立春

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 実は、1/16に自分の不注意から自転車で転倒し、左の鎖骨を骨折してしまいました。
 しばらくは入浴もひとりでできず、家内にだいぶ迷惑をかけました。
 何をするのも億劫で、キーボードを叩く気にもなりませんでした。 まだ鎖骨バンドと三角巾で固定していますが、当初に比べずいぶん楽になりました。
 日に日にひとりでできることが増えてくる喜びは、骨折しなければ味わえなかったものです(半分以上、負け惜しみですね)。
 スタッフにもまだまだ迷惑をかけていますが、私の左手の代わりになろうと皆協力してくれるのは、本当にありがたいことです。
 患者さんもそんな私の姿に驚き、帰りしな口々に「「お大事に」と、なんだかいつもと逆のお声かけを頂いています。
 焦らず、でも早く回復したいものです。

 さて、いつの間にか立春を迎えました。
 年末から1月にかけて例年になく寒い日が続いたので、2月初旬はかえって寒さが緩んだような気がします。
 いつだったか、立春を迎えると居間の馬の置物に朝日が当たるというブログを書いたことがありました。
 今年もやはり当たってきました。 日差しに春を感じます。
 東山魁夷の残照(もちろん複製画)にも朝日のスポットライトが当たり、より荘厳な風情が感じられます。

椿山荘

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期間限定の格安のチケットが手に入ったので、10/24 夫婦で東京の椿山荘に一泊してきました。
通常の宿泊料では、「ちょっと一泊」というわけにはなかなかいきません(笑)。
さて、一流のホテルだけあって、スタッフの対応はやはりさすがでした。
部屋は9階だったので、話題のスカイツリーも左遠方によく見えました。
翌朝、名物の庭園を散策してみました。
 もともとは明治時代の政治家、山縣有朋の屋敷だったそうです。都内とは思えない静かさでした。 なんでも今でもタヌキが棲んでるとか。
 そして、その土地が風光明媚だったため、椿山(つばきやま)と名づけたのがホテルの名前の由来だそうです。小高い山を中心に、ツバキとカエデが目立って多かったように思います。
 「南に早稲田田圃、西に富士山が見え—」とありますから、高台だったことと周囲に眺めを遮るようなものはなかったということで、今では全くの想像の世界です。
 

いまはもう秋—

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 ここのところ雑用に振り回されていましたが、気がつくと9月下旬.
 ついこの間まで、「この猛暑、いつまで続く?」と、記録的な猛暑の攻撃にうんざりしていたことを思うと、あまりに急激な朝晩の涼しさに戸惑いさえ感じます.
 「暑さ寒さも彼岸まで」
 この諺は今年も説得力がありました.
 さて、ぶらっと蓼科まで出かけてきました.
 暗いうちには、シカ、タヌキ、キツネに遭遇しました.
 早朝の気温は8℃. これはもう晩秋の陽気です.
 写真は左側が八ヶ岳.右1/3に北岳も見えます. 時間は午前9時頃でしょうか.
 空はすっかり秋の気配です.
 いい空気を吸ってきました.

天使の分け前(取り分)

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 私はワイン好きですが、夏の特別暑い時期以外は、ほとんど赤ワイン専門です.
 診療も終了時間に近づく17時頃になると、今日はどのワインを開けようかと、密かに不謹慎な楽しみがわいてきます.
 さて、今年の猛暑はまだしばらく続きそうで、私が白を飲む時期も記録的に延びそうです.
 さて皆さんは、天使の分け前(取り分)という言葉をご存知でしょうか.
 Wikipediaによると、
『ワインやブランデーなどの酒は、その製造工程に「樽などでの熟成」という工程を含んでいる。熟成は短くとも数年単位、十数年の熟成が行われることも珍しくはなく、場合によっては数十年の熟成がなされる場合もある。樽は基本的に木製であり、液体は通さないが気体は通すため、熟成の間に酒に含まれる水分やアルコール分が蒸気となって少しずつ樽からしみ出ていく。すると、熟成開始時の量と比較して、熟成終了時(つまり、出荷時)の量は減少してしまう。この減少分を、「天使の取り分」と呼ぶ。』
 写真のワインをご覧ください.
 まだ抜栓前にもかかわらず、中身が半分しかありません.
 いかに天使の分け前にしても、飲み過ぎじゃありませんか。
 しかも、樽ではなく瓶詰め後ですからね。 
 荷造りの際、気づかなかったのでしょうか.
 ネットで入手したものですが、販売店に写真を貼付して連絡したところ、代わりのワインと交換するとのこと。そして、参考までに現品を返品してほしいと.
 おそらく、ここまで減っているのは珍しいことなのでしょうね.
 さすがの猛暑で、天使も脱水状態になったのでしょうか.
 天使の取り分ならぬ、天使へのtributeとか(冗).
 

 

ダブル•デライト etc.

