昨日は夏日のような陽気でしたが、今日は一転して真冬のような寒さに。
桜に雪が降る光景は、ここ前橋ではごくごく稀です。
で、寒い中、買い物がてら、敷島公園まで足を伸ばし花見と洒落込んだのですが、さすがカメラマンたちはタフであり、かつ写真のスポットをよくご存知で、雪の降る中、20〜30人ほどが、ベストショットを狙っていました。
私はといえば、車から出て1分ほどで震えながらそそくさと退散しました。
明々後日は4月です。
趣味の事を書いたブログです
副題のごとく、日本語には訓読みは同じで意味として共通部分はあるものの、異なる漢字が使われるものがある。これを同訓異義、あるいは同訓異字というが、その数はかなり多い。
日本語は、多くの言語の中でもとりわけ語彙(ボキャブラリー)が多いことが、その理由の一つであろう。そのため、駄洒落も生みやすい。
とにかくその数といったら膨大なのだが、幾つか例として取り上げ、それぞれの意味の違いを考えてみたい。
まず、以前の回でも触れたことがあるが、ある場所で生活することを「すむ」という。「住む」は最も広義で使われるが、人偏があるので、もともとは人が生活する場合に用いた。一方で「棲む」は、鳥や獣が巣を作って生活する場合に使われる。「棲息」という熟語からも理解できよう。
目で知覚することを「みる」という。最も広義では「見る」が使われるが、英語ではseeが該当するようである。
ある場所に出かけて見て楽しむ場合、「観る」が当てられる。「見物」や「鑑賞」の意に近い。熟語としては「観光」「観戦」「観覧」等があり、英語ではenjoy( seeing)だろうか。
「視る」は、より神経を集中して見る意味で、「凝視」「注視」の熟語があり、英語ではwatchが近い。
「診る」は医療用語として日常的に使われるが、見て判断、評価するという意味で、医療で使われることが多い。英語のexamineが相当するが、奇しくもseeもこの意味で使われることがある。
「看る」も同じく医療の分野で使われるが、こちらは、悪くならないように気を配る、見守るという意味合いが強く、英語ではcareが近い。
「きく」にも、「聞く」、「聴く」、そして「訊く」がある。
広義で使われるのはもちろん「聞く」で、英語のhearに当たる。「聴く」はより意識的に集中する様で「耳を傾ける」で英語のlistenが、そして「訊く」はたずねて答えを求める意で英語ではaskが当てはまる。
次に、「あける」という言葉では、「開ける」「空ける」「明ける」が思いつく。これらに共通しているのは、空間ができるというニュアンスである。
「開ける」は、門構(もんがまえ)がある様に、閉ざされていたものが開いて新たな空間ができること、「空ける」は、埋められていた物が除かれ空間ができること、そして「明ける」は闇で覆われていたものがなくなり、日が差して明るくなることを表している。
英語では順に、open, empty, break(あるいはdawn)が相当する。
「とる」も、実に多くの漢字が当てられている。
一般的には「取る」が広義で使われ、保持したり自分のものにすることを表している。
「捕る」は(手で)捕まえること、「摂る」は「摂取」などの熟語に使われ、食べること、体内に取り込むことを指す。
また、「穫る」は禾偏より農作物などを収穫すること、「獲る」は獣偏より狩りや漁で獲物を捕まえることを指す。
「採る」は、集める、採集する、選ぶといった意味を持つ。
さらに、「撮る」は写真や映画を撮影すること、「録る」は画像や音で記録することなので比較的新しい使い方といえよう。
「盗る」は、他人のものを奪って自分のものとすること、そして「執る」は手に持って使う、あるいは行うといった意味である。
「おす」にも、「押す」「推す」「捺す」「圧す」がある。
手偏の字が多いことから、それぞれ何がしかの力が関与していることがうかがえる。
最も一般的なのが「押す」で、物に手や指先をあてがって、前方に力を加える行為を指す。
「推す」は、適当な人(物)として薦めることを指すが、「推進」のように、「押す」と同様の意味もある。また、「推し量る」「推進」のように、時間的、方向的な前方への力を感じとれる。
「捺す」は、「捺印」のように上から力や重みを加えることをいう。
「圧す」は、力や権威などで押さえつけることを意味する。
やや使い分けしにくい言葉に「すすめる」がある。
「進める」「勧める」「薦める」「奨める」「推める」といった漢字が当てられるが、これらにも「おす」と類似し、前方に動かすという共通概念がある。
「進める」は広義で、英語ではdrive、advanceあるいはforwardが当てはまる。
「推める」も「推進」で使われるようにほぼ同義だが、手偏があり手で押して前に進めるというニュアンスがより感じられる。
「勧める」は、相手にあることをするように働きかけるの意(英語ではrecommendあるいはsuggest)、「薦める」は人や物の良い点を挙げ、相手に採用を促す意、「奨める」は、励まして奮い立たせる、つまり背中を押すといった意がある。
さて、「かえる」にも、「変える」「代える」「替える」「換える」「帰る」「返る」「反る」等がある。
「変える」は状態を変化させること、場所を移動すること(英語ではchange)、「代える」は熟語にあるように代用する、代理とすること(substituteあるいはreplace)、「替える」は同種の物と入れかえること、それに対し「換える」は、別の物と取りかえることを意味する(change, exchange ,replace, convert)。
