モーツァルト その6  -名奏者ラムに捧げたオーボエ四重奏曲-

 62.jpg
 四重奏曲といえば、やはり中心になるのは弦楽四重奏曲でしょう。
 モーツァルトはその生涯に、23曲の弦楽四重奏曲(完成したものに限って)を作曲していますが、これらは幾度かの時期に集中して書かれています(モーツァルトは同じジャンルの曲を同時期にまとめて書く習性があります)。
 14才の時に最初の曲である第1番を書きますが、その後16才から17才にかけて12曲、26才から30才にかけて7曲、そして33才から34才にかけて3曲といった具合に。そしてこれらはその時期ごとにそれぞれ固有の特徴がみられます。
 3月にご紹介した4曲のフルート四重奏曲と今回ご紹介するオーボエ四重奏曲は、18才から25才の、いわば弦楽四重奏曲のブランクの時期に書かれています。
 そして、これら管楽器のための四重奏曲をはさんで、弦楽四重奏曲の内容が大きく様変わりしたことは実に興味深いことです。
 大方の研究者によると、それより以前のものは、ハイドンの影響を時には模倣といえるほど直接的に反映しているのに対して、それより後期のものは、モーツァルト独自のスタイルを確立していると評価されています。つまり、弦楽四重奏曲の分野で独自性を確立するのに、モーツァルトのような天才をもってしても10年という歳月が必要だったということです。
 このことで、私のような凡人は少し慰められたような気がして、天才モーツァルトに対してちょっぴり親しみを覚えます。
 いずれにしてもモーツァルトは、このオーボエ四重奏曲を作曲した1年後には、後期の四重奏曲の作曲にとりかかることになります。そして、その後二度とオーボエ四重奏曲に着手することはありませんでした。
 1778年、より条件のよい就職口を求めて、母親と共にマンハイムに赴いたモーツァルトは、当時自分のオーボエ協奏曲を演奏して人気を博していたオーボエ奏者、フリードリヒ・ラムと出会います。この時、父親に当てた手紙の中でも、奏者としてのラムを高く評価する下りが見受けられます。
 それから3年後、モーツァルトは自作のオペラの初演のためミュンヘンに赴きますが、くしくもミュンヘン宮廷オーケストラにメンバーとして加わっていたラムと再会し、その喜びがラムのためのオーボエ四重奏曲を書くきっかけになったとされています。そのためこの曲は、名奏者ラムのハイテクニックを余すところなく表現できる内容になっています。
 つまり、各パートのバランスを重んじる室内楽でありながら、独奏楽器を設定する協奏曲的な要素が強く感じられます。同様な性格をもった曲としては、クラリネット五重奏曲K.581が挙げられます。
 さて曲は、メヌエットを書く3楽章で構成されています。
 第1楽章は、田舎の朝を思わせるすがすがしい旋律で始まります。冒頭からオーボエのパートが際立っていますが、オーボエが朝を告げる鶏の「コケコッコー」に聞こえるのは私だけでしょうか。
 第2楽章は、弦楽器による物悲しい通奏低音的な旋律に乗って、途中からピアニッシモで、あたかも霧の彼方からゆっくり現れるようにオーボエが登場します。 
 1音を、よく息が続くと思うほど長く長く引っ張ります。オーボエという楽器のもつメランコリックな特徴がよく表現された、とても短く、それでいてとても印象的な楽章です。
 第3楽章は、再び快活な雰囲気に戻りますが、ここではオーボエのヴィルトオーゾ(名人もしくは巨匠)ぶりを発揮する旋律が目立ちます。
 なかでも、8分の6拍子による弦楽器の伴奏に対し、オーボエが2分の2拍子で進行する、いわゆる(ポリ・リズム)の部分が聴き所です。
 オーボエが主役になる曲は数えるほどしかありません。
 オーボエのもつ牧歌的な音色を堪能してみて下さい。
 印象に残っているのは、ハンスイェルク・シュレンベルガーとフィルハーモニアクァルテット・ベルリン(ベルリンフィルの主席奏者からなる四重奏団)のメンバーによる演奏ですが、オーボエ奏者としてハインツ・ホリガーが加わったものならどれでもお勧めです。
  (1995年群馬県保険医新聞7月号に掲載したものに加筆)

