    

 octave=オクターブについては以前にも触れたが、日本語では「8度音程」と訳され、これはラテン語のocta=8から派生したものである。ちなみに、8度=1オクターブ上がると周波数が2倍に、8度下がると1/2になる。

 独奏(唱も同じ)、二重奏、三重奏、四重奏を、一般的にそれぞれソロ、デュオ(デュエット)、トリオ、カルテットと言う。これらはイタリア語由来で、solo=ソロはイタリア語で単独の意、英語のisolate(=孤立させる)も同源である。duo=デュオはラテン語(その元はギリシャ語)の2、trio=トリオはラテン語のtri=3から。フランス国旗をtricolore=トリコロール(三色旗)と言うが、tri-=

3とcolore=色から成り、同源である。ちなみに、イタリア国旗なども3色だが、一般的に三色旗と言うとフランス国旗を指す。

 quartet=カルテットは、ラテン語の数詞“quartus”に由来し、4番目等を指す。イタリア語のquattro=クワトロも4を表し、英語の1/4を意味するquarter

も同源と考えられる。

 orchestra=オーケストラは、ギリシャ語の「踊る」が語源で、オペラのような音楽劇に付随した楽団を意味していた。オーケストラには、「管弦楽団」「交響楽団」「フィルハーモニー」「フィルハーモニー管弦楽団」「フィルハーモニー管弦楽団」「フィルハーモニー交響楽団」等々、様々な呼称があるが、実は内容的な違いはほとんどなく、単に経緯による名称のつけ方の違いだけである。

 ちなみに、philharmony=フィルハーモニーとは、「愛する」を表すギリシャ語の接頭語のphil-と「調和、和音」を表すharmonyから成り、「音楽を愛する」という意味で、和訳では「学友(協会)」というのが最も語源に近いのかもしれない。

 さて、近年よく耳にするアカペラ。

 簡素な教会音楽の様式をいうが、ここから派生し、教会音楽に限らず声楽のみの合唱や重唱を指すようになった。実はイタリア語でa cappellaと表記する。つまりア・カペラである。

 イタリア語の前置詞aは、英語のatやtoの意味、cappellaは英語ではchapel、つまり教会のことで、a cappellaは「教会における」「教会風の」となる。

 ちなみに、ドイツには○○Staatskapelle=シュターツカペーレというオーケストラが多くある。このkapelleはcappellaと同源、Staat(s)は国や州(英語のstate)を指すので、州の協会といった意味だが、現在では○○国立(歌劇場)管弦楽団と和訳されている。

 やや似ているものにgospel=ゴスペルがある。これは英語で福音(書)を指す。一般的にはgospel music=福音音楽のことを略していう場合が多い。奴隷としてアメリカ大陸に連れて来られた黒人の心情表現やアフリカ的なリズムが特徴とされている。

 cantata=カンタータは、イタリア語の「歌う」を意味するcantareから(既出のカンツォーネと同源と思われる)。交声曲と和訳され、器楽の伴奏付きの声楽作品をいう。

 ではaria=アリアとは。

 ちなみに英語ではair=エアー(詠唱と和訳される)。

 イタリア語の aria は音楽の旋律(メロディ)を意味し、その他「空気」や「態度」「雰囲気」等の意味もある。

 メロディが流れると、そこに人間のimagination=想像力によって独特の雰囲気が生まれることからairなのか。  

 アリアは一般にrecitativo=レチタティーボ(叙唱)と対をなし、歌手は後者で物語の状況を説明したあと、前者で自身の心情を吐露する。

 vocal=ボーカルは、楽曲の声の部分を担当する役割、あるいはそれを担当する人を指す。また有声音の意味もあるが(子音などの無声音は声帯を振動させないで発する音声)、一方でvocal cordsは声帯を指す。 

 これから察するに、vocalとは声帯を使って発声することが語源になっていると推察できる。

 さて、一見音楽とは無縁に思える言葉に「メリハリ」がある。

 漢字まじりでは「減り張り」と書き、邦楽用語の「メリカリ」から派生した言葉とされる。元の音(高い音)を「上り・甲(かり)」と呼び、それより半音低い音を「減り(めり)」と呼んだ。そこから「緩めることと張ること」を意味するようになり、さらに音の高低、強弱、そして物事の抑揚や明暗、緩急といった、いわゆるコントラストを表現するようになった。 

