銀木犀(ギンモクセイ)

「—金木犀の咲く道を—」

キンモクセイの香りは秋本番の象徴のようで、思わず深呼吸したくなりますね。

以前はちょうど10月の運動会の頃、子供達の歓声とともに1週間ほど香ったものですが、最近は温暖化のせいかやや早くなったように感じます。

今年は、9月二十日頃から香り始めたと思います。

写真はお隣のギンモクセイで、高さ5〜6mの大木です。

キンモクセイは、ギンモクセイの変種だそうですが、いまやキンモクセイのほうが主流になってしまった感があります。

キンモクセイの花はオレンジ色ですが、こちらはクリーム色がかった白です。

キンモクセイの強く甘い香りに対して、こちらのそれは甘さを感じるもののややしとやかな香りです。個人的には神々しささえ感じます。

ちなみに、木犀(モクセイ)とは、その樹皮がサイ(犀)の皮膚の感じに似ているからとか。

時計の修理

診療室のクォーツの掛け時計が、日に10分以上進むようになりました。

左がその時計で、別段高価なものでもなかったのですが、木目の温かみが気に入っていたのと、廃棄することへの罪悪感から、修理できないものかとネットで調べてみました。

すると、ムーヴメント(機械の部分)の交換ができることを知りました。

なかには、ムーヴメント自体を直してしまうプロ顔負けの方もいるようです。

とにかく、これまたネットにて、同じサイズのものを探し交換してみました(サイズと、針を固定する軸の形状と長さが大事です)。

右が外したムーヴメントです。外す際、マイナスドライバーでちょっとこじるようにするのと、針の順番と表裏を間違えないように注意することくらいでしょうか、意外に簡単に交換でき、正常に正確に作動しました。締めて2000円弱。

こんなことでも、なんとなく嬉しいものです。

 

酷暑に咲く花

今年の夏は、とにかく酷暑の日が人間の忍耐を試すかのごとく続きます。

ただここ2、3日、朝晩の気温が20℃以下になり、猛烈な暑さの夏も少し出口が見えてきました。人間って、先の見通しがつくと現実の厳しさにも耐えられるんですね。

人間のみならず、草花も試練に耐えています。

そんな中、健気にも咲き誇っている花たちをご紹介します。

真夏のバラ、これは結構貴重です。

赤い花はラ・マルセイエーズ、かなり以前にもご紹介しましたが、私見ですが最もバラらしいバラです。夏の花はやや小ぶりですが、それでも元気をくれます。実は親株は5年ほど前に枯れてしまったのですが、たまたま挿し木にしておいたいわば子株が元気に育っています。

今月下旬には、バラは夏の剪定が待っています。

もうひとつの白い花は睡蓮、別名ヒツジグサです。

夏の未(ひつじ)の刻(13時から15時)に花を開くのでこの名前が付いています。

ベランダの睡蓮鉢に咲いていて、酷暑の中でも目に涼を運んでくれます。

台風12号

昨日28日、夕方から夜半に台風12号が関東に接近とのことで心配していましたが、幸い前橋には大きな影響はありませんでした。

一方で、甚大な被害に見舞われた西日本豪雨の被災地では、さらなる苦難を強いられることとなりました。焼け石に水かもしれませんが、先日、山陰地方のある町に心ばかりのお見舞金を送付しました。被災地の方々の折れない心と、一日も早い復興を願っています。

さて、この酷暑の季節になると、毎年お隣のアガパンサス(ムラサキクンシラン)が目に涼を届けてくれます。

昨今では、真夏日は3ヶ月にわたり続きます。ある環境学の権威の方が、今後の日本の四季は、春夏秋冬でなはく、夏夏夏冬になるとおっしゃっていましたが、残念ながら現実のものと実感しています。

国同士が、核で核に対抗している場合ではありません。

人間の英知を結集して、後に続く世代にかけがえのない環境を受け渡す方策を講じなければなりません。

シジュウカラ

ついに、憧れのシジュウカラを写真に収めることができました。

5月4日に蓼科に行った際、たまたまホテルの窓から外の植え込みを眺めていたところ、こちらの気配を感じなかったのか、数メートルの位置まで来てくれました。

自宅でも時々この鳥を見かけますが、警戒感が強いせいか、とても近づけませんでした。ちなみにこの鳥の名前ですが、「カラ」はスズメの仲間の総称、「シジュウ」は鳴き声を擬音化したのだそうです。

さて、自宅に帰ってから、シジュウカラはいないかと上を見上げると、なかなかの緑陰が見られました。

これはヤマボウシの木ですが、トトロの世界よろしく、我が家は軒先の木々のせいで、家の中は前橋にしては夏でも涼しく感じられます。

そのうち、木々に押しつぶされてしまうのでしょうか。

アイスバーグ(シュネーヴィッチェン)

