
冬の妙義山を撮りたくて、先週診療後、山の近くのホテルに泊まりました。
予報では晴天のはずでしたが、6時過ぎ、急に荒れ出し、風雨が強くなってきました。
ついてないなと半分諦めかけたところ、なんとスポットライトのような暁光が射してきました。
朝食中でしたが、慌ててホテルの玄関に飛び出しました。
何かに掴まらないと立っていられないような強風で雨も横殴りでしたが、この瞬間を逃すまいと必死でシャッターを切りました。
神々しさが伝われば良いのですが。
その後、風雨は収まり、日常的な風景になりました。
趣味の事を書いたブログです

さて、11月23日、恒例のCDコンサートを開きました。
「師走の」と形容詞がついていますが、今回は都合で霜月に開催しました。
今回は参加者が5名と少なかったのですが、それもまた、個人的に立ち入ったお話もでき、有意義でした。
さて、今回取り上げた各曲について、聴いてほしい、あるいは観て欲しいところを、かなりのバイアスをかけながら、コメントしてみます。
プログラム
1. たそがれマイ・ラヴ (CD)
大橋 純子
2. ブラームス バイオリン・ソナタ
No.1 op.78 No.2 op.100 No.3 op.108 (BD)
ルノー カプソン アレクサンドロ カントロフ RD:2023
3. ハイドン 弦楽四重奏曲
No.76 op.76-2「五度」No.77 op.76-3「皇帝」 (CD)
イタリア弦楽四重奏団 RD:1976
4. モーツアルト 交響曲No.25ト短調 K.183 (CD)
ネヴィル・マリナー指揮 RD:1978
アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールド
5. バッハ 無伴奏チェロ組曲 (BD)
ミーシャ・マイスキー ( Vc.) RD:2022
6.First Love (CD)
キャスリーン・バトル RD:1993
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大橋 純子は1年前に亡くなりました。
改めて聴いてみると、発声のすばらしさ、かつ自然なビブラート。
このCDでは、オリジナルとは一味違うボサノバ風の伴奏。パーカッションとケーナが秀逸。
2. ブラームスのバイオリン・ソナタ
現在、最も注目され、脂の乗っているバイオリニストのひとり、ルノー・カプソンとアレクサンドロ・カントロフ。ルックスもなかなか。ちなみに、ピアニストのカントロフは、我々が学生時代にDENONブランドで注目されていたバイオリニスト、ジャン・ジャック・カントロフの子息。
今、4K8Kと映像の細密化が進んでいますが、この映像を見る限り、ロケーションと映像のアングル、光の使い方のほうが、観る側への説得力に大きなファクトになるような気がします。
3. ハイドン(1732-1809)の四重奏局の愛称「五度」の冒頭の(5度下がっている) と、
4.のモーツァルト(1756-1791)作曲交響曲第25番の冒頭が、モチーフとしてあまりにも似ているので、ネットで調べてみました。
するとやはり、「モーツァルトはハイドンのこの曲を知っていて自分の曲に取り入れたのではないか」という推測が、その筋の人から出されていました。
モーツァルトがハイドンを尊敬していたのは事実で、証拠としてモーツァルトはハイドンへの献呈として「ハイドンセット」の名で6曲からなる室内楽セットを作曲しています。
5. 現代のチェリストのヴィルトオーゾ、ラトビア出身のミーシャ・マイスキーのバッハ無伴奏チェロ組曲
特に個人的に思い入れのある第2番が収録されています。
聴くと、学生の頃に初めて聴いた時を彷彿とさせます。
ひとり静かな夜に聴くと、心拍数が下がり、己と対話できそうな、そんな曲です。
6. 最後は、すでに若くして引退した伝説のオペラ歌手、キャスリーン・バトルの「First Love」つまり初恋
「砂山の砂に—」は石川啄木の詩。ちなみに、島崎藤村の初恋は「まだあげ初めし前髪の—」。
日本語を知らないバトルが、どれほどの思いを込めて歌い上げたかはわかりません。
しかも、beを「ベ」でなく「ビ」と、meを「メ」でなく「ミ」と英語訛りで発音するところもちょっと笑えます。が、さすがに、比類なきこの歌唱力は何度聴いても魅了されます。
