CDコンサート ’09

cd-flowers.jpg12月6日(日)、恒例の「師走のCDコンサート」開催しました。
 天気に恵まれ、小春日和の下(といってもすでに冬なので この使い方は正しくないかもしれません)、6名の方の参加で楽しい時間を過ごしました。
 BDで録画したヨーロッパの風景を見ながら、旅行でのエピソード、人生の話、四方山話等、コンサートといってもいつもながら音楽はBGMとなっていました。
 自家製のジャムとハーブティー、もちろん飲める方はワインを片手に、話はさらにはずみました。
 5時終了の予定が、結局30分オーバーし、気づけば外はすっかり暗くなっていました。
 この催しが終わると、いよいよ年の瀬を実感します。
 以下、当日のプログラムです。
(写真は、当日お配りしたCDのラベルです。)   
———————————————-プログラム————————————————–
1.ブラームス  ハンガリー舞曲
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮  ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

2.ショパン 24の練習曲から          
 op.10- No.1 No.3 No.6 No.12 op.25- No.2 No.7                                         
 マウリツィオ ポリーニ(P)

3.モーツァルト ヴァイオリン協奏曲 第3番 
   藤川 真弓(V) ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団 
 ヴァルター・ヴェラー指揮      

4.バッハ 無伴奏チェロ組曲より            
    第1番(on BD)    オフェリー・ガイヤール(Vc)
第1番  第2番        山下 和仁 (guitar)    

5ワグナー .歌劇「タンホイザー」から 序曲  バッカナール
      歌劇「トリソタンとイゾルデ」から  「イゾルデの愛の死」              
  ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮  ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
   
6.ミレイユ・マチュー 
「メイド イン フランス」から  
   オルレアンの乙女 私を愛して  大西洋の平和

7.Izzy  New Dawnより
   Lascia Ch’io Pianga Sull’ Aria Pavane
————————————————————————————————————–

師走のCDコンサート’08

img_47.jpg 今年もCDコンサートの季節を迎えようとしています。
 なんとか、プログラムまでこぎつけました。
 まだ席は2、3名空いています。
 参加ご希望の方は青葉歯科までご連絡下さい。

 日時:2008.12/7 14:00-
 場所:院長自宅居間
 参加費:無料

Program

1.ルチアーノ・パヴァロッティの歌声
  プッチーニ 歌劇「トゥーランドット」より 『誰も寝てはならぬ』    
  ドニゼッティ 歌劇「愛の妙薬」より『人知れぬ涙』Una furtiva lagrima
  プッチーニ 歌劇「トスカ」より 『星は光りぬ』

2.リムスキー・コルサコフ シェーラザードop.35                              ロリン マゼール指揮    
   ベルリンフィルハーモニー管弦楽団

3.キャスリーン・バトル アット カーネギー ホールより     
  ヘンデル 「オンブラ・マイ・フ」           
 ラフマニノフ 「ヴォカリーズ」             
 ヨハン・シュトラウス2世 喜歌劇「こうもり」より 
    『侯爵さま、あなたのようなお方は』  
        
4.ニッキ・パロット「ムーン リヴァー」より 
  Moon River
  Is you is or is you ain’t my baby?
  Say it isn’t so
  You’d be so nice to come home to

5.モーツァルト オーボエ四重奏曲K.370(B.D. on TV) 
ハインツ・ホリガーとケラー弦楽四重奏団

6.ホルスト 「惑星」より    
木星Jupiter
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮  ベルリンフィルハーモニー管弦楽団
               以上
(写真は1982年11月の フランス シャルトルにて)

’07 師走のCDコンサート

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’07 師走のCDコンサートのご案内です。
 といっても、既に参加者は定員に達しましたので、今後の参加受付はありませんので、あしからず。
 来年の御参加をお待ちしています。
 意味ないかもしれませんが、プログラムをお知らせいたします。

日時:2007.12/9 14:00-
 Program
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1. ホセ・カレーラスの歌声
  プッチーニ 歌劇「トゥーランドット」より『誰も寝てはならぬ』
  ジョルダーノ 歌劇「フェドーラ」より『愛さずにはいられぬこの思
い』
  ジョルダーノ 歌劇「アンドレア・シェニエ」より『5月の晴れた日のように』
  プッチーニ 歌劇「トスカ」より 『星は光りぬ』
2.ルチアーノ・パヴァロッティの歌声
  プッチーニ 歌劇「トゥーランドット」より『誰も寝てはならぬ』
  プッチーニ 歌劇「トスカ」より 『星は光りぬ』