 現在ではあまり使われなくなった言葉に「乙(おつ)」がある。

 ちょっと気が利いていて趣がある様子をさす。

 これも上述の甲=「かり(=かん)」に対して半音低い音を指す「めり」と同義で、乙(おつ)と呼ばれ、別名呂(りょ)とも(ちなみに甲は、ある音に対して1オクターブ高い音も指す)。

 乙は甲に対し、やや暗い陰のある響きになるため、奥ゆかしさ、あるいは意味深長な雰囲気を醸し出す。そこから「乙な」という形容が使われるようになってのではなかろうか。日本人は、やや陰のあるものに惹かれるようである。

 和楽には疎いので、早くも話題を変えたい。

 長崎のお土産にビードロという、薄いガラスでできた素朴な音の出る楽器がある。ポルトガル語で、ガラスを意味するvidroが語源とされている。

 医学用語では、in vitro=イン・ビトロ  in vivo=イン・ビボというのがある。

 ラテン語で、前者は「ガラスの中」、後者は「生体内で」という意味である。

 前者はビードロと同源で、「ガラスの中」とは試験管や培養器での試験を指し、後者は生体内での試験を指す。ちなみに後者のvivoは英語のvivid=生き生きとした、生々しい、の語源である。

 さて、クラシックである作曲家の作品番号をOp.で表すことが多い。Opus=

オーパスの略であり、元々は芸術作品、音楽作品を意味する言葉である。基本的には作曲年代順につけられるが、時には分類後に見つかったものもあり、年代順でなかったり、あるいは⚪︎⚪-a ⚪︎⚪-bなどと表記されるものもある。︎

 なかには、作品番号に特別な記号が使われるものもある。

 有名なものでは、バッハはBWV、モーツァルトはK、シューベルトはD等。

 まず、BWVはBach-Werke-Verzeichnisの略で、音楽学者ヴォルフガング・シュミーダーが編集したもので、「バッハ作品総目録番号」あるいは「バッハ作品主題目録」と和訳されている。この目録は年代順ではなく、ジャンル別に分類されているのが大きな特徴である。バッハの場合、初演の日付が不詳であったり、あるいは一度出来上がった曲をあとから変更、加筆することが多く、年代順に編集することが困難だからとされている。

 次に、モーツァルトの作品に付けられているK.はKöchelverzeichnis=ケッヒェル目録の略で、ケッヒェルの編集によるモーツァルトの全作品の年代順目録に付けられた番号で、K.あるいはKVと表される。K.1からK.626(レクイエム)まで通し番号を付け、正式には「モーツァルト全音楽作品年代順主題目録」と和訳され、以後の作曲家作品目録のモデルとなっている。

 もう一つ、シューベルトの作品番号のD.はドイッチュ番号と呼ばれ、

Otto Erich Deutsch=オットー・エーリヒ・ドイッチュが作ったものである。

 ただし、シューベルトの作品の総数は約1000曲以上に及ぶが、この中には作品番号がつけられていないものが多い。未完のもの、断片、消失したもの、習作、偽作も存在するためと言われている。

そうだったのか語源㉛  -音楽用語 その1-

 特に音楽に造詣が深いわけではない。でも、とにかくクラシックが好きだ。

 拙宅のオーディオ(かつてはステレオと言った)は、特に凝ったものではない。25年ほど前に購入したLuxman L-580というプリメインアンプを、数回オーバホールしながら現在も現役で使っている。オーディオに関心のない方にはどうでもいい話である。

 ちなみにaudio=オーディオは、audience=聞き手、聴衆と同源である。

 AUDIという自動車メーカーがあるが、これもaudioと同源である。

 創設者のアウグスト・ホルヒは、社名をつける際、自分の名前であるホルヒ=Horch(ドイツ語で「聞く」の意)の同義のラテン語、Audiを使ったとされている。

 ところで、普段何気なく聞いたり使ったりしている音楽用語にも、興味深い言葉があるので、触れてみたい。

 Music=ミュージックの語源は、音楽、舞踏など芸能の神、Mousa=ムーサから。ムーサがつかさどる技芸をmousicae=ムーシケーと呼び、ここからラテン語のmusica=ムジカが派生し、ミュージックの語源となった。

