
さて、春先にポポーの花が咲いたご報告をしました。
その後、チョコレート色の花は次々に落ち、ポポーの実を食するのも儚い夢かと諦めていました。
で、たまたまポポーの木の「異変」に気づいた家内が「実がなってる!!」と興奮して言ったので、早速現場に駆けつけてみると、見事、正真正銘のポポーの実がなっていました。
あとで味見をしようと思いますが、この調子でいけば、来年は「–個」と、今から捕らぬ狸の皮算用をしています。
趣味の事を書いたブログです

私たちは、中学生の頃から国語や英語の文法を勉強し始める。いやこれは過去形で、今はもっと前倒しになっているのかもしれない。しかしだからといって、現代の子供たちが日本語や英語により造詣が深くなったという感覚は残念ながらあまりない。
さて文法、つまり文章の規則を授業で聞かされ、それは当然そういうものだという既成概念として学習してきた。文法に使われる用語の意味、なぜそう呼ぶのかなどと考えていたら授業としては進まない。ノルマとは残酷なものだと思う。
そして、授業というものから解放された年齢になり、改めて用語の意味を再考してみるのは、無責任でもあるがなかなか興味深い。これが当事者意識のない自由というものだろうか(笑)。
ではそもそも文法とは。
ある辞書には、
「言語を文・語などの単位に分けて考えたとき,そこに見られる規則的な事実。文法的事実。そしてその事実を体系化した理論。」
とある。
要するに、文や語に関する法則と考えてよかろう。
その法則を体系化するために、用語を命名、分類したものを品詞と捉えることができる。
まず初等レベルで、主語と述語。
主語は、「何が」「誰が」を示すもので、主体に当たることからわかりやすい。
述語とは、主語の行動や状態を表現する言葉である。「述」は訓読みで「のべる」で、主語の動作や状態を述べるという理解で問題なさそうである。
日本語では、述語には動詞、形容詞、そして形容動詞等が使われる。
一方、英語ではこの述語に当たるものは必ず動詞で、動詞はさらに一般動詞とbe動詞に分けられる。前者は動作を、後者は状態を表す。日本語の感覚からすると、状態を表すものも動詞というのが面白い。
「It is beautiful.」というように、状態をbe動詞で形容している。
次に、日本語の大きな特徴に助詞という品詞がある。
ある辞書には助詞について、
「付属語のうち、活用のないもの。 常に、自立語または自立語に付属語の付いたものに付属し(文法的に重複のように思えるが)、その語句と他の語句との関係を示したり、陳述に一定の意味を加えたりする。」とある。
この助詞は文法的には実に秀逸で、これがあるおかげで、主語や述語の位置を変えても意味が通じるのだ。
「私は学校に行きます」を「行きます、私学校に」と言っても日本人ならばおそらく通じるが、「I go to school.」を「go I school to.」では英語圏ではまず???であろう。言葉の理解を助ける、まさに助詞なのである。日本人は全く意識なく使っているが、まさに文章の助っ人である。
さて、最近では小学生のうちから英語を学ぶようである。日本語もろくに使いこなせないうちから外国語を学ぶことには賛否両論あろう。
それはさておき、英語を理解するための日本語の文法用語に、意味不明な用語がある。
まずは「分詞」について。
現在分詞や過去分詞などがあり、動詞が形容詞や副詞としての用法を併せ持つとされ、つまり動詞でありながら状態を表すということである。
ところで分詞という言葉だが、何が「分かれた言葉」なのだろうか。
実は、分詞は英語ではparticipleというが、これはラテン語で「共有」や「参加」を意味する「particeps」が語源となっている。英語のparticipate(=参加する、共有する)と同源であろう。あること(物)に参加することで共有が生まれることから、これ自体は理解しやすい。
