ラ・マルセイエーズ

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一昨年、挿し木をしたバラ「ラ・マルセイエーズ」が春に続き、晩秋のいま、立派な花を咲かせました。

本当はいま咲かせない方が来春さらに立派な花や株の成長が期待できるんでしょうが、待ちきれませんね。

この季節のバラは花もちがよく、1週間くらいは咲いていてくれます。

この深紅の1輪は世話をした私へのご褒美でしょうか。

医療研究フォーラム2015

医療研究フォーラム 清水先生発表(全体像) (1)

10月11日、保険医団体連合会(保団連)主催の医療研究フォーラムで、久しぶりに発表してきました。

前日の記念講演では、俳優の宝田明さんが、「戦後70年一人間として言うべきこと」と題し、自らの体験を通じ反戦への思いを語ってくださったのですが、残念ながら聴講できませんでした。サイン会での宝田さんをちらっとお見受けしましたが、やはりカッコよかったですね。

一方で宝田さんは、ちょっと前のNHKでのやり取りを鑑みるに、俳優人生を棒に振ってでもこれだけは社会に訴えなければならないという、一種使命感で今回講演を承諾したのではないかと思います。立派です。

さて私の話に戻りますが、以前は毎年この会での発表を心がけてきましたが、後進への機会提供という思いもあり、ここ数年ご無沙汰していました。

しかし、日常診療の中で何か発表しようという意識でいることは、マンネリ化対策として大事だと思います。

私は、第3分科会「歯科診療の研究と工夫」で、皆さん学術的かつシリアスな発表の多い中、「還暦を迎え、とりあえずあと10年充実した診療を続けるために」という、ちょっと文学的(?)な緊張感を和らげる(緊張感を欠いた)発表を行ってきました。

学会というと、ミクロ的な、現代風にいうとオタク的な発表が多いのですが、私はこのフォーラムのような雑多な発表のある人間的な研究会が好きです。

科学は現実に向き合ってのみ、価値があると思うからです。

おかげで質問もたくさん頂き、結果的にとても気持ちよく発表できました。

また、たくさんの方々の有意義な発表も聞けて、実り多い時間を過ごせました。

(写真は私の発表風景です)

夏咲きのカトレア

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シルバーウィーク中に、夏咲きのカトレアが一斉に開花しました。

その名も、ハワイアンウェディングソング”バージン”。

買ってきてからもう10年以上経ちます。

どんどん殖えるので、株分けを繰り返し、もう6株になりました。

褒めてくれる方にもお分けしました。

写真の株は、1つのシースに6輪の花をつけました。

実はこの花、カトレアにしては珍しくすごく香りがいいんです。

待合室に1株あるだけで、部屋中甘い香りでいっぱいになります。

来年も咲いてくれますように。

 

 

ワインのこと

 

ついこの間までの猛暑が嘘のように、涼しい風が吹き始めました。

診療室の子供たちも、新学期を目前に心なしかその表情に緊張感がうかがえます。

さて、飲兵衛の私に、群馬県保険医協会から「酒にまつわるエピソード」というテーマで原稿依頼がありました。

独断偏見OKとのことなので、早速原稿をしたためました。

政治的なものとは違い、趣味についての御託は語るほうも結構楽しんでいます。

以下がその原稿です。 よかったら読んでください。

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偏見に満ちたワイン考

 

いつ頃だったろうか、私がワインに憑かれてしまったのは。

それまでは、「飲む」といえばビールだった。

若い頃は、自分の体のどこにビールの貯蔵庫があるのかと思うくらい、不思議と飲めた。そして旨かった。

ところが、ある歳を境ににわかにビールの許容量が激減した。

それとともに、酒をゆっくり味わってみたいと思うようになった。

飲兵衛の性とはこういう正当性を主張するのだから始末が悪い。

ところが、いまだかつて日本酒を美味いと思って飲んだことはなかった。正確に言うと、一度だけあった。久保田の万寿という代物を飲んで、「これはワインのようだ」と感じたことがあったが、お足のほうがべら棒に高かった。じゃ、ワインでいいんじゃないの、と思ったのがことの始まりだったろうか。酔っていたのでそれもよく覚えていない。