以上とは明らかに意味の違いはあるが、「帰る」「返る」「反る」は自動詞で、共通しているのは、ベクトルが逆になるニュアンスが含まれていることであろう。
「帰る」は、「往復」の「往」に対する「復」であり、「もとのところに戻る」の、「返る」は「物がもとに戻る、もとの状態に戻る」の、そして「反る」は「反動」「反発」で使われるように「向きが逆になる」の意である。
「さわる」もなかなか興味深く、「触る」と「障る」がある。
前者は、触れる、接触するという意味、後者は邪魔になる、あるいは害になるという意味である。ちなみに「キザ」という言葉は、「気に障る」「気障り」からできた俗語である。「気分を害する」というのは、感覚的に不快になるわけだから、直接間接の差はあれど、不快な感触と無関係ではなかろう。
ちなみに、「話の触り」といったときの「触り」とは最初の部分ではなく、話の聞きどころを指す。
「いう」にも大きく三つある。
「言う」は、考えや行為を言葉にして表現すること、自分の言葉で表現すること(sayあるいはtell)、「云う」は既存の論旨や他人の言葉を引用すること(state)、「謂う」は、特定の課題について自分で考え意見を述べることと説明されるが、これに関しては残念ながらいまひとつクリアーな説明ができない。
「おもう」では、一般的には「思う」が使われる。
「思」は、「田」と「心」から成り、「田」は幼児の脳を表し、「心」は心臓を表す。つまり「思う」は頭と心で感じるという意味である。
「想う」は、「相」と「心」から成り、「相」は木を対象として見ることを表し、これと「心」とで、「ある対象のことを心で考える」という意味になる。「思う」と比較し、より対象がはっきりとした、あるいは強い感情が込められていると考えられる。「念う」には、心を一つのことに集中させる意味があり、「念じる」と使われるように、一心に思い入れるといった意味がある。
「憶う」は、「記憶」といった使い方からわかるように、かつての事物を忘れないでいたり思い出すといった意味で用いる。英語のsouvenirがニュアンスとして近いかもしれない。
「惟う」は、「隹」が鳥を表す通り、思い巡らすといったニュアンスがある。
最後に、あまり使われないが「慮う」は、「おもんばかる」と読むように、深く思考する意味で使われることがある。
「かける」にも、「掛ける」と「架ける」、そして「懸ける」と「賭ける」がある。
「掛ける」は「ひっかける、上から物を置く」という最も広義で用いるのに対し、「架ける」は物と物の間を渡す場合(歯科のブリッジは架橋義歯と和訳される)、「賭ける」は金銭等賭け事に関する場合、「懸ける」は捧げる、託すといった意味合いで用いる。
「しずめる」は比較的違いが明確で、「静める」は音や声を静かにさせること、「沈める」は水中に没すること、「鎮める」は「鎮圧」という熟語にもある通り、(なんらかの力により)騒動や混乱をおさめることをいう。
逆に何が共通しているかだが、三者とも動きのあるものの勢いを抑える、落ち着かせるといったニュアンスが感じ取れる。
「あう」では、「合う」は二つ以上のものが一つになる、一致するの意(fitあるいはsuit)、「会う」は、人、または何かとあるところで一緒になるの意(meetあるいはsee)、「逢う」は「会う」と類義だが特に親しい関係にある場合に使われる。「遭う」も「会う」と類義だが、嫌な人、あるいは欲しない事柄と偶然あう、つまり「出くわす」(encounter)といった意味で使われる。
「こす」にも「越す」と「超す」がある。
前者が、場所や点、時間を過ぎて向こうへ行くことを表し、後者がある一定の数量や基準、限界を上回ることを表す。換言すれば、前者が水平的な位置の移動であるのに対し、後者は上下的な位置の移動とも表現できる。
ちなみに「漉す」「濾す」は、液体等に混じった不要物、不純物を紙、布、フィルター等で取り除くことを指すので、濾されたものはそこを通過するという意味では、「越す」と同源ではないかとも考えられる。
次に、形容詞の例として「かたい」を取り上げてみる。
「かたい」にも「固い」「硬い」「堅い」があるが、これらは反対語で比較するとわかりやすい。
「固い」は「ゆるい」の(例:固い絆)、「硬い」は「やわらかい」の(例:硬いパン)、そして「堅い」は「もろい」の反対語である(例:堅強)。
ついでに「やわらかい」では、「柔らかい」は曲げても折れない、ふわっとした、あるいはしなやかであること、「軟らかい」はぐにゃりとした、手ごたえがないといったニュアンスがある。したがって、柔道は決して「軟道」ではないのである。
次に、名詞の同訓異義語について。
「あし」にも、「足」と「脚」がある。
一般的には「足」を使う場合が多いが、両者を分ける場合は、くるぶしから先の部分には「足」(foot)を、膝から下の部分、あるいは足全体を指す場合には「脚」(leg)を使う。「馬脚を現す」はこちらである。上肢でいえば、それぞれ「手」と「腕」がこれに相当する。
「町」と「街」の違いは、前者が主に家々が密集している場所、地域(town)を指すのに対し、後者は商店やビルが立ち並んでいる道筋(通り)を指す(street)。別の言い方をすれば、前者が面を表すのに対し、後者は「街道」というように線を表すといってもいいかもしれない。
「木」と「樹」の違い。