であるなら、分けるという意味を連想しやすい「分詞」より、「合詞」や「共詞」「併詞」「多用詞」等と命名したほうが、日本語として本来のparticipleの意味に近いような気がするがいかがだろうか。
次に、よくわからない品詞に「不定詞」というのがある。
ある辞書には、
「不定詞とは1人称単数、3人称複数など主語の人称や単数、複数などに限定されることなく、動詞に他の品詞(名詞・形容詞・副詞)の働きをさせる準動詞のことを指す」とある。中学生のレベルでは、理解しにくい説明ではないだろうか。
不定詞とは一般的に「to+動詞の原形」のことを指し、学校では「to不定詞」と習った記憶がある。そしてこの不定詞には、名詞的用法、形容詞的用法、副詞的用法の3つの用法があり、「主語、目的語、修飾語など、さまざまな役割を果たす」とある。
英語のinfinitiveが語源であり、形容詞のinfinite=無限の、無数の、限りないの意から派生していると考えられる。つまり、用法が色々あり、一つには定まらないから「不定」という形容詞を当てたのであろうが、主な用法は大別してほぼ3つに分類されていることからすれば、「不定」というほど曖昧な品詞ではないように思われる。
次に、「仮定法過去」という、これまた不可解な用語がある。
仮定法については、
「事実ではない主観的な想像や仮定の話をする際に用いる表現」と説明されているが、これは理解できる。
仮定法過去とは、現在の事実に反する仮想で過去形で表し、仮定法過去完了とは、過去の事実に反する仮想で過去完了形で表す、となっている。
問題は、なぜ現在の仮想を過去形で、そして過去の仮想を過去完了形で表現するのか、ということと、その呼称である。
仮定法過去についていえば、「現在の事実の反する仮想」を表現するために、現在から距離を置いた世界、つまり過去という時制(時間軸の前後関係)にずらす手法をとる、と説明されている。わかったようなわからないような—。
もっとシンプルに、「現在の事実に反する仮想」だから、タイムマシーンで過去に戻れたら現在の事実とは異なっていたかもしれないと、理屈をつければわからなくもない。
ただ呼称、つまり命名の仕方については、私自身今でも納得していない。
フランス語やイタリア語と違い、日本語は英語やドイツ語と同様で、名詞の前に形容詞が位置するのが普通である。
例えば、アルプスのモンブランはMont Blanc(仏)、Monte Bianco(伊)で形容詞は後ろにつくが、英語ではwhite mountain 、日本語では「白い山」と前に着く。
だから、「仮定法過去」といった場合、「過去」という名詞を「仮定法」が形容する形になってしまう。つまり、本質は「過去」ということになるが、現実には「過去」ではなく「現在の仮想」である。
ならば、呼称としては例えば「過去的仮定法」あるいは「過去型仮定法」とすべきではないだろうか。
皆さんから意見も是非伺いたい。

6月も半ば過ぎ、鬱陶しい季節になりました。
今日の最高気温は35℃と予想されています。
今年の夏はエルニーニョ現象の影響で、天候不順が心配されていますが、それにしても6月に35℃まで上がるのは、かなりきついです。
さて、大事に育てていたバラが2本茎にシワがよってしまい、1本は残念ながら枯れてしまいました。つい1ヶ月前まで綺麗な花を咲かせていたのに。
原因はわかりません。
でも、半ば諦めていたもう1本は、気づくとなんと、ベイサルシュートが土の中から出てきていました。こちらの気持ちが伝わったのでしょうか、まさに僥倖です。このバラは、30年ほど前に、親株から挿し木で育てたダブル・ディライトで、かなり大きくなり、左上に見えるグレーの部分も別れた株の一部です。
ダメかと思っても、すぐに諦めてはいけませんね。
バラから教わりました。


ゴールデンウィークの真っ只中。
今年の春は比較的、というか記録的に気温が高く、4月中に真夏日がありました。そのせいか、季節の移り変わりも早いように感じます。
いずれにしても、この時期は木々の葉も淡い影を落とし清々しい気分になれます。
