師走のCDコンサート 2018

12月9日、今年も恒例の師走のCDコンサートを開催しました。

すっかり常連さんばかりになりました。埼玉から参加してくれた親友も3年連続、3回目の参加でした。嬉しい限りです。

今回は参加者が6人と少なかったのですが、少なければ少ないなりの良さもあります。

一番は、私自身に余裕ができ、参加者の一人として音楽が聴けたことです。

さて、今回は「人の声」をメインとしましたが、参加者の歓談が一番の「人の声」でした。

取り上げた曲について、若干説明します。

1.はBDですが、雅叙園の凝ったしつらえとチェンバロの高貴な演奏が素敵でした。

2.は、私もかつて参加していた男性合唱曲の定番である多田武彦のシリーズ「雨」を、大学の男性合唱団の演奏で聴いていただきました。こんな時、日本の四季を実感しますね。

3,は珍しく、というか初めてのチャイコフスキーの曲を取り上げました。

実は、重厚で脂肪たっぷり(失礼)のチャイコの曲は、個人的にはあまり好みではないのですが、アッカルドの演奏が素晴らしかったので、今回取り上げてみました。やはり、あの第一楽章の主題は一度耳にすると、忘れないメロディですね。

4.は個人的に、最近の演歌歌手の中では実力No.1ではないかと思う島津亜矢の、それも演歌ではない曲を取り上げてみました。日本人にしては珍しく金管楽器に近い声質で、中音から高音にかけて線が細くならない素晴らしい歌いっぷりです。

4.は、やはり一曲は入れておきたいモーツァルトです。

27あるピアノ協奏曲のうち、2曲しかない短調の1曲です。

5.は新進気鋭のJ.エーネスのバッハの ヴァイオリン・パルティータのBD画像です。このシャコンヌは絶品です。

これで今年も1年過ごせた、そう思うCDコンサートでした。

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ープログラムー

1.ピエール・アンタイ& スキップ・センペ in 目黒雅叙園(BD)

 ラモー作曲 アンタイ、センペ編曲

   2台のチェンバロのためのシンフォニー

 

2.多田武彦 作品集から

   男声合唱組曲  雨

   雨の来る前  武蔵野の雨  雨の日の遊動円木

   雨 雨  雨の日に見る  雨

                京都産業大学グリークラブ

   石家荘にて 

                慶應義塾ワグネルソサイエティー

 

  1. P.I.チャイコフスキー

   ヴァイオリン協奏曲ニ長調 op.35

         S.アッカルド(Vn)    

         C.デイヴィス指揮    BBC交響楽団

 

4.島津 亜矢(歌)

   I Will Always Love You

   昴  

   聖母たちのララバイ  

   さくら

   秋桜

 

  1. W.A.モーツァルト作曲

   ピアノ協奏曲No.24 ハ短調K 491

         P:E.キーシン  指揮 :K.デイヴィス

         ロンドン交響楽団

 

6.ジェームス・エーネス 無伴奏ヴァイオリンの至芸(BD)

   バッハ作曲 無伴奏ヴァイオリン・パルティータ

       第1番 第2番

そうだったのか語源⑪  -社名について-

さて、今回はこれまでの流れから趣向を変えて、会社名の生い立ちに触れてみたい。

そこには、まず、会社創立に際しての生い立ちと思いの丈が感じられる。

まず日本の会社名において、トヨタ、ホンダ、マツダ等、「○田」と、「田」がつくものが多いが、これは先祖が農民だったことがうかがい知れる。これらの名前には、明治から大正、昭和へと、当時産業革命の流れの中、農業から工業への産業形態の遷移を感じられる。

「スズキ」も創業者の苗字そのものである。

では「ダイハツ」は如何。これがなかなか興味深い。

ダイハツは、わが国で最も歴史の長い量産車メーカーで、大阪工業高等学校、のちの大阪帝国大学工学部(現大阪大学工学部)の研究者を中心に、発動機製造メーカーとして創立された。その後工業化の中、「発動機」を企業名につけるメーカーが次々と出現したため、顧客のほうでどこのメーカーか識別するために「大阪の発動機」と呼称するようになり、いつしか「大阪発動機」、縮めて「大発」つまり「ダイハツ」となったのである。