連休後半も、ほぼ天気に恵まれました。

やや暑すぎた感もありますが、贅沢は言えませんね。

さて写真は、シュネーヴィッチェン通称アイスバーグというバラです。

白いものは駐車場のフェンスに咲き乱れるつる性のアイスバーグです。清楚で好きなバラの一つです(フェンスの赤いバラはドンファン)。ドイツで作られたバラですが、シュネーヴィッチェン(Schneewittchen)とはドイツ語で「白雪姫」のことです。イメージぴったりですね。ちなみにアイスバーグ(iceberg)とは英語で氷山の意味です。どちらも白いものですが、かなり表現するもののイメージが違います。

さて、隣のピンクのバラは、ブリリアントピンクアイスバーグといって、白いものの枝変わり(変種)です。最近手に入れたものですが、大きくなったときどんなふうに咲くか楽しみです。

「そうだったのか、語源」⑥ -間違った言葉の使われ方-

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しばらく医学関係の言葉について触れてきたので、この辺で対象を少し変えてみたい。

今回は、本来の使われ方から変化して使われている言葉、あるいは間違って使われている言葉について考えてみたい。

ただ、現時点では間違った使われ方であっても、時代の経過でそれが正しい(間違っているとは言えない)使い方になってしまうものも多いので、必ずしも誤用とはいえない例も多い。

 

たとえば「とても」という副詞。

現在は「とても美しい」と、very=肯定的な文章に使われても違和感がないが、本来は「全然」と同義で「とても—ない」と否定的に使われていた。

そういえば、最近若い方々の間では「全然」も肯定的に使われている。

「全然大丈夫」といった具合に。

 

さて、代表的なものを幾つか挙げてみたい。

 

・確信犯

最近では、本人が悪いこととわかっていて行う行為、あるいはその人をさすことが多い。

本来は、道徳的、宗教的、あるいは政治的信念に基づいて、本人(たち)が正しいと確信してなされる社会的犯罪あるいはその人(たち)を指していた。

つまり、本人(たち)は正しいと信じて行っていることが、社会的には犯罪であるという、そういう行為やそれを行った人(たち)に対してつけられた表現である。

全く意味が異なるので、使うときにどちらの使い方か断る必要があるのは、ある意味面倒である。

 

・言語道断

本来は仏教用語で、「言葉で表現する方法が絶たれる」という意味で、それほどまでに奥深い真理を指していた。

それが転じて、言葉を失うほどひどいこと、とんでもないことを指すようになった。それにしても随分とあらぬ方向に転じたものである。

 

・破天荒

豪快、型破り、あるいは大胆といった意味で使われることが多い。おそらく字からくるイメージでそう使われているのかもしれない。

本来は、中国の古事成語から。

「天荒」とは未開の地のことで、それを破るということで、今まで人が成し得なかったことを成就することを表す言葉である。「日本人初」や「人類初」といったところか。

ちょっと勇み足で「前代未聞」「空前絶後」という広義の使われ方から、先の間違った意味で使われるようになったのかもしれない。

 

・ 相合傘

こちらは逆に、字からわかる通り、一本の傘の下に二人以上の人が入っている状態をさす。「愛」の字が連想されるのか、男女二人というイメージが浮かぶが、必ずしも異性同士とは限らない。男同士でも全く問題ない。

相傘ともいう。

 

・鳴かず飛ばず

「『三年』鳴かず飛ばず」が出処の中国の故事で、実力のある者が活躍の機会に備えてじっと待っているさまを指す。したがって、もともと才能や力のない者が活躍できないでいるような使い方は、本来の意味とやや違っている。

 

・潮時

「物事をやめる頃合い、タイミング」といったネガティブな意味合いで使われていることが多い。

「潮の満ちる時、あるいは引く時」がもともとの意味で、つまり「ちょうど良い頃合い、タイミング」を指し、よりポジティブな意味合いの方が強い。もっとも、やめることをポジティブにとらえて引用するなら必ずしも間違いとは言えないが。

 

・姑息

「姑息な手段」等、現在では「卑怯」と同義で使われることが多いが、これは誤りである。本来は、根本的な解決法ではなく、一時しのぎ、間に合わせにすることをさす。

医療では「姑息療法」という言葉が使われるが、これは「対症療法」と同義であり、「姑息」の本来の使い方に近い。

この意味では、歯科では「temporary=一時的な」という言葉を使うが、一般的にはmakeshiftあるいはtemporizingという英語が相当するらしい。

 