「木」は自然の状態で生えている樹木もさすが、同時に材木になったもの、材木として使われたものも指す。
一方の「樹」は、生きている樹木にしか使われない。
「なか」も、「中」はある範囲の内側でinsideの意、「仲」は人間関係について使われるのでrelationshipの、「央」は真ん中(あたり)でcenterの意味に近い。このあたりは、音の異なる英語による説明のなんと明快なことか。
「かげ」にも、「影」と「陰」「蔭」「翳」等がある。
最初の「影」は、光が物体に遮られ、その光源と反対側にできる黒い部分を指す。一方「陰」は物体に遮られ、光や風雨が当たらないところを表し、「陽」の対意語である。
英語では、前者がshadow、後者がbehind、あるいはshadeが相当する。
「蔭」は草冠がつくように、草木のかげを指し、そこから派生し人からの恩恵をも表す。
「翳」は「羽」の字があるように、鳥の羽などで扇型にし柄をつけたものを指す。これで貴族が顔などを隠し、視線を遮るのに用いた。
差と叉について。
「交差」と書く場合と「交叉」と書く場合がある。
2本以上の線状のものが、1点で重なることを指す。
本来は「叉」で英語ではcrossが相当するが、この字が当用漢字にないため、「差」を当てている。
ただ、「差」は英語ではdifferenceで、違いやズレをあらわす漢字なので、「交差」という言葉は本来の意味とはかなり違い、私見ではあみだくじの図形を連想させる。画数の簡単な「叉」くらい、当用漢字にしても良さそうなものである。
最後に「のり」という音は実に奥が深い。
論語の中では、年齢を表す言葉として「不惑」というのが有名である。40歳を指す言葉だが、「四十にして惑わず」からきている。ちなみに、70歳という年齢の表現として、「七十にして心の欲する所に従いて矩を踰えず」というものがある。
この「矩」は「のり」と読むが、同音には「則」「法」「憲」「規」「紀」「倫」「典」等、たくさんある。この言葉の深遠さは、人の名前に多く使われていることからも想像に難くない。
まず、「矩」は矩尺(かねじゃく)のことで、かぎ型(直角)の定規を指す。
「法」は、解字からみると「水+鹿と馬に似た獣の姿+去(引っ込める)」で、「池の中の島に珍獣を押し込めて、外に出られないようにしたさま」と解説されている。
「憲」は「かぶせる物+目」から成り、目の上にかぶせて、勝手な言動を抑える「わく」を示している。ちなみに。憲法は権力者の権力の逸脱を許さないための法律である。最近、拡大解釈されていることが気がかりである。
さて、「規」は「矢+見」で、直線の棒を松葉型にくみ、その幅を半径として円を描いて見るという作業を指す。コンパスを連想すればよさそうである。
「則」は「刀+鼎(かなえ)の略形」で、鼎(金属の器)にスープや肉を入れ、すぐそばにナイフを添えたさまを指すようである。
「紀」は、「糸+(音符)己」で、糸のはじめを求め、目印をつけ、そこから巻く、織るといった動作を指す。「風紀」などに使われている。
「倫」は、「集める印+冊」の会意文字で、短冊状の竹札を集めてきちんと整理するさまを指す。
「典」は、「倫」と似ており冊の原形とされている。ずっしりとした書物を平らに陳列するさまを意味している。
これら多くの「のり」に共通しているのは、要するに「きちんとする」というニュアンスではないだろうか。そして「規則」「法則」「法規」「憲法」等、これら同士の熟語もよく使われるが、これも相応に意味あることだと思う。
決められたこと、守らなければならないこと、けじめをきっちりすること、そういった意味合いが込められているように思えてならない。
ちなみに先に述べた論語の70歳を表す言葉は、「70歳になると、自分の好き勝手に生きても、人の道から外れることはない」という意味で、私もこの先そう生きていきたいものだと我が不徳を認めながらも、半分ため息交じりで納得する次第である。
その他、「波」と「浪」、「海」と「洋」、「岡」と「丘」、「磨く」と「研く」、「森」と「杜」、「里」と「郷」等、まだまだ枚挙にいとまがないが、それぞれ微妙な意味の違いを調べてみるにつけ、同訓異義語は実に興味深い。
関東平野の北西部に位置するここ前橋は、冬季は冬晴れの日が続きます。
同じ太平洋側でも、私が学生生活を送った仙台とは冬の気候は随分違います。
仙台では、晴れといっても一日中雲ひとつない青空の日は滅多にありません。雲が流れる晴れ、というのが適当でしょうか、晴れていても時折さっと曇る、そしてまた晴れる、まるでモーツァルトの変調のように。
そこにいくと前橋の冬晴れは、写真用語で言うところの「ピーカン」、雲ひとつない快晴の日が続きます。
ところが今年の冬はちょっと様子が違います。
北関東らしい快晴の日は少なく、晴れても仙台のように雲が流れます。
大陸の高気圧の張り出しが弱く、冬型の気圧配置が長続きしないためらしいのです。
1月13日、ちょっと珍しい赤城山の姿が見られました。
大部分は雲の陰になっていますが、東側(向かって右)の峰だけ陽が当たっています。雲が流れているためです。そして、たしかに手前上空には低い雲が見えます。
学生時代の第二の故郷の情景がふと蘇ってきました。
人の名前は、親の思いや希望が込められていて興味深い。
健やかに育って欲しいという思いは、男子であれば健や健志、健司、健一といった名前に込められている。
美しい女性になって欲しいと願う親は、好子、美子、佳子、妙子、麗子といった名前をつけた。
一方で、「あぐり」という名前には意外な意味が込められていた。