3.ヴィヴァルディ ヴァイオリン協奏曲集『四季』    Antonio Vivaldi(1678-1741)
  アンネ=ゾフィー・ムター(V. & Cond.)
  トロンヘイム・ソロイスツ                  

4.イル・ディーボ                Il Divo
   Unbreak my heart
Mama
Nella Fantasia
Passera

5.エディー・ヒギンズ クインテット「イッツ マジック」より        Eddie Higgins Quintet
  It’s Magic
Ghost of a Chance
I got it bad
Mood Indigo

6.ショパン 17のワルツより遺作集       Frédéric Chopin(1810-1849)
  ジャン=マルク・ルイサダ(P.)

7.ヴォーン・ウィリアムズ 「揚げひばり」       Vaughan Williams(1872-1958)
アン・アキコ・マイヤース(V.)

CDコンサート ’06

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去る12月10日(日)、恒例の青葉歯科「師走のCDコンサート」を開催しました。
このコンサートも今年で15回目となりました。
昨年は、これまでずっと使っていたLuxmanのL-580というアンプが調子悪く、急きょBOSEのVIAという携帯用オーディオを使いましたが、今年の春修理に出したところ、すっかり元気になり、かえってこれまでより低音がしっかり出るようになり、十分活躍してくれました。
今年は常連が他の行事と重なり、6名の参加となりましたが、アットホームで楽しい会になりました。 
演奏中に、人生論に花が咲くというのがCDコンサートのいいところですが、苦難を乗り越えた方のお話というのは、実に勉強になります。

以下、当日のプログラムです。
• ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
• 1.ヨハン・シュトラウス作曲  ワルツ ポルカ 序曲  
• Orchestre Anima Eterna Direction: Jos van Immerseel

• 2.ブラームス作曲 交響曲第3番へ長調op.90
• ベルリンフィルハーモニー管弦楽団  
•    指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン 

• 3.モーツァルト作曲 ピアノ協奏曲第24番ハ短調 K.491
• ヴラディーミル・アシュケナージ(P.指揮) 
•     フィルハーモニア管弦楽団  
•    
• 4.もう一人のモーツァルト作曲 ロマンス       
• Franz Xaver Mozart(1791-1844)
• バーバラ・ボニィ(Sp)

• 5.ビル・エヴァンス   
• Bill Evans ‘the standards’より
•  スプリング・イズ・ヒア  恋とは何でしょう  枯葉
•           ビル・エヴァンス トリオ

• 6.ラフマニノフ作曲 ピアノ協奏曲第2番ハ短調 op.18      
•    クリスチャン・ツィマーマン(P)  
•     ボストン交響楽団   指揮:小澤 征爾  

• 7.聴き比べ
•  レハール作曲 [The Marry Widow]より「閉ざした唇に」       
•  1)ホセ・カレーラス(Tn)  エヴァ・リント(Sp)
•  2)プラシド・ドミンゴ(Tn) キャスリーン・バトル(Sp)

05 CDコンサート

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去る12/11(日)、今年も恒例の青葉歯科医院長主催の「師走のCDコンサート」が開催されました。
昨年は事情でお休みしましたが、今回でこのこのコンサートも14回目を迎えました。
CDコンサートについて簡単に説明します。
実はこのコンサート、1991年に第1回を開催しましたが、この年はモーツァルトの没後200年特集(出版社はこういう企画、よくやります。ちなみに来年は生誕250周年特集を組むようです)で湧いた年でした。
無類のモーツァルト好きの私としては、これにちなんでモーツァルトの魅力について皆様(患者さん、友人etc.)と語り合えたらというのがそもそものきっかけでした。
このコーナーでこれまでモーツァルトの曲についてご紹介してきましたが、CDコンサートを知った方が群馬保険医新聞で連載して欲しいと進言して下さったのが事の始まりで、このコーナーのコメントはそれを手直ししたものです。
実際には、院長宅居間にお集まりいただき、14:00から約3時間、その年に気に入った選りすぐり(?)のCDをおかけし、それにちなむ話題をとり上げながら音楽談義を交わします。
この間、私が育てたハーブで入れたハーブティー、同じく自家製のブルーベリージャム、そしてコーヒー、ワイン(最近はこちらに重点が置かれていますが)が場を盛り上げてくれます。
会場が居間でしかも私がホストですから、ゆったり楽しんでいただくには8名が定員です。
またよりによってなぜ師走かというご意見もあります。
人間は忙しい時のほうが時間を有効に使えるものです。
師走の気忙しい中、3時間ほどですが、ゆったりとした時の流れを共有することでなんとも贅沢な気分に浸れるのです。そして今年1年を振り返りながら。
もうひとつ、今回はこれまでのオーディオシステムが調子悪くなってしまったので、BOSEのVIAという、空気清浄器のような形をした小さい装置で試しに鳴らしてみました。壁に反響させて包み込むように音を出す方式だとか。どうしてどうして、十分楽しめました。装置が小さく音源を意識させないのもいいですね。
ちょっと話が長くなりましたが、今年のプログラムをご紹介します。
来年も第15回を開催する予定ですので、ご興味のある方は11月頃になったらメールにてお問い合わせ下さい。
 