では、今年も残り少なくなってきましたが、健やかにお過ごしください。
2024年霜月

まず東北地方の「東北」とは、当然本州の東北部に位置することによる。
ちなみに、中国の東北部も同国の東北部に位置しているため。
まずは青森から。
かつての陸奥国(むつのくに、りくおうのくに)の北部にあたり、この旧地名はその名の通り本州の最北端にある。
県名は、県木であるヒバ(別名あすなろ)が青く見えたから、と勝手に思っていたら、実は、「青い森」と呼ばれかつて海上からの目印になった、現在の青森市本町にあった森から名付けられたそうである。ちなみに、それがヒバの森だったかどうかは不明。
青森県は、下北半島と津軽半島が北に張り出し、両者に囲まれるようにして陸奥湾がある特徴的な形で、そのまま図案化され県章となっている。
まずは津軽から。
津軽とは、かつては「津借」と書き,蝦夷が松前から渡って津(港)を借りて住んだとの説が有力。
弘前は、以前は高岡(あるいは鷹岡=タカが営巣していたことから)と呼ばれていた。改称の理由は定かではないが、北海道への海上交通の要所で土地が広大だったことから「広崎」、それが弘前となったという説や、アイヌ語由来という説もある。
さて、地名ではないが、七夕祭りで有名なねぶた(青森では「ねぶた」、弘前では「ねぷた」)祭り。
名前の由来は諸説あるが、最も有力なものとしては、忙しい夏の農作業の妨げとなる眠気や怠け心を払い除ける「眠り流し」という行事から「ねむた流し」、そして「ねぶた」と転訛したのではないかと言われている。
次に、八戸について。「戸」のつく地名は一戸から九戸まである。これにも諸説あるが有力なものを(ちなみに二戸は岩手県)。
平安時代後期に糠部(ぬかのぶ)と呼ばれた北奥羽地方(青森県東部から岩手県北部)は軍馬の生産地で、糠部の馬は上級馬で,年貢として納められていた。牧場の木戸のあった場所を「戸(へ)」と呼び、それに番号をつけたものが地名として残ったという説。その他、糠部を九つの地区に分け、「戸」は単に「〜地区」の意味という説や,蝦夷(えみし)平定の際に、北上する朝廷側の前進基地(柵戸)があったためという説も。
話は変わり、青森県西部に十二湖と十三湖がある。
十二湖の名は、湖沼の中心にある崩山山頂から見おろすと 12の湖が見えることに由来(実際には30湖以上ある)。
一方の十三湖は、青森県で3番目に大きな湖で、13の河川が流れ込むことからこう名付けられた。12と13で隣り合った数でありながら、名称の根拠が全く異なるところが興味深い。
さて1993年、日本で初めてユネスコ世界遺産に登録された白神山地について。
白神山地が初めて記述として現れるのは、1783年から1829年にかけて書かれた菅江真澄遊覧記にある「白上」「白髪が岳」との表記による。
しかし、白神山地ビジターセンターによると、1980年代の林道建設への反対運動により、白神山地の名が世に広まったといわれている。
さて、その近くの十和田は実はアイヌ語で、「トー・ワタラ=岩の多い湖」が「とわだ」に転訛したと言われている。
次に岩手県。
岩手の名の由来には諸説ある。
まず、「いわて」の「て」は場所を意味する「と」が変化したもので、「岩が多い所」という意味からという説。
次に、「て」はもともと「で=出」で、「岩出で」、つまり「山から出てきた岩によってできた場所」という意味だという説。
また、岩手の地名は名峰岩手山に由来するもので、山の東側に「焼走(やけはし)り溶岩流」と呼ばれるものが残っており、つまり溶岩が流れ出たところから「岩出」となり、その後「岩手」に転化したという説もある。
さらに面白いところでは、昔、村人に悪さをして捕まった「羅刹」(らせつ)という鬼が、もう二度と悪さをしないと誓って岩に手形を残したという言い伝えからというもの。そういえば、岩手県には民話や言い伝えが多く、ことに鬼に関するものが多い。
次に県庁所在地盛岡について。
一説には、1691年に、当時の藩主南部重信と、盛岡城鬼門鎮護の寺院として置かれた真言宗豊山派永福寺第42世、清珊法印との間で交わされた連歌、
「幾春も華の恵みの露やこれ 宝の珠の盛る岡山」
に由来するとされている。
一方、盛岡市を指し示す雅称(風雅な呼び名)に不来方(こずかた)がある。