 次に、「歌」は英語ではsong=ソング。

 フランス語ではchanson=シャンソン、イタリア語でcanzone=カンツォーネ、スペイン語でcansion=カンシオンとなる。

 これらは、ラテン語で「歌う」「賛美する」を意味するcanto=カントに由来するとされている。

 ちなみに、オペラや独唱で使われるベルカント唱法も、イタリア語の Bel Cantoつまり「美しい歌(歌唱)」の意味から。

 これらには共通して「はねる音」、つまり撥音(はつおん)が含まれており、語源の同一性が感じられる。

 ところで、日本語では、「うた」に「歌」「唱」「唄」「譜」「詩」「詠」「吟」等の漢字が当てられている(実際にはまだある)。

「歌」は最も広義に使われている。

「唱」は、声をあげて歌う(となえる)。

「唄」は、ことばに旋律やリズムをつけて声に出すものやその言葉を指す。

「譜」は、音楽の曲節を符号で表したもの、楽譜。

「詩」は、「唄」とほぼ同意だが、より言葉に重きを置いていると考えられる。

「詠」は、詩歌を作ること、あるいは作った詩歌。声を長く引き、節をつけて詩歌を歌う事。

「吟」は、声に出して詩や歌を歌うこと、作ること。 

 以上、かなり細かい。

 さて、クラシック音楽とはいかに。

 Wikipediaによれば、クラシック音楽(Classical Music)」という用語は19世紀までは使われていなかったらしい。その頃、J.S.バッハやベートーベンの時代の音楽を復活させようという試みがなされ、他の音楽と区別し、「古典的」を意味するクラシック(classical)という言葉が使われたそうである。ちなみに、

初めてオックスフォード英語辞典で「クラシック音楽」というものが扱われたのは1836年のことだとか。

 しかしそうだとすると、「クラシックの現代曲」というジャンル名は、その名称自体が内部矛盾している。

 そこで、こう考えてはいかがだろうか。

 クラシック音楽は、宗教音楽や声楽、器楽曲や室内楽、交響曲etc.と、いろんな様式に分類されている。そういったクラシック音楽の様式の流れをくんだ現代曲と考えれば、腑に落ちなくもない。

 他方、オックスフォード英語辞典でclassic やclassicalを引いても、class=分類、種類との関連性は見つからないものの、主観的にはまんざら無関係とは思われないのである。

 つまり、器楽曲や室内楽曲、交響曲のようにclassified=きちんと分類された音楽という意味からclassical musicになったという解釈もできるような気がするが、諸賢の見解ははいかに。

 次に、バロック音楽とは16世紀末から18世紀中頃までのヨーロッパ音楽を指す。個人的に好きなトマス・タリス、ウィリアム・バード等に代表されるルネサンス音楽と、ハイドン、モーツァルト、ベートーベンといった古典派音楽の間に位置する。バッハ、ヘンデル、テレマン、ヴィヴァルディ、パーセル等がその代表とされる。この時代に、近代的な和声法や長調、短調の体系、そして通奏低音を基本とした作曲技法が確立された。

 baroque(仏) =バロックとは、元々はポルトガル語やスペイン語のbarroco(バローコ)=ゆがんだ真珠から派生した言葉だとか。

 フランス語では、「奇妙な」「風変りな」といった意味のようである。

 現在では、荘厳で宗教的なイメージのバロック音楽が、当時は異端に感じられたというのは、なかなか興味深い。

 日本でいえば、仏教が全盛の時代にキリスト教が入ってきたような感じだろうか。

 次に、西洋音楽における歌手の声域区分について。

 まずsoprano=ソプラノ(伊)は、ラテン語の「最も高い、はなはだ上の、最も外の」という意味のsupremusから。英語のsupreme やsuperと同源である。

 alto=アルトの語源はラテン語のaltus(高い)から。

 中世の多声楽曲で、alto は基本となる声部tenore =テノールよりも高い男声の声部を指していたが、いつの間にか女声の低音域へと変化していった。

 ではそのテノールとは。

 ラテン語で「保つ」「維持する」を意味するtenere=テネレから派生して、テノールと呼ばれるようになったと言われている。

 英語のsustainable(持続可能) の動詞sustain(状態を持続させる)や、maintenance(整備)の動詞maintain(状態を維持する)などの言葉の-tainは「〜を保つ」の意味をもった接尾語で、これもテノールと同じ語源の言葉である。

 何を「保つ」のかというと、「主旋律を保つ」ことで、元々グレゴリオ聖歌の長く延ばして歌う部分を指し、その声部を担当していたからと言われている。

 baritone=バリトンは、ギリシア語の「低い音の」の意のbarytonosが語源である。初め(16世紀)はbass=バスと同義に用いられ,最も低い声部を指していたが、のちにバスと区別された。