———————————–
• 1.ハイドン  交響曲 ホ短調 第44番 (Hob.1:44)  オルフェウス室内管弦楽団
• 2.クープラン 新協奏曲集から 協奏曲第5番ヘ長調 第6番変ロ長調
•   ブランディス(v.) ホリガー(o.) ニコレ(f.)他
• 3.ベートーヴェン バイオリン協奏曲ニ長調 op.61
•   ヴィクトリア・ムローヴァ(v.) Orchestre R思olutionnaire et Romantique
• ジョン・エリオット・ガーデナー(cond.)
• 4.CD「My Little Christmas」より
•   -Silent Night- -White Christmas- -Have Yourself a Merry Little Christmas-
• -Green Sleeves- -Ave Maria-
•   木住野 佳子(p.) 古野 光昭(b.) 市原 康(ds.)    
• 5.モーツァルト ヴァイオリンソナタ ホ短調 K.304   
• 内田 光子(p.)  マーク・スタインベルク(v.)
• 6.CD「ダブリン・カフェ」より 
•  リヴァーダンス  ウォーターマーク  オリニコ・フロウ 
• 「まだ見ぬコーンウォールへの道」
•               広田 智之(o.)            
• 7.J.S.バッハ 無伴奏チェロ組曲第2番ニ短調 BWV1008
•   モーリス・ジャンドロン(vc.)  
• ———————————–      