アイヌ語で、「小谷の上にあるところ」の意「コッ・カ・タ」から転訛したとの説も。一方、先の岩手の語源に出た当地方を荒らしていた鬼「羅刹」が三ツ石の神に捕らえられ、岩に手形を押し、二度と来ないことを誓約したことから「不来方」と命名されたという説もある。後者の説のほうが、「岩手」と「不来方」の語源の関連性が感じられ、興味深い。
さて、日本地名研究所の元所長谷川彰英氏は、この「鬼」は蝦夷(えぞ)を指すのではないかと指摘している。
平安時代の征夷大将軍坂上田村麻呂に由来する、蝦夷討伐のための砦、南から多賀城(たがのき)、志波城(しわのき)、胆沢城(いざわのき)の築城の歴史と地政からみても、この説にはそれなりの説得力がある。
次に、「南部」の地名について。
決して日本、あるいは本州の南部の意味ではない。
南部地方は、青森県東部と岩手県北部から中部、そして秋田県の北部一部にまたがる広大な地域を指すが、この名は、江戸時代にこの土地を領有していた大名の南部氏に由来する。ただそれだけ。期待させてしまい申し訳ない。
変わった地名として相去(あいさり)町がある。相去は北上市にある町名である。北上市は、1991年(平成3年)に和賀郡和賀町と江釣子村が町村合併してできた。ちなみにこの和賀町は、私が学生時代にフィールドワークでお世話になった、のどかで懐かしい町である。
相去町の「相去」とは、寛永年間に、南部藩と伊達藩の領地の境界をはっきりさせようと両藩藩主が申し合わせるが、書状の解釈を巡り揉めて決着せず、結局両者が「相去(あいさ)って」、この地名が生まれたとされている。なかなか曰くのある名前ではないだろうか。
次に吉里吉里(きりきり)は、井上ひさしの小説「吉里吉里人」の舞台とされた場所で、東北本線沿いの宮城県と岩手県との県境付近に設定されている。
が、実はこれは架空の地名であり、岩手県上閉伊郡大槌町にある吉里吉里とは別の場所である。ちなみに、三陸鉄道リアス線には吉里吉里駅がある。
この駅のある大槌町吉里吉里(きりきり)は、キリキリと軋む鳴き砂がその語源とされている。その一方で、アイヌ語で「白い砂浜」を意味するとの説もある。
「大槌」という地名の由来も諸説あるが、最も有力なのが、アイヌ語で「川尻にいつも鮭止め掛ける川」を意味する「オオ・シツ・ウツ・ベツ」が訛って大槌になったという説。
他にも、「遠野上郷大槌町物語」によると、「鬼打ち伝説」と呼ばれる民話があり、それによると、昔、この地に住んでいた鍛冶屋のもとに鬼が現れ、仕事を邪魔するようになった、怒った鍛冶屋は大きな槌と小さな槌で鬼を追い払った、とのこと。そのため、この地には大槌川と小槌川がある。ここでも鬼が出てくる。
ちなみに、大槌町内にある蓬莱島は、NHKで放送された人形劇「ひょっこりひょうたん島」(井上ひさし原作)のモデルといわれている。
岩手県の歌人である石川啄木の故郷「渋民村」。現在は盛岡市北西部に位置する一地区。
この語源はなかなか難解で、解説している文献が見当たらない。
ネットで、やっとそれらしい、説得力のある2説を見つけた。
一つは、アイヌ語の「スプ・タ・アン・ムィ」の転訛で、意味は「渦流・そこに・ある・淵」。
もう一つは、同じくアイヌ語の「スプン・タ・アン・ムィ」の転訛で、意味は「ウグイ・そこに・いる・淵」。 で、どちらもアイヌ語由来。しかも、自然豊かな環境であることも共通。
最後に、謂れのありそうな美しい地名を二つ。
まず「花巻」。
最も美しいのが、このあたりの北上川の水深が深く、渦を巻き、春には水面に花びらが浮かんで美しい風景を見せたことからという説。その他「花の牧」と呼ばれた、名馬を産み出す牧場があったことによるという説、また、川下の開けた土地を意味するアイヌ語からというものや、端の牧場の意味で「端(ナハ)牧」が語源というものなどがある。
次に、「永遠の慈しみ」を意味するような神々しい「久慈」。
ところが、残念ながらこの意味を由来とする謂れは全くない。
アイヌ語で、湾曲した砂丘を意味する「クシュ」あるいは「クジ」を語源とする説。
また、海食でクズ(崩)れた地形が語源とする説も。
その他、言語学者の日置孝次郎氏は、久慈の語源はクジラからと主張している。
ちなみに、茨城県の久慈は古墳時代からの地名だそうである。

そうだったのか語源㊱ —日本の地名 その1 北海道から—