 ちなみに英語では、スペルはbassで「ベイス」と発音する。 おそらくbase=ベース(基底、底)と同源かと思われる。

 ここまでで、かなりの誌面を費やしてしまった。

 さて話を進め、まずは馴染みの交響曲から。

 symphony=交響曲は、symとphonyから成っている。

 symはsympathy=同情、共鳴、同感のsym、phonyはphone=

音、音声の同源、つまり「交響」とは実に上手な直訳なのである。

 ちょっと難解なのが、concerto=コンチェルト(協奏曲)。

 「独奏楽器あるいは独奏楽器群とオーケストラ(管弦楽)のための楽曲」と定義されている。

 最後が-oなので、イタリア語の男性名詞だということは想像に難くない。

 が、そのイタリア語では音楽会=コンチェルト 、そして協奏曲も同じくコンチェルトと発音される 。

 ラテン語のconcertare=コンチェルターレ(音を合わせる)に由来している。つまり、コンサートと協奏曲は同源ということである。

 con-は「共に」「協-」、certoは「認識」や「決定」の意がある。

 英語のcertein=確認する、確信する と同源と思われる。

 英語では、ピアノ協奏曲はpiano concertoとイタリア語に近い表記となる。

 concertoには、「論争する、競争する」という意味もあるが、一方で「協調する」という意味もある。「独奏楽器(群)とオーケストラとのかけ合い」というのが元の意味であろう。では、音楽会のコンサートは?となるが、なかなか明快な解答が見つからない。音楽会で協奏曲がよく演奏されたため、音楽会の代名詞となったのではなかろうか。

 divertimento=ディベルティメントは、喜(嬉)遊曲と和訳されている。

 concertoと同様、英語でもイタリア語と同じスペルで、母音で終わっている。

 英語のdiversion=気晴らし、娯楽と同義で、「喜遊」の字を当てたものと考えられる。器楽組曲で、明るく軽妙で、深刻さを避けた楽曲を指す。ちなみに、医学用語でdiverticulumは憩室(消化管の一部にできた袋状の陥入)と和訳されているが、これも同源であろう。(消化管の)流れから小さな路地のように引っ込み、ほっとできるような(流れから外れた)部分という意味合いからではないだろうか。

 似たものでserenade=セレナードがあるが、こちらは小夜曲と和訳されている。前者が室内演奏用であるのに対し後者は屋外演奏用とされている。

 セレナードはもともと、男性が夜、女性のいる窓辺に向かって女性を口説くための曲であった。serenadeはラテン語のserenus=平穏な、が語源とされている。世の中が平穏でないと、こんな口説き方はできないからだろうか。

 そのうち、夜に野外で演奏される曲全般を指すようになった。

 モーツァルトのEine Kleine Nachtmusik=アイネ・クライネ・ナハトムジークK.525は、小夜曲をそのままドイツ語にしたもので、モーツァルト自身が目録に書き加えたとされている。

 nocturne=ノクターンは、夜想曲と和訳されている。夜の情緒をテーマにした叙情的な曲のジャンル。語源はラテン語のnox=ノクス(夜)から、その複数形が「ノクティス」これが英語化したものである。因みにフランス語では「ノクチュルヌ」と発音する。

 さて、ballade=バラードは譚詩曲と和訳され、その名の通り世俗の叙情歌で、詩的な側面もある。

 面白いところでは、capriccio=カプリッチョ。和訳では奇想曲。

 Wikipediaでは「形式が一定せず自由な機知に富む曲想」と解説されている。かなりアバウトな定義である。

 英語、仏語ではcaprice=カプリースと発音され、「気まぐれな」と和訳されている。 以前、イタリア人の患者に、カプリッチョとはどんな意味か尋ねてみた。彼が挙げた例として、「家に帰ってみたら子供が室内を散らかし放題にしていて驚いた、そんな感じ」と、説明してくれた。下手な英語で、「beyond expecting?」と聞き返したら「so!」と言ってくれた。現代語では「うそっ!」と言った感じだろうか。カプリッチョとは、そこまで極端ではないにしろ、「何があっても構わない曲」といったところではないだろうか。

そうだったのか語源㉚ -美しい日本語 その他-

美しい日本語が続くが、今回は徒然なるままに思い当たる言葉として、まずは「面影」について。

 「面」は表(おもて)で、そのままの見える顔そのものを指し、一方「影」は光の当たらない暗い部分を指す。つまり、なにか実物とは違う間接的な像、つまりそこに想像力の入り込む余地があるように思われる。これが転じて、「目の前にあるものから思い出される様子」や「記憶の中にある顔かたち」を意味するようになったと考えられる。深い言葉である。