日産はご存知の通り、かつてのコンツェルンである「日本産業」に由来する。

マツダは創始者の松田重次郎の名前に由来するが、MATSUDAではなくMAZDAである。これは、自動車業界の英知を願って、ゾロアスター教の全知全能の最高神アフラ・マズダー(Ahura=主 Mazda=賢明)にかけて命名している。

ユニークなのは、光学機メーカーである。

「ニコン」は、日本光学工業株式会社から派生した命名である。ちなみに、もともとは光学兵器メーカーである。

「キャノン」は面白い。

観音菩薩の慈悲にあやかりたいとの思いから、当時試作機にKWANON」(カンノン)と命名した。1934年のことである。翌年、世界に通用するカメラメーカーとして社名をCanonとした。面白いのは、現在でも正式な日本語表記は「キャノン」ではなく、「キヤノン」(ヤは大文字)である。

次に、現在社名が「コニカミノルタ」となった、かつての「ミノルタ」に触れてみたい。

「ミノルタ」は創業当時、「Machinery and INstruments OpticaL by TAshima」という英語の文字からとったものとされている。この名は、創業者の田嶋一雄によって名づけられたものであるが、『稔る田(みのるた)』の意味も含んでいるとされている。創業者の母が、「稔るほど頭を垂れる稲穂のように、常に謙虚でありなさい」と言っていたことを肝に銘じておきたかったからとも言われている。なかなかの命名である。

さらに面白いのは「ゼンザブロニカ」であろう。

知る人ぞ知る中判カメラの代名詞であるが、惜しまれつつも2005年に創業47年の歴史に幕を閉じた。

なんだかドイツのメーカーを思わせる社名であるが、れっきとした日本のメーカーである。

創業者は吉野善三郎。

彼の善三郎という名前と、ブローニーフィルム(中判カメラ用のフィルムの総称)を懸けて、「ZENZABRONICA」と命名した。

昨今知的財産の海外流出等が問題となっているシャープについて。

1915年、金属製の繰り出し鉛筆を開発した。その名はシャープペンシル。社名は一世風靡したこの自社製品の名に由来している。

ゲーム機のメーカーでは、セガとバンダイ、任天堂が面白い。

セガは、旧社名を「サービス ゲームズ ジャパン株式会社」といった。やや長く、覚えにくい名前である。そこで、Service Gamesの2文字ずつをとってSEGA=セガとした。

バンダイは、中国の兵法書の「永久に変わらないもの」を意味する「萬代不易(ばんだいふえき)」から命名したものとされている。

一方任天堂は、三代目社長が、「人生一寸先が闇、運は天に任せ、与えられた仕事に全力で取り組む」という社是を掲げたことに由来するとされている。

分野は違うが、資生堂の名は、中国の古典から引用しているそうで、「至哉坤元 萬物資生」がそれであるが、これは難しい。

「大地の徳はなんとすばらしいものであろう。全てのものはここから生まれる」という意味だそう。

これに比べて三省堂はわかりやすく、中国の論語の「吾日三省吾身」で、「私は日に三度我が身を振り返る」に由来しているそうである。

私は携帯を持たない人間であるが、ドコモはDo Communications Over The Mobile Networkの頭文字でできている。

決して「何処も」ではないのだが、日本人なら無意識にそう思い込むだろう。うまい命名である。

最後に、歯科関係者は誰もが知っているGCというメーカーについて触れておこう。

今でこそ、歯科器材メーカーとしてメジャーとなっているが、これはもともと東京池袋の化学研究所がその前身となっている。GCとは、General Chemistry(総合化学といった意味か)の頭文字をとったものである。ある年齢以上の歯科関係者は「而至」(ジーシーと読む)という社名を見たことがあると思う。

これは戦時中、敵国の言語である英語の使用を避けた際に、而至化学研究所という社名を使用したことの名残りであるが、戦後も長く使用されていたところを見ると、この会社が漢字のこの名前を気に入っていたのではないかと想像される。

企業の社名も、企業時の創業者の思い入れが偲べてこれまた興味深い。

(群馬県保険医協会歯科版掲載のための原稿)

 

蓼科の秋

10月下旬、蓼科にとんぼ返りで出かけました。

予報では雨と、あいにくの天気のはずが、いざ出かけてみたら小春日和に恵まれました。さすがに信州の山々となると、朝晩の冷え込みは平地とは比べものにならないほどでした。