モーツァルト その5 -心地よい流麗さーディヴェルティメントニ長調-

salzburg2.jpg
 今回は、セレナードとディヴェルティメントに触れてみたいと思います。
 これらはともに、モーツァルトの時代に愛好された祝典的な「機会音楽」(儀式などのイヴェントのための音楽)のジャンルに属するものです。
 セレナードは、日本語では「小夜曲」と訳されています。語源については諸説紛々あるようですが、一説によると、イタリア語の「夜」の意味「sera」から派生したといわれています。
 夜の音楽、つまり若者が、恋人の住む家の窓辺の下でギターやマンドリンを弾きながら愛の歌を捧げる、いわば小鳥のさえずりのような歌をそのように呼んだそうです(ですから大声ではいけない、小夜曲なのです)。 説得力がありますね。
 しかし18世紀のオーストリアでは、セレナードという音楽は語源とは大きく様変わりし、より大規模で華やかなものをさすようになりました。モーツァルトの時代には、結婚式などの私的な行事や公的な行事の際に、オーケストラによって野外で演奏される音楽を「セレナード」と呼ぶようになったそうです。しかし、基本的には夜の音楽だったようで、そういえば、あの有名な「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」などは、まさに「小夜曲」がその直訳であるような名称ですね。
 一方ディヴェルティメントは、元来「気晴らし」を意味していますが、日本語では「嬉遊曲」と訳されています。医学用語でも「diverticulum 」は「憩室」を意味していますから、本道からちょっと脇に入った「ほっと気が抜けるようなもの(所)」をさしているのでしょう。
 先にも述べたように、セレナードと類似のジャンルに属していますが、より編成の小規模なものをさすことが多いようです。
 とはいっても、ほとんどセレナードに近い編成のものから、室内楽のようにこじんまりとしたものまで色々です。
 今回はそのこじんまりとしたものの中から、モーツァルト自身が「ディヴェルティメント」と銘打った3曲、そしてとりわけ私が気に入っている1曲をとり上げてみたいと思います。
 これらは、ディヴェルティメントニ長調K.136、変ロ長調K.137、そしてヘ長調K.138の3曲で、1772年の作曲です。
 ディヴェルティメントは小規模だとはいっても普通は5〜6楽章からなる編成です。しかしこの3曲はどれもメヌエットなしの3楽章からなり、特にコンパクトな構成です。
 そして、どこまでも明るく澱みのない音楽であることも、一聴してモーツァルトの曲とわかる、これら3曲の魅力です。
 余談ながら、当時の社交的機会音楽に必須のメヌエットを欠いていたということは、厳密にいうと、これら3曲は本来ディヴェルティメントというジャンルから逸脱した存在といえるかもしれません。
 このうち、最も流麗なニ長調K.136は、学生時代に初めて聴いた時は、正直ほとんどインパクトはありませんでした。
 悩み多き青春時代、明るすぎ、美しすぎる曲には、一種の軽薄な印象を抱きこそすれ、決して同調はし得なかったような覚えがあります。しかし30歳を過ぎた頃からでしょうか、いつしかその「軽薄さ」が「軽快さ」に変わり、一日の疲れを癒してくれる滋養効果を醸してくれるようになりました。
 第1楽章はとにかく明るく軽快な旋律で、音符が五線譜の上を蝶のように飛び回っているという表現がまさにぴったりで、アンサンブル(楽器と楽器の絡み合い)が見事です。また、展開部のわずかな短調が塩味になっています。
 第2楽章は、アンダンテの3拍子、雨あがりの青空のようなすがすがしさが魅力的です。
 第3楽章の冒頭は、4小節のリズムの導入、それに続く旋律は第1楽章のそれによく似ていますが、小気味よく力強い旋律です。展開部のフーガが旋律の軽さを引き締めています。
 演奏者では、どこまでも精緻な演奏を聴かせるフィルハーモニアカルテット・ベルリン(ベルリンフィルの各パートの第一人者たちによる構成)、正確な中にも柔らかさをもったルツェルン弦楽合奏団による演奏が印象に残っています。
 コンパクトな曲ですから全体像がつかみやすく、ややもすると長大というイメージのクラシックのジャンルにおいては、とっつきやすい曲の筆頭にあげられると思います。
(写真はモーツァルト生誕の地-ザルツブルグ)
     (1995年群馬保険医協会新聞4月号に掲載されたものに加筆)