「もうこれ以上要りません」という意味である。
もともとは、1800年代、東北地方の青森秋田の辺りで、「ものが充満した状態」を指す意味で使われていた言葉だとか。
「もうこれ以上子どもは要らない」という意味で、女子につけることが多かったようである。
「すえ」や「とめ」、「すて」といった音(おん)のつく名前には、同様の意味が込められていることが多い。
さて、欧米圏の人名も、意味にはこだわらず単に名前として受け入れてしまえばそれまでだが、意味を追求していくと、名前のつけ方が日本語にも通じる場合がある。
例として、ソフィアという女性の名前。
ソフィア=Sophiaはブルガリアの首都名にも使われている。
ラテン語、イタリア語ではそのまま「ソフィア」、フランス語ではSophieのスペルで「ソフィー」、ドイツ語で「ゾフィー」の音になる。
もともとギリシャ語で、知恵や叡智の意味があった。
ちなみに哲学を表すphilosophyは、phil-=愛する、好きと、sophy=知恵から作られた「知恵を愛する」という意味の言葉である。蛇足ながら、phil-は白血球のneutrophil=好中球の使われ方と同じで、philharmonyも同様でハーモニーを好むといった意味である。
閑話休題。
つまり、ソフィアという名は日本名では知恵子に相当する。
ついでに、上智大学はSophia Universityの日本語名で、「智」の字が当てられている。
次に、音楽好きな方はご存知かと思うが、W.A.モーツァルトの奥さんの名はConstanze=コンスタンツェである。
一方で、Constantinus=コンスタンティヌスはローマ皇帝として有名である。
トルコのイスタンブールの前身であるコンスタンティノープルの名も、この皇帝の名に由来している。
さて、この双方の名前は、constant=一定、不変と関連がある。
特にローマ皇帝の名はconstant=不変等の意味で、皇帝の世が不変であるようにという意味が込められているのであろう。いわば日本の「君が代」の歌詞と概ね同義と考えてよかろう。
コンスタンツェの名も同様の由来からすると、日本語名では定子、常子といったところか。
ついでに、有名なビートルズの「ヘイ ジュード」だが、Jude=ジュードは、ヘブライ語のユダから派生しており、キリスト教やユダヤ教では伝統的な名前である。ちなみに愛称はJudy=ジュディとなる。
さて、欧米圏では語圏により多少音が変化するも、同じ起源だと推測できる名前が少なくない。
例えば英語のFrederick「フレデリック」は、イタリア語ではFederico「フェデリコ」、ラテン語化する場合はFridericus「フリデリクス」、一方ドイツ語ではFriedrich「フリードリヒ」となる。ちなみにその意味は「平和と支配」だそうだ。
以下に、代表的な人名の、国によるスペルと音の変化を表にしてみよう。
英語 | イタリア語 | スペイン語 | フランス語 | ドイツ語 |
Michael
マイケル |
Michele
ミケーレ |
Miguel
ミゲル |
Michael
ミシェル |
Michael
ミヒャエル |
George
ジョージ |
Giorgio
ジョルジョ |
Jorge
ホルヘ |
Georges
ジョルジュ |
Georg
ゲオルク |
Peter
ピーター |
Pietro
ピエトロ |
Pedro
ペドロ |
Pierre
ピエール |
Peter
ペーター |
William
ウィリアム |
Guglielmo
グリエルモ |
Guillermo
ギリュルモ |
Guillaume
ギヨーム |
Wilhelm
ヴィルヘルム |
Robert
ロバート |
Roberto
ロベルト |
Roberto
ロベルト |
Robert
ロベール |
Ruprecht
ルプレヒト |
Steven
スティーヴン |
Stefano
ステファノ |
Sebastián
セバスチャン |
Étienne
エティエンヌ |
Stefan
シュテファン |
Henry
ヘンリー |
Enrico
エンリコ |
Enrique
エンリケ |
Henri
アンリ |
Heinrich
ハインリヒ |
David
ディヴィッド |
Davide
ダヴィデ |
David
ダビド |
David
ダヴィド |
David
ダーヴィト |
Catherine
キャサリン |
Caterina
カテリーナ |
Caterina
カテリナ |
Catherine
カトリーヌ |
Katharina
カタリーナ |
Margaret
マーガレット |
Margherita
マルゲリータ |
Margarita
マルガリータ |
Marguerite
マルグリット |
Margarethe
マルガレーテ |
Caesar
シーザー |
Cesare
チェーザレ |
César
セサル |
César
セザール |
Cäsar
ツェーザル |
Elizabeth
エリザベス |
Elisabetta
エリザベッタ |
Isabel
イサベル |
Isabelle
イザベル |
Elisabeth
エリザベート |
Julia
ジュリア |
Giulia
ジュリア |
Julia
フリア |
Julie
ジュリー |
Julia
ユリア |
Richard
リチャード |
Riccardo
リッカルド |
Ricardo
リカルド |
Richard