一枚は玄関の上に葉を伸ばすハナミズキとヤマボウシです。青空のもと、命の芽吹きを感じます。
もう一枚はポポーの花です。
数年前にご近所さんからいただいたポポーの株が、今年初めてチョコレート色の花をつけました。
バンレイシ科の植物で、英語ではpawpawのスペルなので、ポーポーが正しいのかもしれません。アケビのような実をつけ、独特の甘い香りで、今度は結実を期待してしまいます。

二月も下旬になると、寒いながらも真冬に比べ日長を感じられるようになりました。
診療後、ふるえるような寒さの中ふと西の空を見ると、なんとも言えない素敵な光景が目に入りました。
すっきりとした上弦の月ももちろんですが、近くに瞬きをしない、つまり惑星と思しき星が2つ、音楽で言うとピアノとバイオリン、そしてチェロのトリオといった風情でしょうか、まさに絵になるような、いえ絵になっていました。
あとで調べてみたら、月のすぐ右上が金星、そしてずうっと上にあるのが木星とのことでした。
この構図のリズム感、どこかで見たおぼえがあり、記憶を辿ったところ、宮本武蔵の「枯木鳴鵙図」にたどりつきました。皆さんのご感想、いかがでしょう。


さて、これまでにピックアップし忘れたものを思い当たる限りオムニバス的に。
ちなみにomnibusのomni-には、全- 総- 汎-といった漢字が当てられている。そこから「乗り合いバス(自動車)」と和訳されている。ここでは、落ち穂拾いよろしく、取りこぼしたものの「寄せ集め」といった意味で使うこととする。
まず、コンサート等で使われるステージ。
ステージ(stage)とは、(俗)ラテン語の「staticum」という単語が語源で、「立つ空間」の意味になる。これは英語のstand、あるいはstance=スタンス(立場、姿勢、立ち位置)の語源でもある。
現在、英単語として「stage」と言った場合は、「足を付ける場所」「舞台」「位置」「段階」「時期」「演劇」などの意味を持つ。
次に、唐突だが「フラメンコ」について。
flamenco=フラメンコはご存知の通り、スペイン南部アンダルシア地方を中心とした伝統的な舞踊である。
この語源には諸説あるが、最も信憑性の高い説をご紹介しよう。
このflamencoというスペイン語は、英語で「炎症」を意味するinflammationと関係があるとされる。すなわち、この-flame-と英語で「炎」を意味するflame が同源ということである。炎症は燃えるようにジンジンと熱を持ち、一方フラメンコは心が燃えさかるような情熱的な舞踊だからこの名がついたとされる。
ちなみに、鳥のflamingo=フラミンゴもラテン語で「炎」を意味するflammaから名づけられたとされている。おそらく鳥の羽の色から連想されたものであろう。現在、和名では「ベニヅル」とされているが、明治時代にはより原語に近く、「火鶴」や「火烈鳥」等の漢字が当てられていた。それまでの日本のツルの清楚なイメージからすると、かなり強烈だったのであろう。
さて、音の速さのことをtempo=テンポという。これはイタリア語だが、英語のtimeに相当し、広義で時間のことを指す。
一方、解剖学の分野では側頭骨(頬から耳の前にかけての部分)のことをラテン語ではos temporaleという。このtemporaleには側頭あるいは側(横)-といった意味は全くない。
ラテン語のtemporaは「こめかみ」を指すが、これは同じくラテン語で「時」を意味するtempusに由来する。先ほどのtempoもここに語源がある。
ではなぜ、「こめかみ」と「時」が関係するのか。
諸説のうち説得力があるのは、こめかみの毛、つまり鬢(びん)が歳を重ねるにつれ最も早く白髪になり、人生の「時の流れ」を感じさせるから、というものである。メガネフレームの側頭部に触れるつるの部分も同義でtemple=テンプルという。