・恣意的

本来は、論理性がなく、思いつきで行動する様子や、自分勝手に行動する様子を指す。もっとわかりやすく言えば、計画性がない、思慮が足りないといった様を表しているのであろう。

ところが最近の使われ方をみていると、例えば国会の質疑答弁などでも反対語に近い「意図的」あるいは「作為的」の意味で使われていることがある。どこか言葉に裏がある、狡猾なイメージが漂う。

近い将来、この間違った使われ方が常用になるのかもしれない。

 

・遺憾

本来は、期待したようにならず、心残りであること、あるいは単に残念であることの意味である。

近年では、政治家やそれなりの立場にある人の口から、事後の記者会見等で「遺憾に思う」という表現をよく耳にする。

この場合、自らあるいはその周囲の行い等に対し、残念なことという表現をしているのである。つまり、法的には問題ないものの想定外であるといった、やや責任逃れのニュアンスが含まれているのである。

ここには謝罪の意味が含まれていないというのが一番のミソである。

要は、「遺憾」を口にしたのちの行動こそが肝要である。

人はミスをして成長する生き物である。ミスを生かせるか否か。

反省して、その後の行動に生かせればよし、変わらなければ「いかん」ともし難い。

 

・役不足

本来は、その人の力量より低い仕事や役割を与えられることを指す言葉である。

誤って、逆の意味で使ってしまっていることがある。

であれば、「力不足」あるいは「役者不足」であろう。自らを謙遜したつもりで誤用しないようにしたいものである。

 

以上、私がこのようなコメントをすること自体、役者不足の感が否めない。

(群馬県保険医協会歯科版掲載のための原稿)

沈丁花とメジロ

今日は、前橋では最高気温25℃を超えたとか。

3月なのにとんでもない暖かさ、いや暑さでした。

2年毎の診療報酬改定、いわゆる点数改定に向け準備しながら、庭の草むしりを。

いえ、2時間ほどデスクワークをするとストレスがたまり、その気分転換に草むしりをした、というほうが正確かもしれません。

少し体を動かすと汗ばむような陽気でした。

草むしりは面倒な作業ですが、実は見方を変えれば最も季節感を感じる作業でもあります。なんといっても植物と最短距離で向かい合えます、いえ、合わざるを得ません。

今日などは沈丁花のそれこそ「春」を象徴するような香りに包まれていました。

メジロもおそらく番(つがい)でしょうか、二羽ずつ同じ木の枝に来てはか細い高い声で鳴いていました。

警戒心が強い鳥なので、前回同様、ここまでが精一杯でした。見えますか?

 

クリスマスローズ、今年も

あの東日本大震災から7年が経ちました。傷ついた被災地の風景は徐々に変わっても、人々の辛い思い出は決して癒えることはないでしょう。

さて我が家では、例年通りクリスマスローズが満開となりました。

クリスマスとは名ばかりで、実際に満開となるのは2月から3月にかけてです。

クリスマスローズの自生域はヨーロッパから中国までとかなり広く、特にアドリア海に面した地域でその種類や数も豊富とのことです。

クリスマスロ−ズ(以下、クリロー)は、色や模様のバリエーションが豊富で、花びらの形(シングル、セミダブル、ダブル)、色、模様の順に表記します。

したがって、写真上はシングル ピンク ベイン(ベイン=veinとは葉脈、血管のこと)、下はダブル ホワイト ピコティ(ピコティは覆輪、縁取りのこと)と呼びます。

この花、なかなかシャイで、カタクリの花のように下にうつむいて咲きます。

ですから、下の写真は根元の方から煽って撮影しています。

寒かった冬もようやく終わり、桜の開花も現実味を帯びてきました。

春はそこまで

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今年の冬は、記録的な寒さが続いています。福井では、大雪により20kmにわたり車列が立ち往生し、数日間陸運が麻痺状態となりました。

前橋でも2回ほど積雪し、駐車場の雪かきで腰を痛めました。幸いにも、近所の重機を持っている会社の方がショベルカーで大方除雪してくれました。寒さの中の心の温かさに感謝感謝です。

当院の水道管も一部凍結し、ガスによる温水が出ない日もありました。こんなこと、開業以来一度もありませんでした。

まだ寒さは続くでしょうが、一方で気温の推移を見ていると、最低気温がマイナスの日が徐々に減り、最高気温10℃以上の日が増えてきました。

この数字を見ただけでも暖房効果がありそうです。

そして、春は着実に近づいています。

庭の蠟梅(ロウバイ)の黄色い花はいい香りを放ち、馬酔木(アセビ)の花も膨らみ始めました。

足元に目をやると、いつしか落ち葉の間からフキノトウが葉を広げていました。

テレビでは、早くも桜の開花予想がアナウンスされました。