その陽気のせいでしょうか、紅葉は言いようもなく華やかでした。

関東の平地では、紅葉はよく見ると鮮やかではなく、ややくすんで見えるものです。

ところが蓼科では、花のように鮮やかなのです。長い冬の前に一花、といったところでしょうか。

もうじき、初雪の便りも聞かれることでしょう。

(右はドウダンツツジ)

 

そうだったのか!語源⑩  −常用の外来語 その2− アナログとデジタル

これらの言葉は、すっかり日常生活に溶け込んで、日本語で説明するほうがずっと困難ではなかろうか。

デジタルという言葉が最初に日本で使われたのは、私のつたない記憶では腕時計だったような気がするが定かではない。

それまで時計といえば、長針と短針、さらに秒針が文字盤の中央の同軸上で回転して、それぞれ分と時間、秒を針の先端が指し示すものだった(言葉で表現するとややこしい)。1970年、世界初のデジタル腕時計が発売され、その後液晶表示になりあっという間に流布した。

一方アナログという言葉は、デジタルの登場によってそれに対比した形で使われるようになった。事実、それまでは針表示の時計をあえてアナログ時計とは呼ばなかった。

かような経緯のせいか、アナログが古くデジタルが新しいといった感覚が多分にあるようだが、元来の意味はかなり異なる。

analogはanalogyという英語から派生した言葉である。analogyには、類似や相似、類推といった意味がある。さらにその元となったギリシャ語のαναλογίαは比例という意味だとか。

この、そもそもの言葉の源である「比例」の意味に着目してみたい。

ここでいう「比例」とは、数学で用いる正比例などの比例とは異なる。

ここでは、ある物の状態を逐一別のある物で表示することを指す。逐一なので全ては連続して表示される。

つまりアナログとは、連続したもの(の変化)を他の連続した量で表示することである。

時計を例にすると、連続した時間の変化を連続した針の動き(角度)で表示する。

また温度計なら、連続した温度の変化を連続的に増減するアルコールの量(目盛りの値)で表示する、といった具合に。

一方のデジタルとは如何に。

まずdigitalだが、digital量は離散量と訳され、とびとびの値しかない量を指す。

そのもとのdigitとは、アラビア数字つまり整数を表すが、もともとは指という意味だった。

digitalis=ジギタリスという多年草をご存知の方も多いと思う。夏に鐘状花と呼ばれる釣鐘状の小さな花をたくさんつける。この花の形が指サックに似ていることから、digitという表現が使われた。

その指がデジタルとどう関係するのか。

数を数えるときに、古今東西を問わず、指を折るという習慣があるようだ。

「指折り数えて待つ」などという表現もある。

ちなみに、人間の指が通常左右で合計10本だったことが十進法の普及につながったという説もある。

つまりデジタルとは、ある物の状態を数字(整数)で表現したものをいう。

ちなみに、アナログはこれを実数で表示したものともいえる。

別の表現を使うと、アナログの小数点以下を四捨五入して一の位で表現したものがデジタルである(もちろん、小数点以下2位を四捨五入して、小数点以下1位で表現することもありうるが、いずれにしてもそれは実数ではない)。

整数は実数ではないので、たとえばアナログで、

1.2  1.3  1.4  1.6  1.8 と変化したものはデジタルではそれぞれ、

1    1    1    2    2   と表現される。

 

蛇足ながら、digitalの正確な日本語表記は「ディジタル」だが、我々日本人にはすこぶる発音しにくいので、通用表記として「デジタル」になったと思われる。

そういえば、Disney はかつての日本では、圧倒的に「ディズニー」でなく「デズニー」と発音する人が多かったし、Dieselも「ディーゼル」でなく「ジーゼル」だった。

近い将来、「デジタル」と発音すると若者との世代の差を感じるようになるかもしれない。

(群馬県保険医協会歯科版掲載のための原稿)

ヒイラギモクセイ

昨日の日曜日、台風25号の置き土産でしょうか、前橋でも季節外れの真夏日になり、親戚の告別式での参列者の喪服はいささか暑そうに見えました。

前回、ギンモクセイに触れましたが、ここ数日、我が家の庭先でもバニラのような甘い香りが漂っています。お隣さんのギンモクセイかと思っていましたが、なんと我が家のヒイラギモクセイの花の香りでした。