ちなみに、tempusには「切る」を意味するtem-に由来しているという説がある。つまり、「時の区切り」を意味し、獣肉を食べない「四句節」のtempora=時節に食した魚料理が天ぷらの語源となったというものである(これも諸説あり)。
その意味では、tempusを「時節」と和訳すれば、さもありなんと腑に落ちるのではなかろうか。
話題はまた変わるが、オペラは一般的には「歌劇」と和訳される。
ところがワグナーの作品の場合、オペラに分類されるものを楽劇と呼ぶ。
Musikdrama(独)の和訳だが、アリアに重きを置いたそれまでのオペラに対し、ワグナーは音楽と劇の進行をより一体化、融合させたものを創作し、自らこの名をつけたとされている。
とはいえ、ワグナーの初期の作品は、内容的には従来のオペラ=歌劇のスタイルを踏襲している。厳密には、後期に作られた「トリスタンとイゾルデ」「ニュルンベルクのマイスタージンガー」「ニーベルングの指環」「パルジファル」の4作が楽劇のジャンルに属するとされている。詳しくは定かでないものの、誤解を恐れずにいえば、現在のミュージカルに近いものといえないだろうか。
音楽の演奏会で使われる「公演」とは、「公開の席で、芝居、舞踊、音楽などを演ずること」とされている。
フランス語では、昼公演(日中の公演)をMatinée=マチネと言い、原語の意味は、「朝」「午前中」「正午前」。これに対し夜の部をSoirée=ソワレと言い、日没から就寝までの「夜の時間帯」を指す。
オペラ観賞に使われるオペラグラスという双眼鏡がある。
オペラハウスで観劇用に使われたのが、その名の由来。
では、いわゆる双眼鏡との違いはというと、まずは小さくて軽いということ。
これは、その目的が観劇用なので、使っていても周囲の観客に迷惑がかからないことと、長時間保持しても疲れないことが重要である。そのため構造はシンプルで、2枚の凸レンズのみで構成されている。一方の双眼鏡は筒の中にプリズムが使われ、さらに凸レンズと凹レンズの組み合わせにより倍率を上げ、より遠くの物を鮮明に見ることが出来る。ただしその分、大きくて重い。
次に、「こけら落し」とは、新築、あるいは改築された新たな劇場で初めて行われる催しを指す。
元々の意味は、建築工事の最後に、屋根に残った木屑等を払い落とすことだった。
「こけら」には、「杮」「𣏕」「木屑」「鱗」等の字が当てられている。
前者3つが、材木をおのや鉋(かんな)等で削った時にできる削り屑や木片を指す。ちなみに、「杮」は果物の「柿」に似ているが、後者の旁(つくり)は市町村の「市」だが、前者のそれは縦棒が一本でつながっている。残りの「鱗」はこれらとは別で、魚などのうろこを指す。が、鱗も木屑に似ていないとはいえないので、ひょっとすると同源なのかもしれない。
ちなみに、歯科で歯石を除去することをscaling=スケーリングというが、元々は魚のscale=鱗を取り除くことを指していた。表面に付着した物を取り除く行為が似ているからであろう。
閑話休題。
工事で出た木屑等を片付けてきれいにする事と、きれいになった劇場での初公演を同一視してできた言葉ではないだろうか。 あるいは、「こけら落し後の初公演」を略して「こけら落し」としたのかもしれない。
次に、楽屋とはいかに。
一般的には、舞台の出演者が支度をしたり休息をとる控室を指す。しかし本来は、それだけでなく舞台裏、つまり衣装係や大道具、小道具係等のいる場所全体を指していた。
では楽屋の「楽」とは。
実は、舞(まい)を伴う雅楽である「舞楽」が由来とされている。雅楽は、奈良時代に朝鮮や中国から伝わった音楽や舞、あるいはそれを日本でアレンジしたものを指す。ちなみに、舞を伴わないものを管楽と言う。
舞楽の演奏者を楽人と言うが、この楽人が演奏をする舞台後ろの幕の内側を「楽之屋(がくのや)」と呼んでいた。これが楽屋の語源とされている。
その後、能が登場したが、能ではこの楽人に当たる演奏者を囃子方(はやしかた)と呼ぶ。囃子方はそれまでの楽屋ではなく、舞台上で演奏するようになり、次第に楽屋は演奏する場所ではなく、現在のように出演者の準備や休息をする場所を指すようになった。