白は口当たりがいいのでグイグイいってしまう。特にリースリング等、ドイツワインなどにハマったら翌日二日酔いは確実。

今では真夏以外、白はほとんど飲まなくなった(真夏の白は最高、それもシャブリなど辛口が)。

一方の赤ワインは、味以外に香りと色が楽しめ、「酒との語らい」を満喫できる。仕事を終え、1日の反省(?)をしながらグラスを傾ける、まさに至福のひと時である。

赤を飲み始めた頃は、色鮮やかなイタリアのキャンティが口に合った。ぶどうはサンジョベーゼ。それもかなり冷やして飲んでいた覚えがある。

そのうち徐々にボルドーの渋さに傾いていった。ちなみにブルゴーニュは残念ながら酸味が好みに合わない。

持論だが、赤は常温で飲むに限る。そのほうがまろやかな味になり、何より香りが豊かになるからだ。私の場合、ワインの評価はその2/3は香りで決まる。

また、ほぼ毎晩赤を飲む私にとって、高価なワインは当然その対象から外れる。

現在のmy favorite winesの代表をご紹介する(2000円台で購入可能)。

初めてのワインを口にする時、無意識にこれらと比べている。

あくまでも主観なのであしからず(味の深みと香りの豊かさが決め手)。

 

  • レーベンスウッド ジンファンデル ソノマカウンティ(あるいはナパバレー):カリフォルニア産

ジンファンデルは産地違いでイタリアのプリミティーボと同種のぶどう。このワインは2008年のノーベル平和賞の公式晩餐会で使われたことで有名。香りが高貴で味は濃厚。

  • シャトー モン・ペラ・ルージュ:ボルドー産

ワインを扱った漫画「神の雫」で取り上げられて一躍有名になったワイン(ちなみに私はこの本を読んだことはない)。

メルロー主体で、カベルネソーヴィニヨンetc.とか。

甘い香り。抜栓してからしばらく時間を置くか、あるいはデキャンタージュしたほうが味わいが豊かになる。

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真夏のベランダ

 

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「猛暑」だけで異常な暑さなのに、「異常な猛暑」などといった、日本語としてもちょっとおかしな表現がされるほどの状態が続いています。

そんな暑さの中、ベランダのバラはけなげに花を咲かせています。もちろん、春のように「咲き乱れる」というほどの咲き方ではありませんが、決して暑さに強くないバラが、まるで夏を謳歌しているようです。

右奥の赤いのが昨年から育てているラデュレ、中央奥の白がグラステン、手前の黄色がレモン&ジンジャー、そして左上がコンフィダンスです。

安保法案と報道規制

猛暑が続く中、今月で終戦から70年を迎えました。

長崎原爆の日に、長崎市長も平和宣言の中で、安保法案に対し危機感をもったコメントをしていました。

今後の日本の安全にとって非常に重要なことなので、以下の文章は、「読用薬」の「雑感、その他」にも掲載しました。

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7月16日、安保法案が衆議院を通過しました。

ここのところ、与党が議会で絶対多数を占めるというのはこういうことかと実感する出来事が立て続けに起きています。

内外の情勢もここにきて、隣国との関係悪化、防衛法案の整備、報道規制等、なにやらきな臭い動きを感じます。

まず、4月のNHKとテレビ朝日の報道番組で、「やらせ」や政治的圧力があったとされる問題に対する政府の反応について。

自民党は、4月17日の党情報通信戦略調査会にテレビ朝日とNHKの幹部を呼び、報道番組の内容について事情を聴取しました。

45分間にわたったとされるこの日の会合で、多重債務者による詐欺を取り上げた番組「クローズアップ現代」でのやらせが指摘されたNHKへの聴取はわずか10分で、大半は政権批判の内容が問題視されたテレビ朝日への質疑に費やされました。

NHKへの聴取は落語でいうところの「前座」で、政府への批判に対するテレビ朝日への「介入」の口実ではなかったでしょうか。

とりわけ問題なのは、政府が「放送倫理・番組向上機構」(以下、BPO)への関与を検討しているという事実です。

事情聴取の同日、NHKと日本民間放送連盟でつくるBPOについて、政府が関与する仕組みの創設を含めて、組織のあり方を検討する方針を固めました。

これは、明らかに民主主義に対する権力の攻撃です。

番組の内容などの問題点を検証するBPOに政府が関わることには、当然のことながら識者らの間でも批判が出ています。

最近では、フランスの週刊新聞シャルリー・エブドへのテロ攻撃は記憶に新しいところです。

イスラム教信者の心を逆なでする風刺画については、個人的には一考の余地があるのではないかと思います。

しかし、ジャーナリスト自らの報道の自由は保障されるべきではないでしょうか。

仮に、テレビ朝日のコメンテーターによる政府批判の根拠が事実無根であるなら、政府は対象のマスコミに抗議すればよいだけのことです。

そもそも報道とは、国民の知る権利に奉仕するためのものです。

報道機関の活動は、国民の日本国憲法第21条の「知る権利」を充足させるのに重要な役割を果たすことから、事実の報道の自由は、表現の自由を規定した憲法21条の保障のもとにあるとされています。