 ちなみに、英語ではone’s face(顔について)image traceなどがその訳として当てられているが、これらの単語の中に、日本語の「面影」のような微妙な意味合いが含まれているように感じ取れないのは、私が単に英語に造詣がないためだろうか。

 日本語的に美しい言葉に「ひとしお」がある。

 もともとの状態に比べ、さらに程度が増すことを表す言葉である。

 漢字では「一入」と書くが、これは染物を一度染料に浸すことが語源とされている。染料に浸すたびに色が濃く鮮やかになっていくことから「一入」で、二回浸すことを「再入(ふたしお)」、さらに何度も浸すことを「八入(やすお)」と言うそうである。

 次は、日本語の真髄のような言葉、「ゆかしい」について。

 「ゆかし」という古語は「行かし」から来ており、「行かし」とは「そこに行ってみたい、知りたい」が本意で、心がそこに惹かれる様を表現している。現代では「奥ゆかしい」という使われ方がほとんどだが、その通り「奥まで行ってみたい、奥義まで知りたい」という意味である。全てをさらけ出しては、さらに知る由もなく興味が止まってしまう。一部分しか見せない、知らせないがためにそこに想像力が働く余地がある、これは日本画にも通じる余白の世界で、日本人ならではの感性ではないだろうか。

 西洋画は背景を含め、全て彩色する。音楽も、音符が表現するものが全てである(もちろん、解釈によって異なる部分もあるが)。それが全て、眼前の視覚、聴覚等、五感に訴えるものが全てであり、人間が感覚的に捉えたものが絶対的な真実であるという、ルネッサンス期の西洋文化の真髄たるものが凛として存在する。絶対的な真実を探求する知的好奇心がルネッサンス文化を作ったと言っても、あながち的外れではあるまい。  

 それに比べると、日本の文化はやはり根本的に違うように思える。

 以前にも触れたが、左右非対称の美、未完成の美、つまり変化、発展する余地を残した美が日本文化にはあるような気がする。余白を残し、墨の濃淡のみで情景を表現する水墨画や回遊式庭園、建築では桂離宮の美しさはまさにこの代表と言えまいか。

 次に「さりげない」という言葉について。これも、先の「ゆかし」と通じる、日本人の感性を象徴するような言葉である。

 「さりげ」は本来は「然りげ」と書き、「さ」と「ありげ」から転じた言葉で、「そのようでありそうな」「(いかにも)それらしい」という意味である。

 そこから「さりげない」は、意図を感じさせないように行う様子をいう。さらに、これといった目的を持たない、何気ない様子を表現することもある。

 最近では、意図はあるもののそれを感じさせない、あるいはそれを悟らさせない巧妙な仕草を指すようにも思える。

 さて、「よろしく」という言葉は日常的に実に多くの場面で使われ、意味も一筋縄ではいかない。これはもう、美しいというより難しい日本語の範疇に入るものであろう。この言葉は副詞だが、元となる形容詞の「よろしい」から。

 これは漢字では「宜しい」と書く。広義では「よい」だが、「結構だ」「好ましい」から、「許容できる(かまわない)」「ちょうどよい(適当だ)」「承知した」等、色々な使われ方をする。共通するのは、及第であるという概念だろうか。

 そこから派生した「よろしく」は、「適当に(うまく)」だが、人に何かを頼むときに添える言葉でもある。「◯◯さんによろしく」のように、相手に、別の人への好意をうまく伝えてもらう場合にも使われる。やや変わったところでは、上につく名詞に続けて、「いかにもそれらしく」の意味で使われることもある。

 最後の使い方以外は、「よろしい」から派生した言葉であることは理解できる。

 歌に出てくる言葉にも美しいものがある。

 「埴生の宿」の「埴生」とはこれいかに。

 「埴生」は、「埴(はに)」のある土地を指す。「埴」は「埴輪」からも想像できるように、土、あるいは粘土を指し、床も畳もなく土がむき出しになったいわば土間だけの状態で、そのような粗末な家を「埴生の宿」と表現した。「埴生の宿も我が宿、玉の装い羨(うらや)まじ」と続く。後半は、「豪華な装飾も決して羨ましくはない」という意味である。実はこの曲、イングランド民謡の「Home! Sweet Home!」(日本語訳:楽しき我が家)が原曲である。この歌詞は直訳ではなく意訳で、日本語としても美しい歌詞となっている。

「蛍の光」もスコットランド民謡「Auld Lang Syne」(スコットランド語)が原曲で、英訳では「times gone by」で、「過ぎ去りし懐かしき昔」などと和訳されている。「蛍の光」が別れの歌であるのに対し、「Auld Lang Syne」は旧友との再会を喜び、昔を懐かしむ歌詞となっている。