モーツァルト 12 -最後のモーツァルト-

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今年もはや師走、奇しくもこの連載も12回で最後を迎えました。
最後にご紹介する曲を選び出すにつけ、悩んだ挙げ句、レクイエム K.626を取り上げることにしました。
12月は、主の誕生を祝福するクリスマスの月なので、レクイエム=鎮魂歌は場違いの感があるかもしれませんが、こじつければ全く根拠がないわけではありません。
K.626は、(ベートーヴェンの第9が12月に演奏されるのと同じ意味で)モーツァルトの作品中最後の番号がつけられていること、またこの曲の依頼主自ら指揮をした初演が1793年12月14日であること、そして何よりもその2年前の1791年12月7日の夜かもしくは翌朝、モーツァルトのなきがらが共同墓穴に埋葬されていることなどがその根拠といえなくもありません。
レクイエムは通常、「鎮魂ミサ曲」と和訳されていますが、本来は「レクイエム・エテルナム・ドーナ・エイス・ドミネ」の略で、語呂よく意訳すると、「主よ、彼らに永遠の安息を与えたまえ」となります。
死者のための安息を目的とする音楽は、生けるものにも安息を与えてくれるはずです。この曲は依頼があって書かれた作品であるにもかかわらず、死を予感したモーツァルト自身への鎮魂の意味があったのではないか、というまことしやかな一説まで存在しています。
ところが私自身、世俗的な性(さが)がそうさせるのかもしれませんが、この曲を聴いて魂が鎮まるという思いをしたことがほとんどありません。
むしろ後半のごく一部を除いて、生命の生々しさ、あるいは生きる厳しさと苦しみといったものを感じてしまいます。そして時には、修羅を連想することさえあります。
さて、この曲から映画「アマデウス」の最後の場面を思い浮かべる方は少なくないと思います。あの映画は、全場面を通じてモーツァルトの曲を流し続けていますが、それぞれの場面に対し、音楽は心憎いほど効果的な使い方をされています。
たとえば冒頭の、サリエリが自殺を図り、雪の降りしきる中を担架で運ばれる場面では、交響曲25番の第1楽章の冒頭が引用され、事件を予感させます。また、里帰りをした妻コンスタンツェを迎えに行ったモーツァルトに彼女の母が罵声を浴びせるところでは、まくしたてる母親の口元をズームアップしながら、オペラ「魔笛」の夜の女王のアリアに移行するという見事な演出を見せてくれます。
レクイエムが流れるのは、モーツァルトの死期が近いことを予感させるあたりからです。里帰りをしたコンスタンツェがモーツァルトの容態が悪化したことを知り、4頭建て馬車で家路を急ぐ場面では、夕闇にシルエットで浮かび上がった馬車にレクイエムが流れます。その頃モーツァルトの家では、ベッドの上でモーツァルトがレクイエムの「コンフターティス(呪われし者)」の旋律を口述するのを、サリエリが必死に譜面に写す作業をしていました。この場面はかなりスリルがあります。
そして、コンスタンツェが到着するやいなや、モーツァルトは帰らぬ人になります。
モーツァルト縁(ゆかり)の人々が見守る中、簡素な葬儀が執り行われ、やがてモーツァルトの遺骸はひとり共同墓穴に運ばれ、そのまま「物」のように埋められます。
この間流れるのは、レクイエムの「ラクリモーザ(涙の日)」という、この上なく美しい曲です。ちなみに、それに続く「ドミネ・イエス(主イエス・キリスト)」と「ホスティアス(いけにえと祈りを)」でも、透き通るように美しい弦の旋律が流れます。
この映画では、サリエリ扮する「黒い服を着た男」が、金銭感覚に疎い貧困状態のモーツァルトに、高額な報酬をえさに、過労を強いるべくレクイエムの作曲を依頼する、そして、この過労がもとで、モーツァルトの病状が悪化し死に至るという、いわば間接的な計画殺人の設定になっています。いかにも小説然としていますが、事実はちょっと違っていたようです。
モーツァルトにレクイエムを依頼したのは、フランツ・ヴァルゼック・フォン・シュトゥパハ伯爵という人物で、それは20歳で亡くなった妻の追悼ミサとしての依頼でした。モーツァルトの死の年、1791年のことでした。
この依頼主は、他人に作曲を依頼してはその楽譜を自分で写筆し、自作として私的なコンサートで発表するという、風変わりな趣味の持ち主でした。レクイエムの場合も例に違わず、そのためモーツァルトを訪ねるに際しては名前を伏せ、「灰色の服をまとった痩せた背の高い男」に依頼の書面を持たせたのでした。
映画が事実に同じなのは、この作曲がモーツァルトの死の前日まで続けられたということです。
未完となったこの曲は、その後宮廷楽長やモーツァルトの弟子、ジュースマイヤー(筆をとれなくなったモーツァルトの代筆をし、師の最期をみとったとされています)をはじめ、多くの作曲家によって加筆されています。したがって、モーツァルトの代表作であるレクイエムは、もし彼がこの曲を完成させていたならば、私たちが現在耳にすることができるレクイエムとはずいぶん様相を異にするものになっていたことでしょう。
こんなエピソードも、12月に聴くレクイエムをさらに感慨深いものにしてくれることでしょう。
さて、12回にわたって連載させていただいた独断と偏見に満ちたモーツァルト評も、このへんで最終楽章の幕を下ろしたいと思います。音楽に造詣の深い方々にとっては単なる紙面の無駄づかいではなかったかと危惧し、連載という過分の任を承諾したことを今さらながら恥ずかしく思います。たとえおひと方でもモーツァルトへのアクセスの参考にしていただけたなら、これ以上の喜びはありません。
長々とおつき合いいただき、ありがとうございました。
これにて駄稿を「はねたい」と思います。
   (1995年群馬保険医新聞12月号に掲載したものに加筆)