リシャール |
Richard
リヒャルト |
Leonard
レナード |
Leonardo
レオナルド |
Leonardo
レオナルド |
Leonard
レオナール |
Leonhardt
レオンハルト |
これらの名前は、ギリシャ神話やローマ皇帝、キリスト教の聖者に由来するものが多い。
その他わかる範囲では、ウィリアムは「強い守護者」、ロバートは「輝かしい名声」、ヘンリーは「支配者の家」、レナードは「強い獅子」、マーガレットは「真珠」、リチャードは「力強い支配者」、ジョージは「農夫」といった意味がある。
最近は日本でも、○○ネームとか言って、音や響きを重視する命名が流行っているが、本人が大きくなってから名前の由来を物語れるよう、意味のある命名も悪くはないように思う。
気象予報では、明日の朝は、今秋一番の冷え込みとか。前橋でも2、3℃にまで下がりそうです。
さて、前々回に引き続き、我が家の晩秋の紅葉をご紹介します。
左は玄関前のヤマボウシ。ヤマボウシの葉は、同じミズキ科ヤマボウシ属の(アメリカ)ハナミズキとよく似ていますが、紅葉は前者が朱色に近いのに対し、後者は臙脂(エンジ)、紅色に近いように思います。
いずれにしても、このヤマボウシの葉が落ちると、我が家は落ち葉の処理に一苦労です。
右は、まさに臙脂のブルーベリーの紅葉です。
ブルーベリーは、春は新緑、夏は実、そして秋は紅葉、そして冬は繊細な枝ぶりと、四季を通じて楽しめます。
酸性土壌に向いているということで、コーヒーの殻を土に混ぜています。
有効かどうかはわかりませんが。
今回は、スポーツにまつわる言葉の由来を幾つか取り上げてみたい。
*サッカー
サッカーという呼び名は米国で使われ、英国ではフットボールという。
足を使うスポーツだからfootballという名称は合点がいく。世界的には、フットボールの名称のほうが圧倒的に多く使われている。
ではsoccerとはいかに?
実は、正式名称はassociation footballというのだそうだ。このassociationの「soc(仲間の意)」に発音しやすいように「c」を付け、人を意味する-erをつけたものがsoccerである。語尾に-erをつけて通称とする呼び方では、rugby=ラグビーの通称がrugger=ラガーであるのと同様である。
さて、サッカーのルールにoff side=オフサイドというのがある。
「反則の位置」と訳されているのだが、これはもともと軍事用語で、「味方の戦力から外され、敵陣の陰に捕えられた兵士」を指したらしい。そこから、
「敵陣の中の、いてはいけない場所にいること」となったらしい。つまり自分や味方の側がon sideで、相手や敵側がoff sideと考えると理解しやすい。
敵陣、つまりゴール側に一人待っていて、そこへボールをパスすれば簡単に得点できて、ゲームとしては面白みに欠けるのであろう。
ちなみに英国では道路上でもこの用語は使われ、中央寄り、つまり対向車線に近いほうをoff side(相手側)、路肩側をon side(自分側)と呼ぶ。
*ラグビー
「ノーサイド」は、ラグビーでは試合終了のことを指す(英語圏でもかつては「No side」が使われていたが、現在では「Full time」が使われている)。
戦いが終わったら、両軍のサイドが無くなって同じ仲間だという精神に由来する。なんと崇高なスポーツマンシップか。
knock on=「ノックオン」は、ボールを前方に落とす反則を指す。knockには「叩く」という意味の他に「落とす」という意味もある。
*テニス
テニスのカウントの仕方は変わっている。
まず、0のことをlove=ラブと言う。
テニスは11世紀にフランスで始まった。フランスでは、卵を意味する
「l ’oeuf(ロェフ)」という言葉があり、0が卵に似ていることから、0を卵と呼び、それが後に発音の似ている英語のloveに転じたらしい(諸説あるが、本説が有力)。日本語でも0を「まる」というのと似ていまいか。
0の次が15で、30、40とカウントしていく。これにも諸説ある。
「時計の文字盤を4つに分けた」「14世紀頃、プレーヤー同士の賭けの際に使われていた1ドゥニエ銅貨が4枚で60スウという金額になるため、60スウの4分の1である15スウを1つの単位とした」「(テニスの前身であるジュドポームを行っていた)修道院の生活時間が15分単位であった」というものがある。いずれにしても、3ポイント目は40ではなく、45になるはずだが、forty fiveと発音するのが面倒なので簡略化して40としたとの説もある。
*野球
bullpen=ブルペンとは、野球場の投球練習場を指すが、もともとはbull=牛の囲い場のことである。諸説あるが、投手を、闘牛場や屠殺場に送られるのを囲いの中で待っている牛に見立てたという説が尤もらしい。
次に、左利き投手のことをsouthpaw=サウスポーと呼ぶ。
pawとは爪のある動物の足を指すが、口語で人の手の意味もある。つまり、「南の手」である。
かつて米国の野球場は原則的にホームベースが北西になるように作られていた。そのため、左腕の投手の手は南側から繰り出されたためにこの名前がつけられたという説が有力である。その他、米国南部出身の投手に左腕が多かったからという説もある。
投手と捕手を、蓄電池を意味するバッテリー=batteryというが、これはかつての蓄電池は2個一組だったそうで、その関係に似ているからという説、あるいは軍隊で大砲の発射を意味するラテン語のbattuere に由来するという説がある。後者では、チームを軍隊、ボールを大砲、投手から捕手ヘの投球を発射に例えているという。