 さて、この「蛍の光」の歌詞は4番まであるが、一般的には2番までが歌われる。

 1番は、

「螢の光窓の雪、書(ふみ)讀む月日重ねつゝ、何時(いつ)しか年もすぎの戸を、開けてぞ今朝は、別れ行く」

 2番は、

「止まるも行くも限りとて、互(かたみ)に思ふ千萬(ちよろず)の、心の端を一言に、幸(さき)くと許(ばか)り、歌ふなり」

 1番でわかりにくいのは、「何時しか年もすぎの戸を」ではないだろうか。もっと絞れば「すぎ」の部分で、これは「いつしか年月も過ぎてしまった」と「杉の戸を開けて」の掛詞である。檜(ヒノキ)の戸では洒落にならないのである。

 2番では、「限りとて」は「今日限りである」の意、次の「互に思ふ千萬の心の端を」は「お互いを思う何千何万の気持ちを」、「幸くと許り」は「どうか無事でいてねとの思いで」となる。

 次に、「イロハニホヘト—」について。

 物事の順番を表すのに、「123—」(数詞)「abc—」(アルファベット順)、そして日本では「アイウエオ—」(50音順)「イロハニホヘト—」等がある。

 前の3つは順番として規則性を感じるが、「イロハニホヘト—」はやや異質ではないだろうか。イロハ順と言われている順番である。

 これは、平安時代末期に流行した「いろは歌」がもととなっている。「いろは歌」とは、七五を4回繰り返す歌謡形式に則り、さらに仮名一字を1回ずつ使うという制約の下で作られている。

 江戸時代までは、一般的にはイロハ順が使われていた(50音順は、主に学者らの間で使われていたそうである)。ちなみに現在では、公文書には50音順を使うことと定められている。

 イロハは音名(階名)にも当てはめられ、イタリア式表記の「Do Re Mi Fa Sol La Si」(ド レ ミ ファ ソラ シ)、英語式表記の「C D E F G A B」を日本では「ハニホヘトイロ」とした。ハ長調、ト短調といった具合に。

 さて、「イロハ—」の全文は、

「いろはにほへとちりぬるをわかよたれそつねならむうゐのおくやまけふこえてあさきゆめみしゑひもせすん」で、元歌は、

「いろはにほへど ちりぬるを わがよたれぞ つねならむ うゐのおくやま けふこえて あさきゆめみじ ゑひもせず」である。

 イロハ順は濁点を取っている。元歌を漢字を入れて表わすと、

「色は匂へど散りぬるを 我が世誰ぞ常ならむ 有為の奥山今日越えて 浅き夢見じ酔ひもせず」

 最後の「ん」は使われていない1文字を入れて、48文字とした。

 歌の意味は、

「色は匂へど散りぬるを」→「香り豊かで色鮮やかな花も、いずれは散ってしまう」

「我が世誰ぞ常ならむ」→「この世に生きる誰しもが、いつまでも変わらないことなぞない」

「有為の奥山今日越えて」→「無常で有為転変(=有為無常:常に変化しとどまるところを知らない)の迷い、その奥深い山を今乗り越えていく」

「浅き夢見じ酔ひもせず」→「悟りの世界に至ればはかない夢など見ることなく、仮想の世界に酔うこともない安らかな心境である」

となる。まるで平家物語の冒頭の「祇園精舎の鐘の声—」のようで、実に深い悟りの境地が込められている。「大乗仏教の悟りを表した歌」との解釈もある。 

 しかも、一語の重複もなく読まれていることに驚嘆するばかりで、ただ順番を表わすだけに使われるには、あまりにもったいない。 

そうだったのか語源㉙    -続々・美しい日本語-

 最近の日本列島は洪水や氾濫、鉄砲水等、水による被害が多くなっている。温暖化の象徴的な現象なのかもしれない。

 それでも、世界的にみれば水が比較的容易、安価に手に入る日本において、その源である雨について。 

 この雨には実に様々な表現があり、ある辞書によると1200ほどあるとか。

 いくつか、目についた表現を取り上げてみたい。

 気象予報でもポピュラーな「にわか雨」は、急に降り出して短時間で止む雨のことをいう。     

 では似た表現で「通り雨」とは。さっと降ってすぐに止む雨と説明されているが、にわか雨との違いは降ったり止んだりを繰り返す、つまり断続的なものが「通り雨」となっている。ちなみに気象用語ではこの表現は使われず「時雨(しぐれ)」という。