以前、語源⑬で国名の由来について触れたことがあった。
灯台下暗しで、日本の地名についてもっと早くきちんと扱うべきだったと、今更ながら思う。日本人として、自国の地名の由来くらい知っていて損はなかろう。
まずは北の北海道から。
都道府県で、北海道だけ都でも府でも県でもなくなぜ「道」なのか。
「道」とは、律令国家の地方行政の基本区分だったそうである。中国のそれに倣い、日本では7世紀後半に成立した。
当時の都、つまり京都に近い山城、大和、河内、和泉、摂津を畿内(きない)五カ国とし、それ以外を東海道、東山道、北陸道、山陰道、山陽道、南海道、西海道の七道に分けた。これを五畿七道と言った。この「道」は、道=みち以外に、それを含む周辺の広域な地域をも意味していた。ただしこの当時、この「道」の中に北海道は含まれていない。
明治2年(西暦1869年)太政官布告前、北海道は蝦夷が島(えぞがしま)、あるいは蝦夷地(えぞち)と呼ばれていた。「蝦夷」とは華夷(かい)思想に基づく異民族をさす。華夷思想とは中華思想と同意で、中国(=華)が世界の中心で、それ以外を文化の低い夷狄(いてき)とする思想である。
それまで北の国境の意識は薄かったが、当時ロシアの進出を意識し、明治政府より新名称をつけるべきとの意見が上がった。新名称候補として、日高見(ひたかみ)・北加伊(ほっかい)・海北・海島・東北・千島が上がった。
そのうち、北加伊の「加伊」を「海」と変更し、七道で馴染みのあった「道」をつけ、北海道としたそうである。ちなみに「加伊(カイ)」は、アイヌの古い言葉で「この地に生まれた人」という意味があるという。
さて、北海道には常用の音訓読みでは読みにくい地名が多いが、これは北海道の市町村名の約8割がアイヌ語由来のためである。漢字で表記されているものが多いが、これは全くの当て字で、読みは元のアイヌ語に似せているものの漢字自体の意味はない。
よく知られている地名を挙げてみる。
札幌は、アイヌ語の「サッ・ポロ・ペッ=乾いた大きな川」から。小樽は、「オタ・オル・ナイ=砂浜の中を流れる川」、苫小牧は、「ト・マク・オマ・ナイ=沼の奥にある川」、室蘭は、「モ・ルエラニ=小さな下り坂のあるところ」、稚内は「ヤム・ワッカ・ナイ=冷水のある沢」、そして知床は「シレトク、またはシレトコ=地の果て」といった具合だ。
大雑把に言って、「別」「幌」「内」がつくとアイヌ語で川や沢を、「平」は崖を指すようである。
函館について。
室町時代に、津軽の豪族が函館山の北斜面の宇須岸「ウスケシ=『入江の端』『湾内の端』を意味する『ウスケシ』・『ウショロケシ』」に館を築き、その形が箱に似ていることから「函館」と呼ばれるようになったとの説がある。他に、アイヌ語の「ハクチャシ=浅い、砦」に由来するとの説もある。
帯広は、アイヌ語の「オペレペレケプ=川尻がいくつにも裂けているところ」がなまって「オベリベリ」、それが帯広になったと考えられている。
ちょっといわくのある地名に旭川がある。道内札幌に次ぐ人口第二の大都市である。市内を流れる川をアイヌが「チュプペッ」と呼んでいた。これには「忠別」の漢字を当てた(現在も忠別川と呼ばれている)が、意味は「太陽の川」で、意訳すると「日が昇る川」、そしてこの意味を尊重して「旭川」と命名した(1890年)。アイヌ語に由来する北海道の地名としては、漢字が表意である稀なる例である。一方この「ペッ」が川を意味しているので、忠別川は川を意味する字が重複していることになる。
もっとも、利根川を「Tonegawa River」と英訳するのであるから、間違いとは言えまい。
テレビドラマ「北の家族」で脚光をあびるようになった、美しい風景で有名な富良野。
名前の由来は、アイヌ語の「フラヌイ=臭・もつ・所」が転訛したとする説が有力。市を流れる富良野川が硫黄の臭気を含むことによると言われている。
日本では珍しいカタカナで表記されるニセコ。
町を流れる尻別川の支流であるニセコアンベツ川のアイヌ語名「ニセイコアンペッ=絶壁・に向って(峡谷)・いる・川」の前の部分をとったものとされている。
では、なぜ他の地名のように漢字の当て字で表記せず、カタカナで表記されているのか。
明治以降、アイヌ語の漢字化が行われたが、ニセコについてはサロマ湖等と同様、漢字を当てても定着せず、カタカナのままの表記が定着したとされている。