野球チーム名でちょっと面白いのがロサンジェルス・ドジャーズ。
ドジャースの「dodger」とは、「ひらりと身をかわす人」という意味。
ドッジボールのdodgeもまさにその意味。
もともとドジャーズは、ニューヨークのブルックリンを本拠地とするチームだった。
当時、ブルックリン市民の足はトロリーと呼ばれる路面電車だった。
かつて日本でも、路面電車をトロリーバスと呼んでいた。
そのトロリーが来る度に、ひらりと体をかわしながら往来するブルックリン市民のことを、親しみを込めてtrolly dodgersと呼んだそうだが、これがチーム名の由来だとか。
*ゴルフ
一般的にOBといえばold boyで、学校の男子卒業生を指すが、ゴルフでは out of boundsの略で、「プレーできるエリア外」を意味する。boundにはボールが弾む「バウンド」という意味もあるが、その他「限界」「境界」という意味もある。
さて、ゴルフのスコア用語には鳥に関係するものが多い。
1903年、それまで誰もなし得なかったロングホールでのパー(標準打数)が破られた。その時のボールはまるで小鳥が飛んでいくように見えたとか。
そのため、パーより1打少ないスコアを鳥の幼児語でbirdy=バーディと呼ぶようになったそうである(英語ではTommy、Jimmy等、語尾に-yをつけて愛称とすることが多い)。さしずめ「小鳥ちゃん」といったところか。
そして、2打少ないスコアをさらに強いeagle=「ワシ」、3打少ないとずば抜けた飛行力を持つalbatross=「アホウドリ」と呼ぶようになったそうである。ちなみに滅多にないが、パー5のコースで4打少ないスコア、つまりホールインワンをcondor=「コンドル」というらしい。コンドルは、インカ帝国では天の神として崇められていたそうで、まさに神業なのであろう。
ちなみにパー(Par)は、もともとイギリスの株取引の用語で、金額が上下する株価の中で、一番基準となる数値のことをパーと呼んでいたそうである。
さて、ゴルフには、「ハンディキャップ」というルールがある。
「ハンディキャップ(handicap)」とは、英語の“hand in cap”が訛ったものだとか。
これはかつて、賭博やくじのような遊びで、大当たりで勝った人が、周囲の人が見ている中で、いくら入れたかわからないように取りすぎたお金を帽子の中に入れたことに由来するとされている。
あくまで遊びの中でのことなので、大勝ちした人は取りすぎた分を戻して一人勝ちを防ぎ、ゲームを長く楽しめるようにしたという。ある意味、人間らしい知恵といえよう。
ここから、「強い者と弱い者との差を事前になくしておく」ことを呼ぶようになったとか。
*ボクシング
リングが四角いからboxingではない。
boxには、動詞で「(平手や拳で)殴打する、殴り合う」という意味がある。
ちなみに、リング=ringとはもともと輪のように人々が手をつないで、その中で格闘したからというのが定説である。レスリングのリングはその名残とされている。やがて観客が見やすいように、高いところに上がって戦うようになり、選手が落ちないようにロープを張る際、ロープを張りやすいように四角になったそうである。だからring(輪)にcorner(角)があっても合点がいくのである。
さて、ボクシングの階級には面白い名前が付いている。
フライ級のfly=フライとは「ハエ」のこと、ウェルター級のwelter=ウェルターは「波のうねり」、bantam=バンタムは鶏の「チャボ」、feather=フェザーは「羽根」、cruiser=クルーザーは「巡洋艦」、そして以前あったmosquito=モスキートは「蚊」の意味である。脈絡のない命名であり、またチャボが羽根より軽いのは解せない。
*コーチ(番外編)
最近、いろんなスポーツでコーチが注目されている。コーチが物議を醸したスポーツ界もある。
訓練する人や指導者を指しているが、もともとcoach=コーチとはハンガリーのコチ(Kocs)という町で作られた四輪馬車のコチ(kocsi)に由来する。
それゆえ、バッグのブランドで有名なコーチには馬車のマークが付いている。
馬車が人や物を目的地へ運ぶことから、次第に「コーチ」という言葉自体が、「大事な人や物を運ぶ」「目的地に運ぶ」といった意味をもつようになったとされている。
つまり、「人を目的地まで運ぶ」→「目標達成をするためのお手伝いをする」のがコーチの職業、あるいは役割になったそうである。
(群馬県保険医新聞歯科版掲載のための原稿)
光陰矢の如し
あれよあれよと言う間に、今年も晩秋を迎えました。
あれもこれもしなくてはとは思うのですが、パソコンのエンターキーを押すようには綺麗に片付いてはくれません。
目の前のことをひとつずつ、コツコツやっていくしかないようです。人生、65年も生きてきて、まだ学習能力が身についていません。
その間も、時間だけは確実に進んでいきます。
庭に目をやると、時間が経過した証が、言い逃れをあざ笑うかのように突きつけられます。
左の写真が、医院前のブナの木。黄葉した葉は、カサカサと音が聞こえるくらい薄く乾燥しています。落ち葉にもなりますが、多くが春まで枝先に残ります。
右は坪庭の八重のサザンカ。
もう、花びらの多くが変色し始めていて、年末の訪れを予感させます。