それもそのはず、調べてみたら、ヒイラギモクセイはギンモクセイとヒイラギとの交配種だそうで、香りはギンモクセイそっくりです。

葉の棘もヒイラギほどには固くなく、生垣によく利用されるそうです。我が家では、玄関へのアプローチ脇に庭木として植えられています。

まさに灯台下暗し。

ちなみにこの灯台とは海岸にある灯台ではなく、灯明台といって燭台や行灯に近い部屋の照明器具を指します。蛇足でした。

銀木犀(ギンモクセイ)

「—金木犀の咲く道を—」

キンモクセイの香りは秋本番の象徴のようで、思わず深呼吸したくなりますね。

以前はちょうど10月の運動会の頃、子供達の歓声とともに1週間ほど香ったものですが、最近は温暖化のせいかやや早くなったように感じます。

今年は、9月二十日頃から香り始めたと思います。

写真はお隣のギンモクセイで、高さ5〜6mの大木です。

キンモクセイは、ギンモクセイの変種だそうですが、いまやキンモクセイのほうが主流になってしまった感があります。

キンモクセイの花はオレンジ色ですが、こちらはクリーム色がかった白です。

キンモクセイの強く甘い香りに対して、こちらのそれは甘さを感じるもののややしとやかな香りです。個人的には神々しささえ感じます。

ちなみに、木犀(モクセイ)とは、その樹皮がサイ(犀)の皮膚の感じに似ているからとか。

時計の修理

診療室のクォーツの掛け時計が、日に10分以上進むようになりました。

左がその時計で、別段高価なものでもなかったのですが、木目の温かみが気に入っていたのと、廃棄することへの罪悪感から、修理できないものかとネットで調べてみました。

すると、ムーヴメント(機械の部分)の交換ができることを知りました。

なかには、ムーヴメント自体を直してしまうプロ顔負けの方もいるようです。

とにかく、これまたネットにて、同じサイズのものを探し交換してみました(サイズと、針を固定する軸の形状と長さが大事です)。

右が外したムーヴメントです。外す際、マイナスドライバーでちょっとこじるようにするのと、針の順番と表裏を間違えないように注意することくらいでしょうか、意外に簡単に交換でき、正常に正確に作動しました。締めて2000円弱。

こんなことでも、なんとなく嬉しいものです。

 

「そうだったのか!語源」⑨  常用の外来語

今回は、頻繁に使う常用の外来語について考察してみたい。

さて、マニュアルと聞いて真っ先に連想するのは、取扱説明書、指導書、手引(書)という意味合いで使う場合と、自動車のオートマ(オートマチック)に対するマニュアルという使い方ではないだろうか。

マニュアル=manualのmanu-はラテン語のmanusが起源で、手や指を表すことばである。

前者の意味はどこから来るのか。

Concise Oxford English Dictionary(以下、COED)には、manualの訳のひとつに、

[a book giving instructions or informations]

とある。

これから類推するに、指導書あるいは解説書というのが元の意味に近いと考えられる。

仮にmanualに「手で持てるくらいの」という意味があるのなら、bookの前にhandy あるいはsmallといった形容詞があってもよいはずである。

ちなみに、手帳は英語では notebook あるいは pocket book という。

つまりこの場合のmanualには、指導、指南といった意味合いが強く、日本語の指と同義で「(指で)指し示すもの」を表していると考えるのが妥当ではなかろうか。

次に、後者の自動車のマニュアルは文字通り、manual transmissionの略で、手動の変速機のことである。

ちなみにtransmissionには、厳密には日本語の「変速機」という意味はない。

trans-は、「越えて」「横切って」「別の場所へ」という意味があり、missionは「伝える」という意味がある。

例として、transport=輸送(別の場所へ運ぶ))、TPP=Trans-Pacific PartnershipやTransam=trans American(アメリカ大陸縦断)等がある。