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  先週、コンフィダンス開花のお知らせをしましたが、いよいよ他のバラの開花も本格的になりました。
 左の二つは同じ株の花ですが、全く別物のような表情をしています。
 また同じ花でも、咲き始めと満開、および散り際で色合いが全く変わります。
 また、フルーツ系の強い芳香もこの花の魅力です。
 花の名は、以前にもご紹介した、ダブル•デライト(Double Delight)です。
 「二つの楽しみ」といった意味でしょうか、「一粒で二度おいしい」=グリコのキャッチフレーズを思い出します。
 さて、この「二つ」が色の変化を指しているのか、あるいは色と香りのことなのか、いまだに謎ですが、いずれにしても楽しめるバラであることに間違いありません。

 もうひとつの写真は、赤いバラ(名前は不明)とヤマボウシの赤と白のコラボです。

コンフィダンス(confidence)

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 冬から春にかけての記録的な低温で桜の開花も平年より1週間遅れました。
 例年では5月の連休に、有名な前橋のバラ園のバラが咲き誇るのですが、やはり今年は遅いようです.
 我が家のバラの開花も今年ばかりは遅れ気味で、やっと早咲きのものが開花しだしました.
 写真はコンフィダンス(confidence:HT系)、フランス語読みですが英語では「コンフィデンス」で、自信とか、信頼といった意味です.
 実はこのバラ、バラに取り憑かれるきっかけになった代物です.
 20年前に購入した株は数年前、テッポウ虫に見事にやられました.
 でも、黄色とピンクの優雅なグラデーションを忘れることができず、3年前に再度購入しました.
 このバラの魅力を伝えられるような写真がなかなか撮れなかったのですが、今回はそれに近いものが撮れた気がします.
 香りも一緒に伝わればうれしいのですが。

遅咲きのミモザ

 img_2003.jpg今年は年明けからの記録的な寒さのせいで、桜も遅れそう。
 東京の上野公園では、昨日(4/8)満開の桜の下で、花見を楽しむ人々がテレビで紹介されていました。
 桜の花より人の方が多いのではと思えるほど。
 前橋ではまだつぼみが開き始めたところ。
 でも気象予報では、今週は5月の陽気が続くとのことなので、一気に満開となるかもしれませんね。
 医院前のミモザ、ご多分に漏れずいつもより遅咲きです。
 ちょうど桜の露払いのようなタイミングです。
 

ゲンカイツツジ

 img_1991_edited-1.jpg 今年の冬の寒さは記録的、春は遠いと思っていたら、ベランダの白いゲンカイツツジが開花しました。
 そういえば、先週結婚式で訪れた東京の乃木神社境内の梅は満開でした。バラの新芽もここⅠ〜2週間でずいぶん大きく膨らみました。
 春までもう少しの辛抱です。
 

歯科用CT(プロマックス3D)の導入

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 今回も診療のお話です。
 今年2月末、かねてよりの懸案だった歯科用のCTをついに導入しました。
 私も57歳になり歯科の開業医としての先が見え始めた今、これから大きな借り入れをすることに迷いがあったのも確かです。
 しかし、生来の優柔不断な性格の私が身につけた処世術、それは既成事実から姿勢を決めるという方法です。この最近の私の流儀(笑)に従い、ついに心を決めました。
 別の見方をすれば、新規開業で返済が重くのしかかっている歯科医には、CTなどの高額医療機器を開業当初から導入することはかなりのリスクになります。
 30年近く地域で開業し、それなりに返済も終わっている私たちが、診断のためのより正確な情報を得るため導入すべきものではないか、とも思うのです。
 とはいえ、高額であることには変わりはないのですが。

 ところで、歯科にCTって何に使うの?と思われるかもしれません。
 実は、歯髄(歯の中の神経)の状態や歯槽骨(歯の周囲の骨)、歯の根の形といったものは、外からは正確には把握できないのです。
 ではこれまでどうやって治療をしているのか。
 実は、経験と手探りと試行錯誤でやっているというのが偽らざる事実なのです。
 病態の真の(真に近い)状態を把握しより適切な治療をしたい—こう思うのは、歯科医として自然な欲求なのです。

 さて、歯科用のCTはコーンビームCTといわれ、医科の一般的なCTと比べ、
・装置が小型
・照射範囲は限局されている
・より細密(0.1mm単位)な画像処理が可能
・金属等の影響を受けにくい
・放射線の照射線量が少ない
といった特徴があります。
 この装置を使って、治療でよりよい結果が出せるか、あとは使う私たちの力量が問われますね。
がんばります。

 

あの日のわたし

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 年明け早々、一冊の本が送られてきた。
 宮城県の海岸近くの町で津波に被災した、大学の後輩からだった。
 タイトルは「あの日のわたし」。
 東日本大震災を直接、あるいは間接的に体験した方々の手記99通を編集したものだ。
 表紙の写真のなんと印象深いことか。
 99人の思い、いや掲載されなかった人たちの思いまでをも雄弁に語っているようだ。
 一人の僧侶が降りしきる雪の中、瓦礫の荒野に立ち静かにお経を唱えている。そこには神々しささえ感じられる。そして鎮魂の思いが読む者の胸にしみてくる。
 一瞬で家族を失った無念さ、自然の力の前での人間の無力さ、未だ行方の知れない者への思い、字を追っていくといつしか涙が頬をつたう。
 そして彼の手記も載っている。
 津波が診療室の一階を飲み込み、波に運ばれてきた家の屋根や船が不気味な音をたて外壁を擦る中、二階に逃れた彼は完全に周囲から孤立し、無意識に座禅を組んでいたという。
 彼は死を覚悟していた。このときの心境をこう語っている。
 「やがて命を天に預けたと言いますか、天の流れに身を任せる覚悟ができました。もし生かされたら、きっと意味があるはずだ。そのために残りの人生を捧げようと誓いました。」

 また未曾有のパニック状態のなか、秩序を守り、互いに思いやる人間の、日本人のすばらしさを実感した手記。
 亡くなった方々、そして悲しみの分、未来に向かって力強く生きようとする手記も載っている。 
 手記を寄せた人たちは誰一人、作家ではない。
 素人の表現だからこそ、そのときの心境がまっすぐに胸を打つ。