 「にわか雨」「通り雨」とも、積乱雲から突然降り出す「驟雨(しゅうう)」という雨の範疇に入る。  

 「五月雨(さみだれ)」は、旧暦の5月に降る長雨、つまり現在の梅雨を指す。

 ついでに「さみだれ式」とは、この雨のように、途中で中断を挟みながらもだらだらと続く様子を言う。 

 「土砂降り」が、大粒の雨が激しく降る、いわゆる豪雨をさすことには異論はなかろう。あとは「土砂」だが、ひとつには土砂を跳ね飛ばすような勢いからという説と、擬態語の「ドサッ」と「降る」を組み合わせたもので、「土砂」は当て字とする説がある。

 雨と雪が混ざって降るものを「みぞれ」といい、漢字では「霙」と書く。雨冠は空から降るものを表し、旁の「英」は花や花びらを意味することから、花びらのように雨よりゆっくり降ってくる様を指しているものと考えられる。

 ちなみに、「氷雨(ひさめ)」とは冬季に降る冷たい雨を指すが、雹(ひょう)や霰(あられ)といった空から降る氷の粒を指すこともある。

 霧雨(きりさめ)は文字通り、霧のような細かい雨(厳密な気象用語では雨滴の直径が0.5mm未満)を指すが、別名小糠雨(こぬかあめ)とも呼ばれる。

 さて、「夕立」は夏の午後から夕方にかけて降る激しい雨を言う。

 もともとは、雨に限らず風や波、雲などが夕方に起こることを「夕立つ(ゆうだつ)」と言い、それが名詞化したという説が有力である。

 ところで、日が照っているのに急に降り出す雨のことを「天気雨」、あるいは「狐の嫁入り」、日照雨(ひでりあめ)と言う。

 この曰くありげな「狐の嫁入り」だが、一般的には、夜の山中や川原などで無数の狐火(冬から春先にかけての夜間,野原や山間に多く見られる奇怪な火)が一列に連なって提灯行列のように見えることをいい、狐が婚礼のために提灯を灯しているという伝説がある。昔は、夜に提灯行列などがあると、それは大抵が他の土地からやって来る嫁入りの行列だったいう。一方、近所で嫁入りなどがあると、誰でも事前にそのことを知っているので、予定にない提灯行列は、狐が嫁入りの真似をして人を化かしていると言われていたようである。

 つまり、予測なしに、あるいは予測できずに降ることがこの伝説にちなんだのか、あるいは晴れているのに雨が降るという、狐につままれた様を指すのか詳細は定かではないが、根拠として全くの見当外れではあるまい。

 梅雨(つゆ)も日本らしい言葉だが、起源はどうやら中国らしい。

 梅雨は、春から夏への季節の変わり目に停滞前線(梅雨前線)の影響で雨や曇りの日が続く気象現象を言う。中国の長江下流域で梅の実が熟す頃に降る雨が語源との説が有力である。

 日本ではこの他に、梅雨に似た長雨に三つ名前がついている。

 菜種梅雨(なたねづゆ)、すすき梅雨、山茶花梅雨(さざんかづゆ)と呼ばれている。

 順に、菜種梅雨は菜の花の咲く頃の長雨を指すが、いろんな花の咲く時期と重なるので催花雨(さいかう)とも呼ばれる。日本的な美しい命名である。

 次のすすき梅雨は比較的時期の幅があり、8月下旬から10月上旬までの長雨を指す。

 すすきの季節に降る長雨という意味だが、「秋の長雨」あるいは秋霖(しゅうりん)の別名もある。

 最後の山茶花梅雨は晩秋から初冬、つまり11月下旬から12月上旬に降る長雨を言う。名の通り、山茶花の花の咲く頃の長雨の意である。名前に「花」がつくものの、この長雨は気温も下がり日も短くなる頃に降る雨で、心なしかうら寂しい響きがある。

 これらはどれも、日本的季節感のにじむ呼び名である。 

 その他、感謝を込めた雨の呼び名もある。

 慈雨、あるいは「恵みの雨」は、万物を潤し育てる雨を言う。別に「甘露の雨」の表現もある。

 「干天の慈雨」とは、日照り続きの時に降るありがたい雨の意だが、転じて、困っている時に差し伸べられる救いの手の比喩としても使われる。

 個人的には今回のメインのテーマと思っている「別れの言葉」について。

 状況を問わず、最も頻用される別れの言葉は「さようなら」。

 「然様(さよう)」は「然様でございます=そのようです、そうです」のような表現にも使用されるので、前に起きた特別なことを表現するというよりは、前提として起きたことを含めてのクッション(言葉の印象を和らげる)言葉的な意味合いで使用されることが多いようである。