今回は、3文字のアルファベットの略語を中心に見てみよう。
まず、銀行の前にあるATMはautomatic [automated] teller machine の略で、「現金自動預け払い機」と和訳されている。ちなみにtellerとは、銀行の窓口係のことを指す。
最近よく耳にするIoTはinternet of thingsの略で、「モノのインターネット」と和訳(正確には完全な和訳ではない)されており、家電製品での普及が進められている。
続けてIT関係でいくつか。
家庭や職場内で、パソコンとプリンターなどを繋ぐ(無線)LANとは、local area networkの略で、限局されたエリアでの情報通信ネットワークを指す。
CD-ROMのROMはread only memory=「読み出し専用(書き込み不可)メモリ」の略、一方似ているRAMは、random access memory=「任意に書き込みできるメモリ」のことで、パソコンのメインメモリは後者である。
では、最近話題に上るシムロックのSIMとはいかに。
subscriber identity moduleの略で、きちんと和訳されたものはないが、「加入者個人特定機能」あたりがイメージしやすいのではないだろうか。
医療に関するところでは、ICUは「集中治療室」と訳されているが、intensive care unitの略である。「治療」と訳されてはいるものの、cure(治療)ではなく実質的にはcare(管理)である。ちなみに、国際基督教大学=International Christian UniversityもICUと表記される。
画像診断に使うMRIは、 磁気共鳴画像=magnetic resonance imagingの略である。 ちなみにX線を使うCTはcomputed(computerized)tomographyの略で、「コンピューター断層撮影装置」と和訳されている。
医療用のX線装置ではデジタル化が進み、そこにはCCDが使われている。
CCDは、ビデオカメラやデジタルカメラに使われている半導体素子のことで、charge-coupled device=「電荷結合素子」の略語である。
また、最近歯科ではやりのCAD/CAMだが、computer aided design/computer aided manufacturingの頭文字を繋げたもので、CADは「コンピューター援用設計」、CAMは「コンピューター援用製造」と和訳されている。
さらに、CAP:computer aided preparation(歯科関係者にしかわからない)が実現すると、歯を削る歯科医はいなくなってしまうが、これはあくまでジョーク。
さて、社名で3文字の代表格を二つだけ挙げてみよう。
パソコンのIBMは、International Business Machines Corporationの略称だが、和訳は見つからない。勝手な和訳をご容赦いただけるなら「国際事務機器(株)」といったところか。
自動車のBMWは、 Bayerische Motoren Werkeの頭文字をとった社名で、発音としては「バイエリッシェ モトーレン ヴェルケ」で、和訳すればさしずめ「バイエルン自動車工業(株)」であろうか、何だか少し庶民的な響きに変わる。
大学名では、科学技術で有名なマサチューセッツ工科大学はMassachusetts Institute of TechnologyでMITと略される。instituteは一般的に機関や研究所と和訳されるが、(工科)大学や専門学校にも使われる。
さて話は変わり、太平洋戦争時のGHQはGeneral Headquartersの略で、正式には「連合国軍最高司令官総司令部」と和訳されているが、generalなので、単に「総司令部」のほうが英語に忠実な訳と思われる。
次に、何やら怖いイメージのあるCIAとFBIだが、前者はCentral Intelligence Agency=「中央情報局」の、後者はFederal Bureau of Investigation=「連邦捜査局」のそれぞれ略である。
米国の中央銀行に当たるFRBは、The Federal Reserve Boardの略で「連邦準備制度理事会」と訳されているが、正式にはBoard of Governors of the Federal Reserve Systemと表記され、先の和訳はこちらを直訳したものと思われる。
貿易関係では、TPPはTrans- Pacific Partnership Agreementの略で、「環太平洋パートナーシップ協定」と訳されている。trans-には「横切って、貫いて」といった例えばシルクロードのようなイメージがあるので、個人的には「環」より「汎」のほうが本来の意味に近い気がする。
一方のFTAは、free trade agreement=「自由貿易協定」の、さらにEPAはeconomic partnership agreement=「経済連携協定」の略語である。
これらはややわかりにくいが、国と国(または地域)のあいだで関税をなくして、モノやサービスの自由な貿易を進めることを目的とした協定がFTA、関税の撤廃だけではなく、知的財産の保護や投資ルールの整備なども含め、さまざまな分野で経済上の連携を強化することを目的とした協定がEPA、それを環太平洋という広い地域で行おうというのがTPPということになる。