モーツァルト その4 -ピアノソナタは夏の冷やしそう麺-

42.jpg
さて今回はK.331、つまりピアノ・ソナタ第11番 通称「トルコ行進曲付き」について、思い出をまじえながらお話したいと思います。
余談になりますが、この季節(夏)にピアノ・ソナタをご紹介するのは、それがクラシックというジャンルで蒸し暑い夏でも聴ける希有な存在だからです。
たとえば、ブラームスやブルックナーの交響曲を聴くと、それだけで上着を一枚着込んだような気分になるのは私だけでしょうか(冬には暖房効果があります)。
ピアノ・ソナタは私にとっていわばクラシックにおける「冷やしそう麺」なのです。(随分俗っぽい話になりましたね)
ピアノという楽器は、モーツァルト生涯で、最も深く関わりを持った楽器といえるでしょう。3歳で和音の演奏を始め、5才でピアノの小品を作曲しています。そして、ピアノだけのために書かれた曲だけでも100曲あまりが知られています。
またモーツァルトの時代は、ピアノにとっても重要な意味をもっています。すなわちピアノという楽器が大きく変化をした時代なのです。
弦を鳥の羽根の硬い部分で引っかいて音を出すチェンバロ(別名:ハープシコード、クラヴサン)から始まり、弦をハンマーでたたくピアノ(ハンマークラヴィーア、フォルテピアノ)へと変身していったのです。ちなみにピアノとは、フォルテに対するピアノで、もともとはフォルテピアノ、つまり音の強弱が表現できるところにその名前の由来があるそうです。
たしかにチェンバロという楽器は音の大きさがほぼ一定でしたから、ピアノの登場は革命的なことだったのでしょう。そしてフォルテピアノと呼ばれるようになってからも改良に改良を重ね、現在のような「最も表現力のある楽器」としてその地位を確保し、独奏楽器の代名詞になったようです。
前置きが長くなりましたが、モーツァルトの独奏用ピアノ・ソナタは18曲が現存しています。そのほとんどは3楽章で構成され、第1、第2楽章はソナタ形式(主題の提示部、展開部、再現部、終結部で構成)、第3楽章はロンド形式(反復主題部と挿入部の交替で構成)か、ソナタ形式をとっています。(要するに、音楽とは一見感覚的に作られているようですが、実はかなり論理的に構成されているのです)
どの曲も耳触りがよいため、「体が自然にメロディを受け入れてしまう」という表現が妥当かと思われます。
個人的には、第8番イ短調、第10番ハ長調、第11番イ長調、第12番ヘ長調、第14番ハ短調、第15番ハ長調、第17番ニ長調といったところが好みですが、これだけ挙げると名曲紹介の意味がないかもしれません。(笑)
その中から、最もポピュラーな第11番イ長調K.331をとり上げてみます。
この曲はモーツァルトの全作品中、「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」、交響曲第40番と並び、最も知名度の高い曲のひとつです。
しかし、ピアノ・ソナタといいながら、ソナタ形式の楽章を全くもたないという特異な構成をしています。
第1楽章は、思わずハミングが出そうな優雅な主題と、それをもとにした6つの変奏から構成されています。モーツァルト得意のヴァリアティオン(変奏)の世界が繰り広げられます。
第2楽章は、トリオ付きのメヌエットで、ちなみにメヌエット楽章をもつピアノ・ソナタはこの曲と第4番の2曲のみです。いかにも堂々とした冒頭部分と、それに続く繊細で可憐なメロディが印象的です。
第3楽章は単独でも演奏される有名な「トルコ行進曲」です。なぜトルコなのかと思いませんか? この楽章はイ短調ですが、長調と短調が目まぐるしく交錯し、これが異国情緒を醸し出しています。それで当時異国の代名詞であったトルコの地名が冠されたといわれています。
ところで、この曲が作曲された1783年は、くしくもウィーンがトルコ軍の攻撃に勝利を収めてから100周年にあたる年です。この前年にモーツァルトは、トルコを舞台としたオペラ「後宮からの誘拐」を書き、そしてこの年に「トルコ行進曲」を書くといった、トレンディな「受け」を狙ったと思える形跡があります。
このK.331で思い出すのは十数年前、今は亡き偉大な漫画家手塚治虫氏がFM番組に登場し、生で「トルコ行進曲」を弾いていたことです。
氏は、医学生時代の思い出を語りながら、その頃よく弾いていたというこの曲を演奏したのですが、やや遅めのテンポで実に見事に聴かせてくれたのを今でもはっきり覚えています。
CDでのお薦めは、日本より世界で活躍している内田光子、アルフレッド・ブレンデルの演奏などは、いいスタンダードになるでしょう。マリア・ジョアオ・ピリスの演奏は、行進曲の部分の表現が風変わり(耳慣れない表現)で、評価の分かれるところでしょうか。
夏の宵に、ぴったりの曲としてご紹介しましたが、隣近所の迷惑にならないよう、防音にはくれぐれもご配慮を。  (写真はモーツァルトが愛用したピアノ)
(1995年6月群馬県保険医協会新聞に掲載したものに加筆)