モーツァルト その10 -戯れと粋(2)-

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 時すでに霜月、庭のハナミズキの梢にかろうじて残った葉が、やがて芝生の上に落ち、霜をまとう季節となりました。
 この季節は黄昏時が長く、戸外で過ごすには寒く、また暗すぎます。したがって、読書や音楽鑑賞にはもってこいの季節ともいえます。
 そういえば一説に、ヨーロッパ文化はこの長い黄昏時が育んだともいわれています。
 そのヨーロッパ文化において、ユーモアとかエスプリといったものは人間らしさの根源的要素として、大変重要な扱われ方をしています。
 さて、本題の「たわむれと粋」とはつまり、ユーモアの精神に他ならないわけですが、今回は後者の「粋」な曲を取り上げてみたいと思います。
 グラスハーモニカという楽器をご存じでしょうか。
 共鳴箱の上にグラスを横一列に並べ、その中に入れる水の量を加減しながら、水で濡らした指でグラスの縁をこすって音を出すものですから、楽器というよりいわば原始的な音遊びです。
 ちなみに、やや大きめで薄手のワイングラスでやってみると、なかなか神秘的な音がします。
 18世紀中頃、イギリスでポックリッチという人物が、「エンジェリック・オルガン(天使のオルガン)」という楽器を考案し、これが一世を風靡し、グラスハーモニカの原型となりました。
 その後、ロンドンに外交官として滞在していたベンジャミン・フランクリンが、この原始的な楽器の発音原理を応用し、鍵盤楽器のように演奏できるメカニックな楽器を発明しました。
 この楽器の魅力についてかのゲーテは、
「世界の深奥の生命を聴くようだ」と評しています。
 そしてご多分に漏れず、この楽器のために曲を作る作曲家が数多く出ました。
 しかし、楽器が壊れやすいこと、そして演奏者に過度の精神的負担がかかるとの風評のため、そして何よりも大会場での演奏会が実現するようになった結果、サロン向きな(音量の小さい)この楽器は、19世紀前半には演奏会場から全く姿を消してしまいました。
 いかにも、貴族社会の象徴的な楽器という気がします。
 そういえば、モーツァルトをはじめとする作曲家たちの多くには貴族のパトロンがついていたり、また作曲の依頼主はほとんどが貴族だったという状況からしても、この頃の音楽の誕生にとって貴族社会は決定的な要素だったことが理解できます。
 さて、私たちの学生時代には、学生にとって民主主義社会こそが全ての基本であり、貴族社会のような専制的封建的な社会は悪しき象徴、という暗黙の通念がありました(アンシャン・レジームに反発するのは、いつの世も、学生の政治思想の出発点になるようです)。
 しかし皮肉なことに、この憎むべき貴族社会がなければ我が愛すべきモーツァルトやバッハなどのすばらしい音楽を聴くことはできなかったともいえます。
 ちなみに、1791年にモーツァルトはこの世を去っていますが、パリの民衆がバスチーユの牢獄を襲撃したのは2年前の1789年のことです。革命後、フランスの混乱は約10年間続きましたから、モーツァルトは生まれ変わったフランスを知る由もなかったわけですが、彼が革命をどうみていたのか、非常に興味あるところです。
 話を戻しましょう。
 モーツァルトは、1791年5月にこの楽器の名手としてウィーンを訪れた盲目の少女、マリアンヌ・キルヒゲスナー(当時19歳)のために五重奏曲と独奏曲を書きました。
 演奏会は6月10日に開かれ、8月13日のウィーン新聞には次のような批評が掲載されました。
 「・・・それから、音楽通なら誰もが次のように確信するようなハーモニカ(グラスハーモニカ)のための小品が演奏された。すなわち、ハーモニカはあらゆる楽器の中で最も高貴な楽器でありメランコリックで悲哀を帯びた感情よりも、むしろ喜ばしく、おだやかで、そして崇高な感情を呼び起こす楽器なのである。」
 モーツァルトはフランクリンのタイプ、つまり鍵盤楽器のように演奏できるグラスハーモニカのために曲を作っていますが、この楽器は現存していないため、現在聴くことができるのは、残念ながらポックリッチのタイプで演奏されたもののみです。
 したがって演奏が難しく、現在の完成度の高い楽器の演奏を聴き慣れている私たちの耳には、どうしても演奏が稚拙に響くのは致し方ないことでしょう。
 それはともかく、「グラスハーモニカのためのアダージョとロンド ハ短調/ハ長調 K.617」は最晩年に作曲された曲の中でも傑作のひとつに挙げられています。グラスハーモニカの神秘的、そして天国的な響きもさることながら、フルートをはじめとするその他の楽器の旋律も大変魅力的な仕上がりをみせています。
 この曲を聴きながら、しばし遠く浮き世から離れた世界に思いを馳せるというのも、なんと「粋」なひとときの過ごし方ではないでしょうか。
  (写真はベンジャミン・フランクリンタイプのグラスハーモニカ)
      (1995年群馬県保険医新聞11月号に掲載した原稿をもとに加筆)