さて、弁当でも使われる「幕の内」とは。
文字通り、芝居等での幕の内側、あるいは幕が閉まっている間=幕間(まくあい)をさす。ちなみに相撲界でいう幕の内力士とは前頭以上の力士、つまり、横綱、そして三役(大関、関脇、小結)、前頭までを指す。これは、幔幕(まんまく=土俵を囲むように、天井から張り巡らされる幕)の中に座を与えられたところからそう呼ばれているが、今回取り上げる「幕の内」とは直接の関係はないようである。
では幕の内弁当について。
まず舞台関係から生じた説としては、芝居で、役者や裏方に出していた(つまり幕の内)弁当を観客も食べるようになったから(場所に由来)、というもの。あるいは、役者が舞台裏=幕の内で食べる弁当だったから(人に由来)、という説もある。
別説としては、戦国時代、戦陣の幕の内で食べた弁当だから、というものがあるが、真偽のほどはいかに。
クラシックで、suiteは組曲と和訳される。
発音記号では[swiːt](スイート)あるいは[suːt](スーツ)となっている。
ちなみに、甘いものを指すsweet[swiːt](スイート)とは発音は同じでも全くの別物である。
ホテルなどの一続きの部屋を意味するスイートルームなどと同源で、今の日本語では、「セット」という言葉が本来の意味に近いかもしれない。
「全部で1セット」なので、家具や食器では馴染み深い。
服のスーツ=suitも同源で、同一の布でつくられる、二つ以上のピースからなる上下一揃(ひとそろ)いの服を言う。
それでは文字通り、最後に「フィナーレ」に触れておこう。
「フィナーレを飾る」などという。
これはイタリア語で「最後」を意味するfinale=フィナーレから。
音楽では、「終楽章」「終曲」と和訳される。
フランス映画では、おしまいにfinの文字が出る。英語のthe endの意味で「終わり」を意味するが、finaleと同源である。
イタリア語のfinaleには「決勝」の意味もあり、英語のfinal=ファイナル「最後の」と同源であることが理解できる。
触れず仕舞いのものも少なからずあるような心残りもあるが、とりあえずここまでとしたい。


2023年 明けましておめでとうございます。
太平洋側は比較的穏やかな年明けとなりました。
前橋は「赤城おろし」と呼ばれる冬の空っ風で有名ですが、風のない日は庭では小鳥たちのさえずりが賑やかです。
「カッカッ」という何かを叩くような鳴き声は「ヒタキ」の仲間のジョウビタキ(写真上)、「チッチッ」という軽やかな泣き声はメジロ(写真下)。
前者は単独行動、後者は集団行動が多いようです。
その他、前回ご紹介した、カオジロガビチョウやムクドリ、ヒヨドリ、モズもよく訪れます。


春先から秋にかけて、我が家の庭を飛び交う鳥たちがいました。
それまでてっきりヒヨドリかと思っていました。
ヒヨドリは、顔の模様に多くのバリエーションがあります。
しかし、飛び方といいヒヨドリとは思えずどうしても合点がいきませんでした。
ある日、医院の窓に衝突したのか、この鳥が一羽死んでいました。埋めてあげたのですが、この時はメボソムシクイかと勝手に思い込んでいました。写真を撮っておかなかったことを今更ながら悔やんでいます。
その後も、何度も遭遇するのですが、なかなかシャッターチャンスがありませんでしたが、たまたまこの写真が撮れました。鮮明ではありませんが、顔の表情は感じられると思います。
「野鳥 茶色 顔に白いすじ」等、キーワードを入れて検索してみると、「カオジロガビチョウ」がヒットしました(かなり苦労しました)。「これだ!」と、なんだか宝を探し当てた子供のように興奮しました。
調べてみると、スズメ目ヒタキ科の野鳥で、本来東南アジアに生息する野鳥で、ペットとして飼われていたものが野生化したということです。
ガビチョウは、「画眉鳥」と書くそうです。目の周りにはっきりとした線があるからでしょうか。カオジロガビチョウはこれとはあまり似ていないように思います。
