「そうだったのか!語源」②

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2回目の今回は、やはり医療に関わる言葉を中心に取り上げてみたいと思う。

マスコミ等で、医療機関に対し、批判的な意味合いを込めて、「患者がたらい回しにされた」という表現がよく使われる。

救急患者にとっては一刻の猶予も許されない場合もあるわけで、受け入れを拒否されたことがけしからんとばかりにこの表現をされる。「たらい回し」には責任逃れの意味合いが強い。

一方の受け入れ側では、設備やスタッフにそのキャパシティがなく、予後に責任が持てないためにやむをえず「お断り」するわけで、医療関係者としてはこの辺の情状も酌量しての報道を願いたいところである。

閑話休題。

まず「たらい」だが、若い方の中にはご存じない方もおられるかもしれない。

顔や手を洗う平たい桶で、「手洗い」が転じたものという説もある。曲げわっぱの大きなものと思えばいいのだが、わっぱもご存じない方は、ご興味があればWikipedia ででも調べていただきたい。

「たらい回し」とは、このたらいを仰向けになって足でくるくる回し、次から次へと渡していく芸のことを指す。つまり、言葉としては「回す」ことではなく、渡すことが意味の主体となっている。これが現在の責任転嫁を揶揄する諺となっている。

次に、ヤブ医者。これには諸説あるが、最も有力なのが以下の説。

野巫(やぶ)医者が転じたもので、「野巫」の「巫」は巫女(みこ)にも使われ、神に仕える者を指し、「野巫」は田舎の呪術師という意味で、いいかげんな呪いで病を治そうとするいかがわしい医者を表現したものと考えられる。その他、「野暮な医者」が訛ってヤブ医者となったという説もある。

次にその対極にある「赤ひげ」。

一定の年齢以上の方はご存知かもしれないが、これは、山本周五郎の時代小説「赤ひげ診療譚」(1953年)の主人公の人情味溢れる医師、新出去定(にいで きょじょう)のあだ名が赤ひげだったことによる。

そういえば、ブラック・ジャックも、意味の違いこそあれすでに象徴的に使われている。

医師の「見立て」という。

「見立て」とは、「見る」と「立つ」が融合した言葉である。

「立つ」には、決まりなどをしっかり決めるという意味があり、つまり見て、善し悪しを決めることを表す。ここから、品評することや診断することを指すようになった。

五臓六腑

これは、伝統中国医学で使われている言葉で、五臓とは心臓、肝臓、肺(臓)、脾臓、腎臓、六腑とは大腸、小腸、胃、胆(嚢)、膀胱、三焦を指す。

この中で、三焦(さんしょう)とは聞きなれない言葉である。中国伝統医学では、「働きだけがあってカタチがない」と記されているが、実体はリンパ管とされている。

「五臓六腑に染み渡る」という使われ方をする場合が多いが、この表現は上戸の方には実感できるのではないだろうか。

腑に落ちない

腑とは「はらわた」、つまり内臓、腸を指すが、意味が広がり心や心根といった意味もある。

「腑に落ちない」は、食べたものが腸に収まらないということだが、後者の使い方では、人の意見などがうまく心に入らない、つまり納得がいかないという意味で用いられる。

似たような表現で、「溜飲が下がる」という諺があるが、不安や不満などが消えて胸がすっとすることを表すが、「胸のつかえが下りる」という言い方もある。

腑の意味を広げず、もともとの内臓の意味で使ったほうが諺全体として意味がスッキリするように思うのだが、いかがだろうか。

ちょっと、奥歯に物の挟まったような言い方だったらご容赦願いたい。

さて、もともと「腑に落ちない」と否定形で使われることが多いが、肯定的に「腑に落ちる」という使われ方をすることもあるようだ。

本筋から外れるが、「とても」や最近では「全然」までが肯定形で使われるようになっている。時間軸における言葉の変化を実感する。

 

「腑」で思い出したが、「ガッツ」という言葉がある。gutsはgutの複数形で、これこそ日本語で言う腑、つまり内臓である。楽器の弦やラケットに張る線をガットというが、日本語では腸線で、つまり羊などの腸から作った線である。その名残で、今でもHY-SHEEPという名のガットがある。

gutsには根性や勇気、決断力といった意味があるが、内臓が健康でこそそういった力も湧いてこようというものである。

これで合点がいき、腑に落ちただろうか。

(群馬県保険医協会歯科版掲載のための原稿)

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