報道は社会的に非常に大きな力をもっており、「立法」「行政」「司法」の3つの権力にこの「報道機関」を加え、「第四権力」とも表現されています。

報道は、我々国民が事象を考察するための材料そのものなのです。

そのためにも、報道機関は政府=国家権力から独立した存在であらねばならず、間違っても政府の広報機関であってはならないのです。

報道倫理について、Wikipediaでは以下のように述べられています。

「報道の自由、言論の自由を含む、政府からの表現の自由は民主主義の基本原則の一つであり、近代憲法の中で共通の権利として保障されている。

このように民主主義国では、政府の干渉からプレスの自由は強く守られているが、記事を入手するために記者がやってよいことには道義的制約が課せられている。プレスの自由の原則から、表現や報道の規制はできる限り法律ではなく、ジャーナリストが自主的に決めた倫理基準によって行われるべきだと考えられている。また、ジャーナリズムの主要な役割に『権力の監視』があり、監視の対象である国家権力にルールの制定・運用を委ねることは不適切でもある。」

自由を認めながらも、ここまで自主規制しているのです。

民主主義の観点から、秀逸な文言と言えましょう。

政府の目を気にしながらの報道には、我々日本人は暗く不幸な経験があります。

かつての第二次大戦前夜、当時の軍事政府は報道規制、言論統制を行いました。戦中もマスコミを通じ、政府による操作された情報のみを国民に流しました。同時に、政府の方針に異議を唱えることすらはばかられる翼賛体制を敷き、暗黒の時代は終戦まで続いたのです。

この間に、国民は肉親や友、恋人、そして財産をも失いました。

我々日本人はこの不幸な体験を忘れてはなりません。

国民の知る権利に資するという報道の第一義的な精神、そのような気概が報道機関にあるのか、いや、そういった報道こそをよしとする風土が日本にあるのか、いままさにここが問われています。

一方で、隣国との関係悪化により生じた危機感から、自衛隊の武力行使の範囲拡大のため、政府による法整備が着々と進められています。

4月29日、安倍首相はアメリカ議会での演説で、安保法制の関連法案成立を「夏までに必ず実現する」と約束しました。

野党からは、これから国会で議論する、しかもまだ法案として提出されていないことを他国の議会で約束をしてくるというのは、まさに国家の代表としてあるまじき発言だ、との批判が続出しました。当然でしょう。

そして、5月14日安保法制が閣議決定されましたが、この間、与党協議の内容は一切公開されていません。

これは、情報の密室化であり、まさに国会軽視、国民不在の政治運営です。

一連の動きから察するに、マスコミへの圧力に関しても、本法案の早期成立のために批判や反対意見を押さえつけようとする政府の意図が見てとれます。

国会審議前の世論調査では、国民の過半数が法案に反対しているのです。

そして5月26日、法案は衆院本会議で審議入りしました。

重大な法案だけに、充分時間をかけ賢明な結論を導くべきだと考えますが、現政権は会期を延長してまで本法案の早期成立に躍起となっています。

この間の日本政府の行動は、隣国には緊張感を煽るような態度をとりながら、アメリカの要求には無条件で快諾する、まさにアメリカの傀儡(かいらい)政権のようです。

本法案が成立するなら、これは日本国憲法成立以来の危機です。

アメリカは20世紀以来、世界の多くの戦争、紛争に関与しています。そして、イラク戦争等、曖昧な根拠を口実に攻撃を始めた経緯もあります。

イラク戦争のとき、当時の小泉政権はアメリカのイラク攻撃に対し、即座に賛同しました。結果として多くの人命が犠牲となりましたが、その一方で、参戦の大義であった大量破壊兵器の存在はついぞ確認されませんでした。そしてこの総括はいまだされていません。

集団的自衛権の名の下に他国と軍事協定を結べば、たとえ国民が納得する大義がなくても紛争に巻き込まれる可能性が増大します。

衆院特別委員会での政府の答弁では、防衛相と首相とで「リスクは増えない」「リスクはもとより覚悟」といった、あきれるほどの見解の相違がみられます。野党の質問に対しても、「解釈の仕方」に終始しています。いろんな解釈が可能だということは欠陥法案である証拠です。こんな曖昧な法案により自衛隊や国民が危険に晒されるとしたらたまったものではありません。

首相は法案を正当化するために、さかんに「抑止力」という言葉を用いています。

戦後70年の日本の歩みを見れば、「日本は武器を使わない国」という評価も大きな抑止力となるはずです。日本ができる国際貢献は武力以外にもたくさんあり、現に実行しています。