釧路もアイヌ語由来ではあるが、諸説紛々あるため、ここでは割愛させていただく。
さらに、北海道の北にある樺太(からふと=サハリン)は、アイヌ語で「カムイ・カラ・プト・ヤ・モシリ=神が河口に造った島」に由来し、そこから「カラプト」そして「からふと」になったとされている。
樺太の東に広がるオホーツク海。この「オホーツク」はロシア語で「狩猟」を意味し、ロシアのハバロフスク地方にある人口約3000人の小さな町の名に由来する。
返還問題が長年続く北方四島だが、これらの呼び名もアイヌ語に由来している。
歯舞は「ハ・アプ・オマ・イ=流氷が退くと小島がそこにある所」、色丹は「シ・コタン=大きな村」、択捉は「エトゥ・ヲロ・プ=岬のある所」、そして国後は「クンネ・シリ=黒い島→黒い島、あるいはキナ・シリ=草の島」とされている。
最後の国後の当て字は、まさに言い得て妙である。

つい先日は夏日という、2月としては記録的な暖かさでした。
一転して今日は予想最高気温4℃とその差21℃、季節が2、3ヶ月逆戻りしてしまいました。
寒い朝でしたがまだ雨が降っていなかったので7時前に庭に出てみたら、冷え切った空気の中、なんとセミのツクツクホウシが鳴いているではありませんか。
まさか、と思いながら聞いていると、今度はウグイスの鳴き声が聞こえました。ウグイスはまだ季節的には早く、特にこんな寒い日に出てくることは滅多にありません。
声のきこえる方をじっとみてみると、電線に一羽のモズが。
鳴くたびに小さく尾羽が動きます。つまり、声の主はモズだったのです。
モズは獲ったカエルなどを柑橘類やバラなどの棘に刺しておく「早贄=はやにえ」が有名ですが、他の鳥などのモノマネもするんですね。嬉しい発見でした。
それにしても、夏のツクツクホウシの鳴き声を半年過ぎた今でも記憶しているとは驚きです。
そういえば、モズは漢字では「百舌」あるいは「百舌鳥」と書きますが、このものまねの習性に因んでいることに、あらためて合点がいきました。

遅ればせながら、師走のCDコンサートのご報告をします。
師走の—と形容詞はついていますが、今年は11/26(日)の開催でしたから、厳密には、霜月のCDコンサートでした。
ここのところ、新型コロナ、ウクライナ危機、イスラエルとパレスチナの紛争等、人類にとって深刻な出来事が頻発しています。
だからこそ、忙しい中にも皆で集い、それぞれの思いを語りながら音楽を聴く、CDコンサートの意味を改めて感じました。
今回は常連のメンバーに加え、初めての方も2名、計8名であの狭いリビングで開催しました。
ということで、今回のプログラムについて簡単にコメントします。
まずC.P.E.バッハのソナタト短調、これは、遅れての参加の方もあったのであとに回しました。それだけ、ぜひとも聴いて欲しい曲でした。
C.P.E.バッハは1714-1788の生存で、晩年はモーツァルトと被ります。
あの大バッハの次男ですが、本人の名付け親はなんとテレマンです。本人も自分の音楽の師はテレマンと言っています。大バッハとしては何とも複雑な心境だったでしょう。
ともかく、聴いていただければバロックではなく、古典派あるいはロマン派に近いメロディではないでしょうか。そして3楽章全て短調というのはかなり稀有です。
次に武満徹の合唱曲を取り上げました。
武満は偉大な作曲家ではありますが、日本人でもなかなか理解しにくい、あるいは入り込めない作曲家でもあります。が、合唱曲に関してはとても親しみやすく、私は今回の一番のメッセージはウクライナ危機、中東危機で、反戦主義の私としては反戦メッセージとして、「死んだ男の残したものは」を熱くお伝えしました。ちなみに私は最大の自国防衛は外交だと考えています。
さてLaymisは、当県高山村での屋外のコンサートを聴いて、ラテンアメリカのストレートな発声に感動したのでCDに入れました。この感動は、ライブで聴かないと伝われないかもしれませんが。
最後のモーツァルトは、CDコンサートの開催の動機、つまりモーツァルト没後200年の1991が今CDコンサートの開催のきっかけだったので載せました。
以下、プログラムを記載いたします。
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