これら、自由貿易促進を主たる目的として創設された国際機関がWTOで、World Trade Organization=「世界貿易機関」と和訳されている。
次に交通に関係するもので、鉄道の安全な運行に欠かせないのがATS(automatic train stop device:自動列車停止装置)やATC(automatic train control device:自動列車制御装置)と呼ばれる運転保安装置である。
カーナビで利用されるGPSは、global positioning systemあるいはglobal positioning satelliteの略で、前者は「全地球測位システム」と和訳されている。
有料道路のゲートをノンストップで通過できるシステムは、ETC: electronic toll collection system=「電子料金収受システム」である。
ちなみに高速道路でのトラブルでお世話になるJAFは、 Japan Automobile Federation=「日本自動車連盟」の略称で、実態に近い「緊急」といった意味は全く込められていない。
さらに歴史のあるものでは、JISはJapanese Industrial Standard=「日本工業規格」、JASはJapanese Agricultural Standard=「日本農林規格」の略称である。
JAXAは、Japan Aerospace eXploration Agency=「国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構」の略だが、直訳なら「日本航空宇宙研究開発機構」となろう。
NGOはnon-governmental organization=「非政府組織(民間公益団体とも約される)」、NPOはnonprofit organization=「非営利組織(団体)」、PKOはpeacekeeping operation=「(国連)平和維持活動」の略称である。
その他放送局関連では、米国の3大テレビネットワークはABC、NBC、CBSで、それぞれAmerican Broadcasting Company=「アメリカ放送会社」、National Broadcasting Company=「全国放送会社」、Columbia Broadcasting System=「コロムビア放送(現在はCBS Broadcasting, Inc.)」の略称である。
英国のBBCのBはもちろんブリティッシュである。
日本のNHKは「日本放送協会」という日本語の名前の頭文字をそのまま使ったもの、TBSはTokyo Broadcasting System=「東京放送(旧社名)」から命名された。
本題から逸れるが、TV局といえば「スタジオ(studio)」がつきものである。
この「studio」の語源は、「努力する場所」という意味をもつラテン語studium=「スタジアム」だそうで、本来は芸術家や写真家などの「仕事場、工房、アトリエ」を意味する名詞だとか。ちなみにスタジオとスタジアムは同じ語源から派生している。推測に難くないが、「努力して励む」が原義であるstudyももちろん同源である。
さて樹脂素材でいうと、ペットボトルは日常生活に不可欠なものとなっているが、このペットとは犬などのペットではなく、PETつまりpolyethylene terephthalate=「ポリエチレンテレフタレート」の略である。同様に、PPは「ポリプロピレン」、PVCはpolyvinyl chloride=「ポリ塩化ビニール」の略である。
FRPはFiber Reinforced Plasticsの略で、Fiber(繊維)でReinforced(強化した)Plastics(プラスチック)のことである。
ちなみに、医療で使われる「PET検査」とは「陽電子放射断層撮影」という意味で、positron emission tomography=ポジトロン・エミッション・トモグラフィーの略である。
米国では企業のトップをCEOというが、これはchief executive officer=「最高経営責任者」の略である。
最後に、現在私が会長を務める群馬県保険医協会にも関係のある、やや長いIPPNWという国際組織があるが、これはinternational physicians for the prevention of nuclear war=「核戦争防止国際医師会議」の略である。
原文の中に「会議」という言葉はない。「医師の集団」で終わってしまうと組織の意味合いが弱まるので、原文も「the Congress of」で始まっても良さそうな気もするが、これはあくまで私見である。
(群馬県保険医協会歯科版掲載のための原稿)
10月上旬ですが、この間台風19号が記録的な猛威のまま関東の上陸しました。河川の氾濫、崖崩れ等で、多くの方が犠牲になりました。 冥福をお祈りするとともに、一刻も早い被災地の復興を願うばかりです。
さて、かつてこの頃は運動会の真っ盛りで、小学校の歓声が金木犀の香りとともに忘れ得ぬ風物詩でした。
3年前に頂いたプルメリアが今年初めて開花しました。
左は10日前の様子、燭台のようです。
中央が今朝の状態です。バニラとクチナシがミックスしたような甘い香りで、いかにも南国の風情です。
右はハナミズキの赤い実です。ポインセチアの実にも似てますが、思えばもう2ヶ月もすればクリスマスです。
光陰矢の如し、毎日を噛み締めながら過ごしたいと思います。