Wikipediaで調べてみると、
「ガビチョウが茶褐色なのに対して灰褐色で、眼の周りから喉、嘴にかけて三角形状に白い。嘴は灰色。日本では群馬県赤城山の南面を中心とした狭い範囲でのみ確認されている。」とありました。
画像を検索してみても、撮影地は前橋が圧倒的に多く、かなりローカルな鳥のようで嬉しく思いましたが、侵略的外来種ワースト100にノミネートされているそうです。可愛いい鳥なんですけどね。

まずは楽器にまつわるエピソード。
piano=ピアノは、ご存知のように正式にはイタリア語のgravicembalo col piano e forte(強弱のあるチェンバロ)が語源とされている。これが短縮され、ピアノとなっている。強いを意味するforteではなく、弱いというpianoだけの短縮形となっているのは興味深い。あるいは単にpiano e forteと、pianoが先だからだろうか。
ちなみに、バロック音楽で使われるcembalo=チェンバロはイタリア語で、英語ではharpsichord=ハープシコード、フランス語ではclavecin=クラヴサンと呼ばれている。呼び方によって音色まで違って聞こえるように感じるのは、単なる先入観か思い過ごしだろうか。
話はピアノに戻るが、歴史的にはpianoforte=ピアノフォルテやfortepiano=フォルテピアノと呼ばれ、現代でも略称としては “pf” という表記が用いられている。
現代では、イタリア語・英語・フランス語ではpiano=ピアノと呼ばれ、ドイツ語ではHammerklavier=ハンマークラヴィーア、より一般的には Klavier=クラヴィーア(鍵盤の意味)と呼ばれるほか、Flügel=フリューゲル(もともと鳥の翼の意で、グランド・ピアノを指す。弦を覆う蓋の形からか)も用いられる。
慣例的には、19世紀前半以前の様式のピアノを、モダンピアノと区別して特定する場合に「フォルテピアノ」と呼ぶことが多いようである。
次にヴァイオリン(略語はVnあるいはVl)。
これは英語で、イタリア語ではviolino=ヴィオリーノ、フランス語ではviolon=ヴィオロン。
ヴィオラ、チェロ、コントラバス等ヴァイオリン属の胴の中央付近に左右に対象に開けられた穴を、その形からf字孔(f-hole)という。厳密にf字なのは左側で、右はその線対称形。この形により音色がかなり変わるそうである。
この形が定着したのは、16世紀以降のイタリアで作られた楽器からで、それ以前は「c」や「s」の形に近かったそうである。
「f」字になった理由には、(Cに比べ)強度に優れているから、英語で女性を意味するfemaleから(なぜ女性が関係するのかは不明)、あるいはより装飾的に美しいから等、諸説ある。
それらも加味しながらより説得力のある説として、製作者が胴に駒(バイオリンを横から見て、弦が最も突き出ている部分を支えている衝立)を立てる位置を示すために、S字形にくりぬいた孔の中央部にたまたま刻み目をつけたのが始まりというもので、言われてみれば確かにその通りである。
バイオリンは4弦で、日本では開放弦の音高のドイツ音名を用いて、E線・A線・D線・G線(えーせん、あーせん、でーせん、げーせん)と呼ぶことが多い。バッハが作曲した「管弦楽組曲第3番」の第2曲をウィルヘルミが編曲したArie auf G=「G線上のアリア」は、この最低音の弦であるG線のみを使って演奏することからつけられた通称である。一般的には「ゲー線上のアリア」ではなく、英語読みで「ジー線上のアリア」と呼ばれることが多い。
次にこの弦の素材だが、以前はガット(羊の腸)が使われていたが、現在では意外にも金属弦やナイロン弦が主流となっている。胴には相変わらずスプルースやメープルが使われるのに、である。そういえば、ピアノの弦も金属である。
金属弦やナイロン弦は、ガット弦に近い音色を持ちながら、ガット弦のように温度や湿度の影響を受けにくいというメリットがあるという。