先の米議会での演説の中で、首相は「積極的平和主義」という言葉を幾度となく発しました。この言葉を意のまま解すなら、武器を持たずに行う平和や発展、復興のための支援がまさに日本に求められる貢献であり、首相が改憲のターゲットとしている憲法9条こそ守るべきではないでしょうか。

あくまで私見ですが、私は常々「外交こそ最大の防衛」と考えています。

私は、医療人として戦争には二つの理由で絶対反対です。

ひとつは、戦争は多くの人命を奪う大量殺戮であること、そしてもうひとつは、戦費捻出のため医療費の削減が必ず起こることです。

6月4日の衆議院憲法審査会では、出席した立場の異なる3憲法学者からいずれも「集団的自衛権の行使は違憲」との見解が示されました。そして、172名の憲法学者が「安保関連法案に反対し、そのすみやかな廃案を求める憲法研究者の声明」を発表しました。

それでも政府側は、違憲との指摘は当たらないと頑なな姿勢を崩していません。

ここであらためて政府には、フランスの哲学者、ヴォルテールの名言を送ります。

「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」

(この文章は、群馬県保険医新聞7月号「論壇」のための原稿に加筆したものです)

梅雨入り

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関東は先週梅雨入りしました。

ほぼ例年通りといったところでしょうか。

梅雨と聞くとそれだけでジメジメした鬱陶しいイメージがありますが、実際にはそれほど雨ばかり降っているわけではないようです。

「梅雨の晴れ間」という言葉通り、晴天の日も結構あるようです。

また、雨に濡れた木々や草花は緑が深く映え、生き生きと見えるものです。

梅雨の間も楽しんで暮らしたいものです。

写真は駐車場脇のラベンダーとアジサイ。

苦土石灰を撒いたせいか、例年よりアジサイが赤く咲いているようです。

緑の丘(東北大学 校友歌)

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母校の東北大学出身のシンガーソングライター、小田和正氏が、学長の「歌で東北を元気にしてほしい」というリクエストに応え、昨年校友歌を母校に寄贈してくれた。

その名は「緑の丘」。

学生生協のみの販売なので、仙台在住の学生時代の同級生K君にお願いして、そのCDを送ってもらった。

小田氏自身の歌唱のほか、東北大混声合唱団のコーラス、ピアノ演奏等が収録されている。

優しいメロディに仙台の地名がちりばめられていて、学生時代の思い出が蘇ってきた。

決して気分の高揚を誘う曲ではないが、それだけに自然に心に染み入り、仙台の風を感じた。

あらためて、歌ってすごい力をもっていると実感した。K君、わざわざ学生生協まで足を運んでくれてありがとう。

今年の「師走のCDコンサート」では、ぜひこのCDも参加者の皆さんにご紹介したい。

緑の丘 You Tube:https://www.youtube.com/watch?v=7Ueb69MUAS4

小池議員とツーショット

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5月10日(日)、保険医団体連合会関東ブロック主催の、国会の見学会と議員との懇親会に、群馬県保険医協会を代表(?)して参加してきました。

最近では、小中学校で国会見学を実施するところも多いようですが、実は私、今回が初体験でした。

国会は確かに立派で重厚な建物ですが、そこで議論されている内容は果たしてその器に恥じないものなのだろうか、最近の立法府の報道記事を目にするにつけ、疑問を感じえません。

さてその後の懇親会に、当初の予定よりかなり減りましたが、国会議員が駆けつけてくれました。

そのひとり、日本共産党の参院議員小池晃氏とのツーショットをアップします。

小池議員も私と同じ東北大の出身です。

この懇親会場が星陵会館というかつての日比谷高校の同窓会館で、実はこの「星陵」という名は、奇しくも東北大の医療系学部の所在地名と同じだったのです。

小池議員は医師でもあり、医療制度の改善のため目覚しい活躍をしている議員です。

今後の活躍に期待し、支援していきたいと思います。

今年もモッコウバラの季節が

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ゴールデンウィーク前ですが、今年もモッコウバラが満開寸前です。

この前の16日の写真では、奥のフェンスのモッコウバラはまだ緑でした。

一輪一輪はとても小さいのですが、房状の咲き乱れる姿は独特の景色を作り、見ている人の気持ちまで豊かになります。

管理する側にとってこのバラは、虫がつかず棘がないところが何と言っても魅力です。

このあと、すでに蕾が大きく膨らんだハイブリッド・ティー系、フロリパンダ系といった大輪中輪のバラが続々と開花します。

バラの栽培家にとって、最高の季節を迎えます(このために、寒風吹きすさぶ中、辛い作業をしてきたのですから)。