 ということで、別れの挨拶である「さようなら」つまり「然様なら」は、「用事が完了したので」や、「そろそろいい区切りなので」というような意味合いで使われ、より現代的な口語に言い換えるならば、「そろそろバイバイね~」「じゃーね」的なニュアンスになるのであろう。

 いずれにしても、元になる「なら」は仮定条件として使われる言葉である。

 「じゃー」の語源である「では」も同義である。

 その意味では、「では、さようなら」は、仮定条件が重複しているので、文法的には誤りと言えよう。

 さらに、より古い表現では「さらば」があるが、これも「さ、あらば(そうであるならば)」が語源で、やはり仮定条件からの派生である。

 これらの言葉から類推するに、日本語では単刀直入な表現は「はしたない」という文化があったようで、「別れる」「帰る」という本題をはっきり表現せず、仮定条件の言葉で婉曲に表現することを好んだのではなかろうか。このような文化は、良くも悪くも日本のディベートや政治においても色濃く残っているように思う。

 これら日本語の表現に共通するのは、刹那的というか、単にその時の別れの挨拶でしかない、ということである。

 ちなみに英語では[see you again]が一般的だが、[good by]も同様に使われる。

[good by]は[Godbwye]の略語、さらに元を辿れば[God by with you]が語源、つまり、「神が汝とともにありますように」あるいは「神のご加護を」の意で、いかにもキリスト教色の濃い言葉である。

 少なくとも、先の日本語には相手の将来を慮る意があるようには思えない。

 その思いやりの意を含む日本語としては、「お元気で」や古くは「お達者で」、あるいは手紙で常用される「ご自愛ください」が使われる。また、少々上品な言葉「ご機嫌よう」も別れの言葉で、「ご機嫌よくお過ごしください」を略した言葉である。

 さらに丁寧な言葉では「ご機嫌麗しゅう」がある。これもその後に、「お過ごしください」等が続いたのが略されたものだと思われる。別れや手紙の文末に使われ、意味としては「気分良くお過ごしください」といったところか。

 似たところでは、手紙の文頭や挨拶に使われる「ご機嫌いかがですか」は、現在でも常用される相手の健康を気遣った表現である。

 さらに同様な意味を含んだ挨拶の言葉としては、一般的な「お元気ですか」の他に、「お達者」「ご健勝」や「つつが無い」という表現が使われることがある。後者は「恙無い」と書き、病気、災難などがなく日々を送っている様を言う。

 もともと「恙」の意味は、「ダニ、病気、災難」で、「ツツガムシ」とはケダニを意味する。童謡「ふるさと」にも「つつが無しや友がき」というフレーズがあるが、要するに元気で平穏無事ですか?という意味である。同様に最近ではほとんど使われない言葉に「息災」がある。

 「息災なく」や「息災でしたか」「息災でなにより」といった使われ方をする。

 現在、日常的には「無病息災」という4文字熟語での使われ方が圧倒的に多い。

 「息災」の意味は、

 1.仏の力によって災害や病気などの災いを消滅させること

 2.身にさわりのないこと。達者。無事

となっている。

 もともとは、修行する人の煩悩を取り払う仏教用語が元となっている。

 ちなみに「息」には「やむ、しずめる」の意があり、意訳すれば「災いを鎮める」となる。

 「ご機嫌麗しゅう」で使われた「麗しい」という言葉について。

 一般的には、「美しい」という言葉がこの意味で使われている。

 辞書には、

 ① (外面的に)魅力的で美しい。気品があってきれいだ。

 ② (精神的に)心あたたまるような感じだ。

 ③ きげんがよい。晴れ晴れしている。

とある。この中で、③ だけが「美しい」に置き換えるのにやや抵抗がある。

 ただ一方で、「おいしい」に「美味しい」という漢字が当てられることがある。

 ここから察するに、女子の名前で「よしこ」の漢字に「好子」や「美子」が使われるように、「美しい」にも好ましい、あるいは好感が持てるという意味合いがあり、使われる機会は多くはないものの、③ もまんざら本来の使い方から外れてはいないように思える。

 要するに、「麗しい」は「美しい」に対し、やや格調高い、あるいは古風な言葉と言えるのかもしれない。

 美しい日本語は大事にしたいものである。