ちなみにmissionは「伝える」という意味で、transmissionは直訳すれば、「エンジンの動力をそこから離れたタイヤに伝える装置」ということになる。

ミッションスクールとは、キリスト教団体が異教世界でのキリスト教布教(伝える)のために設立した教育施設をさす。

マニュスクリプト=manuscriptは原稿という意味もあるが、文字通り訳せば手書きということになる。

マニキュア=manicureは手(や爪)の手入れ、 manufactureはもともと工場制手工業を指した。

我々に関係するものとしては、医療廃棄部処理の際に必要となるマニフェスト=manifestoがある。母音で終わっていることからも推測できるように、もともとはイタリア語で、「手で打つ」という意味だった。それが「手で感じられるほど明らかな」という意味に派生し、「はっきり示す」となり、声明(文)、宣言(文)を意味するようになった。

余談だが、足に関係するものにはped-が使われることが多い。

pedal=ペダル、pedicure=ペディキュア、pedestrian=歩行者用の(例、ペデストリアンデッキ)、pedller=行商人といった具合に。

さて以前、⑤でAED=Automated External Defibrillator について少し触れたことがある。

今回は、automaticとこのautomatedの違いについて考えてみたい。

日本人にはわかりにくい違いではないだろうか。

私も調べるまでは、AEDのAはなぜautomaticではないのかと疑問に思っていた。それゆえ今回調べるきっかけとなった。まさに無知は知なり。

automaticについて、COEDには、次のような説明が記載されている。

  1. (of a device or process)working by itself with little or no direct human control.

2.done or occurring without conscious thought.

1.→(装置やプロセスにおいて)人間によるコントロールが全くないかごく少ない

2.→無意識化で行なわれる動作や事柄

これらから、日本語で一般的に言うところの「自動」、あるいは「無意識」「自然な」といった意味が近いと思われる。

一方のautomatedは、「(工場、工程が)オートメーション化された」という意味合いが強く、機械により制御、コントロールされているもの、あるいは状態を指している。つまり、あくまでもあるプロセスにおいての機械による自動化である。

次のような表現が実際あるかどうかは定かではないが、automatic smileは自然な(無意識な)微笑みだが、automated smileは機械によって作られた微笑みで、ニュアンスは随分違ってくる。

したがって、AEDはあくまでも機械がそのプロセスを制御している装置であり、すべて自動でやってくれるものではないと捉えるのが妥当であろう。実際、周囲の環境や機械の設置,整備(水分を排除するとか)は人が行わなければならない。

昨今、自動車の自動運転化が急速に進みつつあるが、少なくとも現時点ではそれはautomatedの領域であり、真のautomaticになるにはまだまだ技術進歩のための時間が必要であろう。

そもそも、自動車の「自動」とは、自ら動く車という意味である。かつて動物や人力で動いた移動手段が、クルマ自らの動力で動いたためにこの自動車という名前が生まれたわけである。automaticとは程遠いものである。

(群馬県保険医協会歯科版掲載のための原稿)

酷暑に咲く花

今年の夏は、とにかく酷暑の日が人間の忍耐を試すかのごとく続きます。

ただここ2、3日、朝晩の気温が20℃以下になり、猛烈な暑さの夏も少し出口が見えてきました。人間って、先の見通しがつくと現実の厳しさにも耐えられるんですね。

人間のみならず、草花も試練に耐えています。

そんな中、健気にも咲き誇っている花たちをご紹介します。

真夏のバラ、これは結構貴重です。

赤い花はラ・マルセイエーズ、かなり以前にもご紹介しましたが、私見ですが最もバラらしいバラです。夏の花はやや小ぶりですが、それでも元気をくれます。実は親株は5年ほど前に枯れてしまったのですが、たまたま挿し木にしておいたいわば子株が元気に育っています。

今月下旬には、バラは夏の剪定が待っています。

もうひとつの白い花は睡蓮、別名ヒツジグサです。

夏の未(ひつじ)の刻(13時から15時)に花を開くのでこの名前が付いています。

ベランダの睡蓮鉢に咲いていて、酷暑の中でも目に涼を運んでくれます。

「そうだったのか!語源」⑧   ー病名ー

今回は病名について触れてみたい。

 

  • 卒中

「卒」と[中]が結びついた言葉。

まず「卒」だが、「衣」と「十」から出来た漢字で、はっぴのような上着を着

て、十人ごとに一隊になって引率される雑兵や小者を表すとされている。小さいものという意味もある。一方、「にわかに」という意味もあるが、これは「猝」に当てたもので、にわか、すみやか、突然という意味をもっている。