モーツァルト その3  -春を待つ音楽-

37.jpg
 年明けから3月中旬頃までの仙台は、蔵王おろしと呼ばれる西よりのからっ風が吹き荒れ、それが時折降る雪を路上でアイスバーンに変え、街全体を荒涼たるベールで覆いつくしてしまいます。
 関東以南出身の学生は、このアイスバーンの坂道で歩き方のコツを覚えるまで、何度となく痛い思いをしたものでした。
 晴れた日でも、ちぎれた雲が太陽の前を足早に去来し、晴れたかと思うと曇り、また晴れ、まるでモーツァルトの転調のような天気の変わりようで、太陽自体が何とも頼りない存在に思えたものでした。
 前書きが長くなりましたが、さてこんな「春は名のみの風の寒さや」といった季節に、ぜひとも聴いてほしいモーツァルトをご紹介します。
 フルート四重奏曲です。
 モーツァルトのフルート四重奏曲は4曲あり、どれも明るい曲想になっていて、先ほどのように春の到来が待ち遠しい時には、フルートが小鳥のさえずりのように聞こえ、あたかも自分ひとりが春を先取りしたかのような、幸せな気分に浸ることが出来ます。
 さて、モーツァルト自身は、フルートという楽器をトランペットとともにある意味嫌っていたようです。
 あの有名なフルート協奏曲の作曲にあたり、手紙の中で、
 「僕は我慢できない楽器のために書かなくてはならない時は、いつもたちまち気分が乗らなくなります」と書いています。
 トランペットは、そのけたたましい音色が気に入らなかったようですが、フルートの場合はこれとは別の理由があったようです。
 今でこそフルートは、銀製で精密なキーのついた楽器ですが、当時は便利なキーなどなく、指で直接穴をふさぐ木製(または陶器製)の楽器でした(現在でもフルートが木管楽器の仲間に入れられるルーツはこの辺にあるようです)。
 そして製造がきちんと規格化されておらず、そのためピッチ(音の高低)が不正確だったことがどうも原因だったようです。
 まあ理由はどうであれさすがはモーツァルト、気に入らない楽器のために書いた曲ですが、4曲ともフルートという楽器のもつ魅力を十分に発揮した、まさに春を待つにふさわしい曲ばかりです。
 個人的には、小鳥のさえずりを連想させる軽快な第一楽章、しっとりとした短調の第二楽章、フルートとヴィオラのカノンを存分に聴かせる第三楽章という構成の、ニ長調K.285が特に気に入っています。
 学生時代に聴き初めたのは、ペーター=ルーカス・グラーフのフルートのもので、LPの表紙に花模様をあしらった陶器製フルートが描かれていたのがとても印象的でした。
 グラーフは、どちらかというと素朴で清楚な演奏をしており、他の楽器とのバランスがうまく保たれていました(室内楽の場合、特にこのバランスが大切なのです)。
 もっと華やかさを求めるなら、ジャン=ピエール・ランパルのフルートをお薦めします。
 また最近、バルトルド・クイケンのフラウト・トラヴェルソ(フルートの前身)の演奏も録音され、古式ゆかしく興味深いものでした。
 梅の蕾がふくらむ頃、ぜひお試しいただけたらと思います。
   (1995年3月群馬県保険医新聞掲載のものに加筆)