モーツァルト その9 -戯れと粋(1)-

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 正直に告白しますが、今回はほとほと取り上げるテーマに困りました。
 そこで、ちょっと風変わりなモーツァルトをご紹介して、賢明な読者の皆さんの驚いたお顔を想像して楽しんでみようと思います。
 この「驚いた」には、「呆れた」という意味と「流石(さすが)」という意味を含んでいるつもりです。つまり、モーツァルトの作品の中にあって異端児的存在とでもいうべきものを選ぶことにしました。
 ちょっととりとめのない内容になるかもしれませんが、よろしかったらおつき合い下さい。
 先のテーマを二回に分け、とりあえず今回は「呆れた」曲のほうをご紹介します。
 ヘ長調K.522「音楽の冗談」と聞いてご存じの方は、よほどのモーツァルト通か、とにかく変わったものなら何でも聞いてみようという好奇心旺盛な方とお察しいたします。
 とにかく、モーツァルトほどの天才がよく後世に残したものだと思えるくらい、とんでもない曲なのです。
 私がこの曲を初めて耳にしたのは、たしか21〜22歳頃だったと記憶しています。サークルの先輩のアパートを訪れたときでした。ちなみにこの先輩は以前ご紹介した先輩とは別人で、私より1歳年上でした。先の先輩との共通点は歯科の専門書以外の読書家だったこと、クラシックが好きだったこと、正義感が強かったこと、金銭的に裕福だったこと(よくおごってもらいました)、そして単位をよく取りこぼすことでした(かなり共通点がありますね)。
 この先輩のアパートは、「青葉城恋歌」で歌われている広瀬川の畔で、窓の外の景色は仙台でもピカ一でした。一番大きな窓からは広瀬川の切り立った崖が目前でしたし、トイレの窓からは青葉山が見渡せました。
 外の絶景に比べて部屋の中の散らかり様はこれまた絶句もので、1か月前に着用したと思われる下着類が、部屋のコーナーにまるで貝塚のようにうず高く裾野を作っていました。
 閑話休題。
 ある日先輩を訪ねると、彼はいたずらっぽい目をして、
 「この曲の作者を当ててごらん」
と言ってかけてくれたLPが、実はこの曲だったのです。
 第1楽章が始まりほどなく、バロックの誰かかあるいはモーツァルトの初期の作品であろうと選択肢をしぼることができました。
 しかし、途中から何やらバランスの悪いメロディーが現れた瞬間、選択肢からモーツァルトは消えました。曲想の稚拙さとくどさに思わず鼻で笑ってしまいました。そういった箇所は随所にみられました。あとでモーツァルトの曲であることを聞いてがっかりしたことを今でもはっきり覚えています、モーツァルトがこんな曲を作るはずがないと。しかも31歳の時、つまりモーツァルトにとって成熟期から晩年にさしかかった頃のものであることを知り、ますます不可解になりました。
 実はこの曲、副題が「村の音楽家の六重奏」となっていて、この題からすると演奏家(の技術)が稚拙のようにとれますが、作曲家が稚拙なのです。つまり、モーツァルトが稚拙な作曲家をからかって作った曲ととれますが、それにしてもそのからかい方がこれまたあまりにも稚拙で、モーツァルトらしいエスプリが微塵も感じられないのは私だけではないと思います。
 モーツァルトは生来、彼の手紙などにもみられるようにスカトロジーな面があり、この曲の醜悪さはその表れではないかとの見方もできます。
 そして最後が極めつけ、演奏者全員が全く別々の調の和音(不協和音などという上品なものではありません)で締めくくるのですが、まあ、興味がおありでしたらお試しあれ。
 ただし、
「聴くんじゃなかった」
と後悔しても一切責任は負えませんのであしからず。
 次回は一級品の「粋」をご紹介いたします。
      (1995年群馬県保険医新聞10月号に掲載した原稿をもとに加筆)