また、小さくまとめて引き締めるという意味から、最後に締めくくるという意味となり、「終わり」の意味を派生したと言われている。「卒業」はこの例である。

やや話が長くなったが、卒中の場合、実は「にわかに」「突然」の意味で用いられている。卒倒はその一例である。

では「中」とはいかに。

これは元々象形文字で、旗ざおを枠の真ん中につき通した状態を表現したもので、真ん中の意味とともに真ん中を突き通す意味も含む。「中る」と書いて、「あたる」と読む。

つまり、的の中心を突き通すという意味、つまり「あたる」という意味がある。

「命中」「的中」などはこの用法である。

したがって、卒中とは、「突然起こる(あたる)」という意味の病名である。

もともとは卒中風(そっちゅうぶう、そっちゅうふう)の略とされ、「中風」「中気」とは、風など外界からの刺激にまともにあてられた病気という意味である。

最近よく耳にする熱中症も、熱に中る(あたる)という意味かと考えられる。

蛇足だが、中毒も、小毒と大毒の中間だから中毒というわけではなく、毒に中る(あたる)という意味である。

 

 

  • 結核

結核菌が体内に入ったとしても、必ずしも感染するわけではない。

多くの場合、マクロファージ等の免疫により排除されるが、ときに菌が体内にしぶとく残ることがある。その場合、免疫機能により、結核菌を取り囲み、「核」を作る。結核の名は、ここから来ている。

ところで、結核は英語でtuberculosis、略語でTB(「テーベー」は独語読み)という。

tubercul-は、ラテン語のtuberculm=芋から派生していると考えられる。

解剖用語では結節である。結節も、芋のように「ころん」としている塊りのイメージがあったのだろう。つまり、ぎゅっと凝縮されたもののイメージがtuberculmと考えられる。ここまでくると、ターヘル・アナトミアの世界に近い。

ちなみに、ツベルクリン(tuberculin)は、結核診断用の注射液。

 

  • インフルエンザ(influenza)

ご存知の通り、インフルエンザウィルスによって引き起こされる急性感染症で、日本語では流行性感冒と訳される。感冒とはその名の通り、感染して冒されるという意味で、なかなかの名訳だと思う。

ところで、influenzaという病名は、16世紀のイタリアでつけられた。英語のinfluence=影響、感作、感応と同源である。感冒と感作に同じ「感」の字があるので、やはり感染の意味からできた言葉かと思っていたら、どうもそうではないらしい。

インフルエンザは、毎年冬になると決まって流行し、春を迎える頃になると終息する。

そこで当時の占星術師らは、インフルエンザは、天体の動きや気象上の寒気の影響によって発生、終息すると考え、影響を意味するinfluenzaを当てたとする説が最も説得力がある。

 

  • 梗塞

国語的には、塞がって通じなくなることをいう。

医学的には、動脈が塞がることによって、その流域下の組織に壊死が起こることをいう。

「梗」には、芯になる硬い棒や芯のあるとげの意味があります。この「硬い」や「棒」というのが何を指すのか、勉強不足で分かりかねる。あくまで想像だが、「血栓」「塞栓」というと血液の塊という具体的なイメージが読み取れるが、「梗塞」には「栓」という具体的ものがない。したがって「梗」は棒状のもの、つまり血管を指すのかもしれない。あるいはやはり、芯のような「塞いだ物」を表している可能性も否定できない。

 

  • 麻痺

神経機構、あるいは筋機構の障害によって、部分的な運動機能が喪失、あるいは低下する状態を指す。

「麻」は、大麻、亜麻、黄麻等の総称。大麻は麻薬成分を含み、ここから「しびれる」という意味を持つようになり、「麻薬」「麻酔」「麻痺」といった言葉が生まれた。

「痺」は訓読みで「痺れる=しびれる」と読む。

したがって、「麻痺」は同義語の熟語である。

 

  • 不全

字のごとく、全うしないこと、きちんと機能しないこと。不全の前には器官等の部位あるいは機能が表示され、それが悪化した結果が「○○不全」となる。

 

・ 突発性 (とっぱつせい)とは、突然発症すること。

ex,突発性難聴 突発性発疹

特発性(とくはつせい)は、特定の原因が見つからないのに発症すること。  「原因不明な」を意味するidiopathicの日本語訳である。

ex,特発性心筋症 特発性癲癇