同じくヴァイオリン属のcello=チェロ。
イタリア語のvioloncello=ヴィオロンチェロに由来するが、英語ではcelloと書いてセロと発音する(略語はVc)。日本人の私の耳には、セロよりチェロのほうが艶っぽく聞こえるが如何だろうか。
さて、本体の大きさに比べると、指板(弦を指で押さえる部分)は意外にもヴァイオリンなどより若干細めである。ヴァイオリン属では低音楽器になるほど胴体と弦の角度が大きいため、ヴァイオリンに比べると駒が高く丈夫に作られている。弓もヴァイオリンなどより太いが、実は長さは逆に短い。
弦は現在ではやはり金属弦が主で、低音弦には質量を保ったまま細く仕上げるために、タングステンや銀を使用した弦が使われることがあるそうな。
バロック奏者においては、柔らかい音にするためか、ナイロン弦やガット弦が使用されることもあるが、音量やメンテナンス、耐久性に難があると言われている。
管楽器のflute=フルートについて(略語はFl)。
現在フルートというと、キーのついた金属製の横笛(正式にはコンサート・フルートという)を指すが、元々は広く笛一般の総称だった。ルネッサンスからバロック音楽の時代では、一般的にフルートというと現在のリコーダーと呼ばれる縦笛を指すようになった。一方、現在のフルートの前身楽器である横笛はflauto traverso=フラウト・トラヴェルソと呼ばれた(traversoとはイタリア語で「横向きの」という意味)。かつては主に木製だったが、現在では金属製が主流となっている。それにもかかわらず、フルートは木管楽器に分類される。
実は、木管と金管の分類では、材質が金属か木かというのは重要ではなく、音の出し方で分類されている。フルートが木管楽器に分類されるのは、唇の振動によって音を出す楽器ではないからである。
ちなみに、金管楽器はトランペット・トロンボーン・ホルン・チューバなど、マウスピースを口に押しつけ、唇の振動によって音を出す管楽器をいう。 一方木管楽器は、唇を振動させずに音を出す管楽器。フルート、リコーダー、尺八のように穴に息を吹き込むことで音を出すものと、クラリネット、サクソフォン、オーボエ、ファゴットのようにリード(薄片)を口にくわえて音を出すものがある。もちろん、元々は金管楽器の素材には金属が、木管楽器のそれには木が使われたものが多かったのだろうが。
ちなみに、この分類からいえばほら貝は金管楽器ということになる(真偽は不明)。
オーボエやファゴットは、2枚がくっついた形のリードでダブルリード楽器と呼ばれている。
ここで問題となるのは、フルートにはリードがないということ。
厳密に言うと、リードが無いのではなく、「エアリード」というものを使って音を出す。「エア」とはあの「エア(空気)」、つまり自分の口そのものがリードということである。
「エアリード」とは、物体のエッジの部分に息を当て、その時生じる空気の渦上の流れにより音を出す仕組みを言う。
物理的なリードが存在しないためノンリード 、あるいは無簧(むこう:簧がリードの意)とも呼ばれる。

7月14日、梅雨の戻りのような大雨が降るあいにくの天気でしたが、群馬県保険医協会 第52回総会が開催され、私は無事、5年間務めた会長職を退任しました。
これといって大きな仕事はしませんでしたが、逆に大きな失態も晒さずに(笑)、お役御免となりました。
このあと、顧問、名誉会長に就任して事実上一線を退くのがこれまでの通例でしたが、私から希望して、平の1理事として残していただくことになりました。かっこより微力ながら何かお役に立てれば本望です。
何れにしても、これでやっと自由な発言ができそうです(笑)。
退任の挨拶のあと、思いがけず花束を頂いたとき、やはり退任した実感がふつふつと湧いてきました。
皆さま、これまでのご支援ありがとうございました。
そして、今後ともよろしくお願いいたします。
その後、我が家の玄関では、しばらくユリの濃厚な香りが漂っていました。