モーツァルト その8   -廃墟に漂う音楽-

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 大学の2.3年生の頃(1976-1977年)、久しぶりに帰省して、NHKのドラマを見ていました。
 内容はよく覚えていませんが、西東三鬼(さいとうさんき)という歯科医であり俳人である人物がドラマの主人公でした。たしか、三鬼役の小林桂樹が、第二次大戦で焼け野原となった街をとぼとぼと前こごみになって歩いている場面があり、そこに字幕で俳句が映し出され、BGMとしてモーツァルトの曲が流れていました。
 しかしながら、そこに流れている曲がモーツァルトのものであるとは、当時は全く知りませんでした。
 それよりも、歯科医が主人公(ドラマの中では歯科医より俳人であることのほうが重要なのですが)として登場する場面が珍しく、また印象的だったのです。
 話が本筋から外れますが、医師が主人公として登場するドラマは枚挙に暇はありませんが、歯科医が登場するものは、クローニンの「城塞」など、数えるほどしかありません。しかも、歯科医業がメインの場面として設定されたものはほとんどありません。
 歯科医業とは、一般の方から見るとそれほどに迫力に欠け、あるいは日常生活に入り込んでいないものなのかと思うと残念です(実は、毎日結構スリルを感じながら治療を行っているんですけどね)。
 閑話休題。
 この時に流れていた曲が、弦楽五重奏曲ト短調K.516だったということはあとになってわかりました。
 セピア色のモノトーンの画面、あちこちから煙のくすぶる廃墟という場面に、これ以上ふさわしい音楽はないと思うほど見事な選曲だったのです。
                *   *   *
 さてこの五重奏曲は、1787年(つまりフランス革命の2年前)に書かれましたが、この年には、この少し前に同じく弦楽五重奏曲のハ長調K.515が書かれています。
 ちなみにこの翌年1788年に、有名な最後の二つの交響曲、40番ト短調と41番ハ長調「ジュピター」が作曲されています。
 もうお気づきですね。
 順番こそ逆ですが、ほぼ同じ時期に同じ調性で同じジャンルの曲が2曲ずつ作曲されているというのは実に興味深いと思いませんか?
 そもそもモーツァルトという作曲家には、ひとつのジャンルの曲を何曲か続けて作曲するという習性があるようです。
                *    *    *
 作品の構成は以下の通りです。
第1楽章  アレグロ ト短調
第2楽章  メヌエット アレグレット ト短調
第3楽章  アダージョ・マ・ノン・トロッポ 変ホ長調
第4楽章  アダージョ ト短調-アレグロ ト長調

 まず第1楽章の、上昇し、その半音階的に下降する第1主題の、あえぐような休符の使い方が、聴く者にただならぬドラマチックな内容を期待させます。
 小林秀雄をして、「疾走する悲しみ」と表現せしめた、問題作の楽章です。
 第2主題の調性は変ロ長調ですが、最後は再び短調になり「疾走」していきます。そして、あえぐような上昇と下降を繰り返すコーダで閉じられます。
 第2楽章は、弱拍に複雑な響きの和音がフォルテで鳴らされ、荘厳な雰囲気を醸し出しています。一度耳にすると忘れられない、なんともいえない響きです。
 そのあとに続くトリオは、雲間からのぞく青空のような明るさと輝きをもっていますが、再び現れる暗雲によってすっかり隠されてしまいます。
 第3楽章は弱音器つきで演奏されますが、感情の高揚が終わったあとの、脱力感を伴った心の安泰のように響きます。
 しかし、まもなく無気味な変ロ短調のシンコペーションが始まり、その後再び編ロ長調と、目まぐるしく転調し消えていきます。
 そして第4楽章は、ト短調のかなり長い序奏で始まります。
 例の、廃墟をあてもなくさまよう西東三鬼の後ろ姿に最もふさわしいのがこのパッセージです。
 この重いアダージョのあとに、一転して明るく軽快なロンド、そしてフィナーレへと澱むことなく続きます。
 モーツァルト研究家のアインシュタインはこのフィナーレを、「慰めなき長調」という表現をしていますが、私にはそこまで聴き込む力はありませんが、重い枷がはずれたあとの「自由」とか「開放感」といった気分を感じます。
 皆さんはいかがお感じになりますか?

 さて演奏では、ヨセフ・スークを伴ったスメタナ四重奏団、フランツ・パイヤールを伴ったメロス四重奏団のものが印象的でした。
  (1995年群馬県保険医新聞9月号に掲載したものに加筆)