モーツァルト その2 -ピアノ協奏曲-初めて買ったモーツァルトのレコード-

42.jpgmozart2.jpg
 今回から、特に私の好きなモーツァルトの作品をご紹介したいと思います。
 おそらく、クラシックを聴く方なら皆さんご存じの曲ばかりかと思います。
 そしてもし初めての方にはぜひ聴いていただきたい曲でもあります。
 さて、モーツァルトの魅力が最も出ているジャンルはといえば、おそらくピアノ協奏曲とオペラではないでしょうか。(独断と偏見です)
 今回はそのうち、ピアノ協奏曲の中から1曲を取り上げてみたいと思います。
 やはり!と思われる方も多いことでしょう、20番ニ短調(K.466)です。
 1785年、モーツァルト29歳の絶頂期に書かれた作品です。
 私事で恐縮ですが、私にとってこの曲は特別な1曲なのです。
 学生時代にどうしてもステレオが欲しくて、バイトまでしてやっとのことで手に入れました。
 手に入れたものの、有り金全部はたいたため残金がほとんどなく、当面1枚のレコードを買うのが精一杯という有り様。
 折しも、学生生協で当時珍しいレコードのバーゲンをしていて、そこで一番手前にあったのがこの20番。ウラジミール・アシュケナージのピアノ、ハンス・シュミット・イッセルシュテット指揮ロンドン交響楽団による演奏でした。
 ステレオはもちろん、レコードも新品、針をおろす瞬間の緊張は今でも覚えています。
 初めて耳にした曲だったのですが、第一印象は、これがあの(それまではとにかく流麗で明るく、時には軽薄というイメージがありました)モーツァルトの曲なのかというショックにも似たものでした。
 第一楽章、いきなりシンコペーションで始まる陰鬱な冒頭部分、変ロ長調の第二楽章で天国的な美しいメロディーから突然フォルテで短調に転調する中間部、第三楽章の激しい上昇主題等、「優雅なモーツァルト」のイメージを一掃するに十分でした。
 偶然ですが、モーツァルトにとってもこの曲は特別な意味を持った曲なのです。
 というのは、ピアノ協奏曲において、ピアノとオーケストラの完全な一体化はこの曲から始まったからです。
 それ以前のピアノ協奏曲は、独奏者を際立たせ、優雅な社交的ムードに包まれたものが一般的でしたから、この20番の協奏曲は当時は画期的挑戦的な作品だったのです。
 息もつかせない緊張で終始する第一、第三楽章、これと好対照の第二楽章の夢のような旋律と暗雲のような中間部、まさに血気盛んな「青春のモーツァルト」を象徴する傑作です。
 「モーツァルトは退屈だ」と悪口を言う方もおりますが、もしまだでしたら、この曲を聴いていただきたいと思います。
 この曲に関する限り、その表現は不適当であることがおわかりいただけると信じています。
 あのベートーベンもこの曲を愛し、第一、第三楽章に自らカデンツァ(即興的に独奏楽器のみで演奏する部分)を作曲しており、現在もよくこのカデンツァが演奏されています。
 ちなみにこの年には、モーツァルトは計7曲のピアノ協奏曲を手がけています。
(モーツァルトは、一定の時期に一つのジャンルの作品を集中して手掛ける習慣があります)
 またこのジャンルでは、24番にもう一つ短調のものがあります。20番と比べると音楽としてはより完成度を高めているとの評価がありますので、比較して聴いてみるのもおもしろいでしょう。
 さて、私の知る範囲で名盤(CD)をご紹介します。
 古いものでは、クララ・ハスキル(P)とラムルーオーケストラのもの、フリードリヒ・グルダ(P)とウィーンフィルのもの、ウラジミール・アシュケナージ(P)とフィルハーモニアオーケストラ、そして内田光子(P)とイギリス室内オーケストラのものがすばらしかったように思います。
 いろんな演奏者のものを聴き比べるというのもなかなか興味深いものです。
(写真左:モーツァルト愛用のピアノ)
                  (1995年2月群馬県保険医新聞掲載のものに加筆)