モーツァルト その7 -ヴァイオリン・ソナタと「悪妻」についての一考-

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 「暑さ寒さも彼岸まで」とか申します。
 皆様、健やかに暑さを乗り切ることができましたか?
 梅雨の頃には冷夏を心配しましたが、どうしてどうして、立派な猛暑が訪れました。
 それはともかく、虫の音も心に沁みる季節となりました。
 虫の音というとスズムシ、コオロギ、あるいはキリギリスを連想しますが、これらの音は楽器で例えるならやはりヴァイオリンではないでしょうか。夏の間はときには暑苦しく響くこの楽器の音色はとても聞く気にならないと敬遠する向きもあるようですが、風に涼しさを感じる季節になると、不思議と波長が合うという経験をお持ちの方も多いかと思います。
 というわけで、ようやくヴァイオリン・ソナタをご紹介できる季節となりました。
 さてソナタとしては、ヴァイオリン・ソナタの他に、以前ご紹介したピアノ・ソナタもあればチェロ・ソナタ、フルート・ソナタ等々、その他に「・・・と・・・のためのソナタ」などといったものもあります。
 このうち、ピアノ・ソナタのみが器楽曲(独奏曲)のジャンルに属し、他は全て室内楽(小編成の合奏曲)に属します。
 なぜピアノだけが独奏なのかと疑問に思う方もいらっしゃるでしょう。
 ピアノは多くの楽器の中で最も表現力のある楽器だといわれています。音域、強弱の幅が圧倒的に広く、また左右の手で全く異なった旋律を同時に演奏することができます。したがって、ピアノ単独でも十分に表現力豊かな、変化に富んだ演奏が可能なのです。
 さて、ピアノ以外のソナタが、表現力を得るためにしたことが、とりもなおさず他の楽器との合奏という手法でした。
 相手として選んだ楽器は、ピアノやハープシコード(チェンバロ)がほとんどです。
 さて、またここで疑問が生じます。
 ヴァイオリン・ソナタを例にとると、圧倒的な表現力をもつピアノが相手だったら、肝心なヴァイオリンの存在がかすみはしないかと。
 そこで通常は、ピアノのパートはヴァイオリンのそれに比べては控えめで単純な旋律に仕上げられています。
 演奏する側にとってみれば、両者のバランス感覚といったものが演奏の出来を大きく左右します。この場合、ヴァイオリン奏者のその日の力量にピアノ奏者が合わせなくてはなりませんから、いわば後者が女房役といったところでしょうか。あえて誤解を恐れず俗な比喩をさせていただくなら、蚤の夫婦の奥さんが旦那を立てて男を上げさせるといったところでしょうか。
 クラシックが妙に浪花節調になったところで、長過ぎた「序」を終えたいと思います。
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 モーツァルトのヴァイオリン・ソナタは、全部で32曲あります(諸説あります)が、そのうち10歳までの、いわゆる神童時代に書かれた16曲と、22歳頃から書かれた16曲に大きく分けられます。
 前者は、1750年代から80年代に流行した、いわゆる「伴奏付きのクラヴィーア・ソナタ」の形態をとっています。つまり、チェンバロ、またはピアノの独奏曲に、ヴァイオリンの簡単な伴奏をつけたもので、ヴァイオリンはあくまで「従」の役割だったのです。
 真の意味で「二重ソナタ」の形態になったのは、1782年以降に書かれた後期のソナタで、ピアノパートの比重が大きいとはいえ、ヴァイオリンの存在が不可欠となり、両者が互いにうたい合い、融け合って曲を成立させています。
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 ヴァイオリン・ソナタにまつわるエピソードをお話しましょう。
 1782年、モーツァルトは最愛の女性コンスタンツェと結婚します。ちなみにモーツァルトの父レオポルドや、姉ナンネルからの猛反対を受けました。
 史実上、コンスタンツェは「悪妻」として有名ですが、これは多分にレオポルドの目を通した評価によるところが大きく、当のモーツァルト自身にとっては生涯最愛の妻だったようです(妻に対する評価は配偶者である夫がすべきで、それが全てではないかと実感しました)。
 この妻と二重奏をするために、モーツァルトはヴァイオリン・ソナタを作曲しています。残念ながらこれらは全て未完に終わっていますが、モーツァルトの死後、コンスタンツェの依頼でシュタードラーによって補筆されています(K.402,403,396,372)。
 これこそ亡き夫への愛情もしくは敬意そのものではないでしょうか。
 さてもうひとつは、K.454の演奏に関するエピソードです。
 これは、レジーナ・ストリナザッキという当時の女流名ヴァイオリニストと共演するために書かれたものでした。
 モーツァルトは、演奏当日までピアノパートを完成することができず、本番では簡単なメモを前に演奏しました。そしてもっともらしく譜面を見ながら即興で演奏したモーツァルトを、臨席していたヨーゼフ二世があとでからかったと伝えられています。
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 さて、今回は曲の中身には触れませんでしたが、第2楽章がいかにもモーツァルトらしい(単純、明快、美しいという意味で)第24番ハ長調K.296、そしてこのジャンル唯一の短調で、珍しく深刻な曲想のK.304などが個人的には気に入っていてよく聴いています。一聴の価値はあるかと思います。
 ちなみに私の愛聴盤は、ヘンリク・シェリンク(V)、とイングリッド・へブラー(P)による、1969年〜72年録音のものです。この盤は、両者の絶妙なバランスを堪能できます。
   (1995年群馬県保険医新聞8月号に掲載されたものに加筆)