モーツァルト その1

111.jpg
 まずはモーツァルト-その魅力と特徴
 実は、群馬県保険医新聞(月刊紙)に1995年1月から1年間、『私とモーツァルト』と題し、12回の連載を書いたことがあります。
 その中から、いくつかを抜粋してご紹介します。
 今読み返すと少々?という部分もありますが、よかったらおつきあい下さい。

   『モーツァルト—その魅力と特徴』(第2回)
 今回は私なりにモーツァルトの音楽の魅力についてお話しさせていただきます。
 全くのアマチュアの見識であることをあらかじめお断りしておきます。
*「TPOを選ばない」
 いつでもどこでも、そしてどんな気分のときでも聴けるのがモーツァルトの音楽です。
 このことは、バロックからモーツァルトまでの古典派の音楽におよそ共通していることですが、モーツァルトの場合に特に際立っています。
 つまり、「思想を持たない音楽」といえるわけで、聴き手が音楽から勝手な連想をしてかまわないのです。
 一方、同じ古典派でもベートーベン以降になり、表題音楽など、いわゆる「思想を持った」音楽では作曲家の意図が明確ですから、いつでもどこでもというわけにはいかなくなります。
 
*メロディーが単純明快、かつ美しい
 ふと口ずさんだり、口笛で吹ける音楽といったらわかりやすいかもしれません。
 また、モーツァルト自身は演奏上の楽器指定において、重低音域の楽器の使用を極力少なくしていますから、この点からも意識的に軽やかな音づくりへのこだわりがうかがえます。

*長調の音楽が圧倒的に多い
 たとえば、41番まである交響曲のうち短調の曲は2曲のみ、ピアノ協奏曲では27曲中2曲、ピアノソナタでも短調は18曲中2曲のみといった具合です。
 モーツァルトの曲が軽快な印象を与えることもうなずけます。
 ところがおもしろいことに、モーツァルトの作品の中でも数少ない短調の曲のほとんどが、いわゆる名曲とか傑作の誉れが高いのです。(ちなみに、モーツァルトといえどもときには駄作もあります)

*転調(長調→短調 短調→長調)が多い
 例えば短調の曲といっても、徹頭徹尾暗い旋律の曲というのはただの一つもなく、必ず転調により、たとえば雲間から陽が差すような明るさが現れるのです。緊張から解放された安堵の表現が実に巧みなのです。この辺がモーツァルトたるゆえんでしょうか。
 たとえば「トルコ行進曲付き」の名で有名なピアノソナタ11番の第3楽章、つまりトルコ行進曲の部分ですが、楽章としてはイ短調です。しかし、この中で何度転調があるでしょうか、数えられないほどです。この曲に異国情緒がそこはかとなく漂う秘密はその辺にあるのかもしれません。
同じことは長調の曲にもいえ、明るい曲想の中に時々見せる「翳り=メランコリック」が、何ともいえない人間味を感じさせるのです。

*フィナーレが簡潔である
 他の作曲家の曲の中には、これでもかといわんばかりにフィナーレが大袈裟な曲もありますが、ことモーツァルトの曲に関してはこういったこととは無縁です。
 楽器の編成自体が小さい(数が少ない)ことから考えても迫力で印象づける曲想ではないのです。
 消え入るような、あっけないフィナーレがほとんどです。
 しかし、それがかえって余韻を残し、曲の存在感を際立たせてしまうように感じます。

 その他、音楽の流れに澱みがない等、魅力につきることはありませんが、この辺で省略し、次回から[My favorite Mozart]を、演奏家ともどもご紹介したいと思います。  1995.2